こどもと言う存在は、実に手ごわい!
何が手ごわいって・・自然界の動物の中でこれほど手をかけ、親の命を注いで削いで生きて社会へ自立させるまでのエネルギーは、他の動物の比ではないと言う意味において手ごわいのです。
こどもは「親の親」であるとは良く言ったものです。
そして何より、大人よりずば抜けてスゴイ!のは「こどもの感じるこころ」
個々の感性が発露するナイーブさは、大人がいつも教えられる以外の何物でもないのです・・と思うのです。
ワタシは自分の娘に「なん語」口片に南と書くのですが、そのなん語の自然界から聞こえる「音」を一切意識して教えませんでした。例えば、雨が「ポトポト」風が「ヒューヒュー」雷が「ゴロゴロゴロ」のようなのことです。
こどもが、自分の「感性」を養う為には「自分の心の耳で感じて聴き取ることが大事なのだ!先に観念の言葉で教えるより、特に自然に対して耳を澄ますことが感性を磨くのです」と、日本の著名な音楽家の研修を受けた時に「ワタシもこどもが産まれたらそうしよう!」と強く思ったのが・・きっかけでした。
娘は、産まれてから様々な、自分の感じる「音」の思い出を親のワタシにプレゼントしてくれました。
娘が3,4歳頃に、「ママ・・電話・・ジリーン・・ジリーンって言わないよ!」
電車に乗ると、ジーと耳をすませて、妙に静かなので「どうしたの?」と聞くと「ママ・・この汽車・・シュッポ・シュッポて言わないよ!」
この世の文明の進化を、娘自身が全身全霊で感じた「感性」で良く教えられたものです。
きわめつけは、「ママ・・風さんって・・ちっちゃい風と・・ふつーの風と・・大きな
風と・・おこっている風がいるよ・・ちっちゃい風は・・やさしいけど、ふつーの風は
・・ガンバレ!ガンバレ!って言っているよ!でもねー・・ママ大きな風は・・いじわるで・・もっと大きな風はいつもおこっているみたいだね・・ママ・・風って透明人間なの?」
には・・・「そうだ・・とも・・そうでないとも」答えることは出来ませんでした。
この世のあらゆる音に、今でも敏感な娘もすっかり大きくなり、もうすぐウェディングベルの音を母親好みのイケメン(笑)と一緒にしあわせに聴きます。
「ワタシはその彼が可愛くて・・かっこいいから○○君とママが変わりに腕を組んで歩きたいから・・ 今度貸して?(笑)」って娘に言ったら「やーあ!」と嬉しそうに笑いながら・・「どうぞ!」って・・・そんな人生の高らかな幸せな「音」をしみじみ聴くことができました。
そんな娘の幸せな「音」が聴きたくて、今まで母は頑張って来たのですよ・・。娘へ