拉致真相 歴史の闇に 死去の金元大統領
2009年8月19日 07時05分
1973年8月、東京のホテルで拉致された後、ソウルの自宅近くで解放され記者団の質問に答える金大中氏(東洋通信=共同) |
【ソウル=福田要】十八日に八十五歳で死去した韓国の金大中(キムデジュン)元大統領は、野党指導者時代の一九七三年八月、東京都内のホテルから拉致された事件の全容解明を強く訴えていた。だが、当時の朴正熙(パクチョンヒ)大統領による指示の有無など、戦後の日韓関係史の暗部を象徴する事件の真相は「政治決着」により歴史の闇に埋もれたままになった。
事件をめぐり、韓国政府の真相究明委員会は二〇〇七年十月、朴大統領の黙認の下、当時の韓国中央情報部(KCIA)が組織的に進めた犯行だったとする調査報告書を初公表。事件発生から三十四年後、政府機関の関与を公式に認めた。
だが、核心部分とされた朴大統領の指示を裏付ける証拠は見つからず、「少なくとも暗黙の承認があったと判断される」との報告にとどまった。
また、日本の暴力団を使った暗殺計画も取りざたされたが、実行段階では拉致が目的だったと結論づけた。拉致後に海へ投げ込まれかけたとし、殺人未遂事件だったとする金大中氏側の主張とは大きな隔たりがあった。
金氏は「優柔不断な結論」と強い不満を表明。さらに、「犯罪の明確な証拠がありながら捜査を中止した日本政府と、事件を隠ぺいした韓国政府に深い遺憾を表明する」と語り、七〇年代に政治決着で捜査を幕引きした両政府を非難した。
この報告書の公表から六日後、柳明桓(ユミョンファン)駐日韓国大使は、日本政府に主権侵害を事実上陳謝した。
事件の全容解明につながる可能性もあったが、福田康夫首相(いずれも当時)は「これ以上追及するようなことを考えなくていい」と政治問題化を避け、外交決着させる意向を示した。
事件解明に向け、関係者の事情聴取など日韓の捜査協力も進まず真相は永遠の謎に包まれた。