9歳のころの私は、父に呼ばれテレビ前に正座させられ浅沼委員長の演説を待っていた。
私の父は地方公務員。
社会党の選挙の時は、応援に行かなければならない組合員でもあった。
わが父の理念なのか・・党派は問わず、政治家の演説をまだ何も知らない私や弟たちに見ることを強要していた。
何も知らないということは、自然といろいろな問題意識が沸き上がる。
「なぜこの人が偉いの?」「なぜこの人が総理大臣になったら日本は良くなるの?」などと質問したのを覚えている。
その質問に答える父はいつも上機嫌であった。
実際に対面もしたことがある国会議員を身近と感じるのか・・・まるで知人のように雄弁であった。
父が・・「浅沼さんは演説がうまいから・・」と言ったとたんに・・・壇上で少年に襲われドタバタしていた記憶はあまりにもセンセーショナルで忘れようもない。
のちに・・・浅沼氏がボート選手でつつましい生活を生涯されたという美談もうれしかった。
浅沼氏が早稲田大学在学中の大正10年頃に襲来した台風で、漕艇部の艇庫が浸水した際には自ら真っ先に駆けつけ、ボートを守ろうとしたという[14]。
浅沼稲次郎事件昭和35年10月12日
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この日、日比谷公会堂では近く解散・総選挙が行われる情勢で、自民党・社会党・民社党3党党首立会演説会「総選挙に臨む我が党の態度」(主催:東京都選挙管理委員会、公明選挙連盟、日本放送協会)が行われていた。会場は2500人の聴衆で埋まり、民社党委員長西尾末広、日本社会党委員長浅沼稲次郎、自由民主党総裁池田勇人の順で登壇し演説することになっていた。 浅沼は午後3時頃演壇に立ち「議会主義の擁護」を訴える演説を始めたが、直後に右翼団体の野次が激しくなり、「中ソの手先、容共 …