先日、札幌駅前エルプラザで
川柳誌「極光の集い」
に参加して参りました。
中央で、座長をつとめてくださった石井先生。北大出身(元、S高校校長)
先日、小樽朝里の地において石井先生の句碑が建立されました。
まだ、ご存命でピンピンしていらっしゃるにもかかわらず、これで二つ目の小樽有志による建立です。とてもすばらしいことであります。
極光勉強会も食事会も終え、札幌北口駅を左手に曲がり「エルムの森(北大)」の正面に車がさしかかりました。
「そうだ!ノーベル賞の鈴木先生がいらっしゃる、北大!」
ちょっと・・・散歩でも。。。と思いキャンパスの駐車場へと向かった。
正門からすぐ右手にレンガ風な建物の上から「鈴木章名誉教授ノーベル賞おめでとうございます!」と白地に黒文字と赤文字で書かれた懸垂幕がひときわ目立っていました。
北海道で初めてのノーベル賞
それもアメリカの大学で研究していたころの功績に与えられたとはいえ・・・凡人の私には雲の上の出来事でしかありません。
エルムの森をあとに、駐車場の警備員さんに「見物客が多くなりましたでしょう!」と声をかけたら「ホント・・・多くなりました。」とのこと。
いつもなら、ここは大学なのか、植物園なのかわからない。
うっそうとしたエルム(ハルニレ)の木立の学舎の正面玄関の人の往来の多さにはびっくりしました。
嗚呼・・・北大かあ・・・と感じつつ・・・今頃になり石狩・後志管内に住んでいた私たちは・・・なんと!北大出身者の方々に指導されて生きてきたか・・・と、自己発見をしたのです。(中学高校時代の教師に北大卒が多かった様に思います。)
鈴木名誉教授のノーベル賞を、もし故堀内寿郎氏が生きていらしたらどんなにお喜びになったことだろうかと・・・15・16・17・18・19歳あたりの若き(馬鹿紀)思い出がやんわりと・・・こみ上げ続けて来ました。
あのー???堀内学長時代恒例の「茨戸レガッタ」前の、安全講習。そして。。。ながーいお話の・・・ボート精神のありようを・・・とうとうと・・・とつとつと・・・目を輝かせてお話されていた姿が懐かしく浮かび・・・(当時の私には・・・固いお話ばかり。)
あの、小柄な、奥ゆかしいほほえみを孤高にたたえていらした北大艇庫前でのお姿は・・・まるで。。。ホント!!えらそうでは全くなかった。
ボート大好き人間北大学長が・・・私たちに受け継いでもらいたかった・・・精神が・・・この一週間でやっと理解が出来てきたように思います。
40年も前、試合中の暑い中でも、背広とネクタイで北海道のボートマンを拍手で支えてくださった恩人のひとりでもあったはずなのに。今頃、気がついた。(遅いなー)
北大が琵琶湖朝日レガッタで優勝したのもそんな時。
琵琶湖で、「北大が優勝したよ!」「ちくしょー!・・・私たち4位なのに!」
と、腐っていてもエイトの彼らを、讃え出迎えに行かねばならなかったのも、氏が提唱するところの
・・・オアズマンシップでもあった。
きっと、その日は、故堀内寿郎氏も北大0Bも選手達も美酒に酔ったことでしょう!(今でも、茨戸漕艇場に大きな写真が掲げられている。)
(それにしても、無学で、無知で、無謀な私達の若さをいつも見守ってくださったご好意に、
感動しまくっている・・・今。。。頃。
ああ・・・エルムの森から四十年ぶりに杯
をいただいたようなものです。
偉大な人とは・・・この間亡くなられた日本を代表する版画家一原有徳氏と同じ雰囲気なのがなんともはや。。。
北海道大学にもこのようなすごい方が
活躍されていたことを誇りに思います。
ネットで、「堀口寿郎」と検索をして、
びっくりしました!!!
『かの・・・オアズマンは・・・その精神たるものは・・・』
と、広い海原を見つめるように
語ってくださったながーい「2時間」の講義。
ネットで氏の功績が検索出来る時代。ありがたいことであります。
キット、氏の世界的な研究成果は、若かりし頃の「ボート精神」が支えたものと誰もが疑う事は無いでしょう。
江戸川や荒川の水も冷たい、食糧難時代の東大ボート部の思い出を胸に秘め・・・世界の未来の為に研究に日々奮闘されたのだなーと思います。
もし今回、北大に足を向けなければ、私は一生「ボート馬鹿な北大学長」との記憶の観念のままあの世に行ったはずです。
若気の至り・・・馬鹿気の至りはまだまだ続く
「その節はお世話になりました」と、ウェブサイトの氏のお墓の写真の前で
ひとり・・・つぶやいています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%80%E5%86%85%E5%AF%BF%E9%83%8E
http://summit.ismedia.jp/articles/-/202