昭和26年生まれの私です。末広町13番地に住み、小学校6年の1学期まで在籍していました。
今年、手宮小学校は廃校になりました。
私が在籍していた頃は、市内一番のマンモス小学校でした。
先日、中学校の同期生と会食会談した中で、驚いたのは、小学校1・2年の頃いつも遊んでいた友人たちが、彼が遊んだ友人たちとまったく同じにかぶっていたのです。
入江薬局の息子、自殺した初恋で慶応ボーイの大地君、鉄工所の息子、豆腐屋の息子、オリオン美容室のゆきちゃんもろもろこの倍以上もかぶっていたし、彼も小学校も同じだったし、家も歩いて7・8分のところだった。
私の初恋の大地君は頭がよく、お坊ちゃん育ちで、男ながらに小さい時からバレエをしていたと言う事実。
そして、大地君の親が倒産し、仕送りが途絶え一緒に自分の部屋を提供して、自殺の死体検証も全部に立ち合ったのがこのK氏だったという驚愕な事実。
自殺の原因はK氏も私も同じ見解で、余りにも過保護と豊かな生活を送ったため、家計が一転した事実、現実に立ち向かうことが出来なかったということ。
でも、死を選んだ大地君の墓前に次回立てることは、天からの巡り会わせだと思うしかない。
毎日のように私の後ろをいつも付いて来て、衣服を汚すことも無い貴公子育ち。性格も紳士でおだやか。勉強もクラス1。
彼の妹さんは私の弟が好きで、何かと縁のあった大地君家族。・・・・もしお母さんが生きておられたらぜひ逢いたい。
彼の誕生日に御呼ばれした時、大きな白いケーキのろうそくを消した大地君の嬉しそうな笑顔が今も私の脳裏に焼きついている。
K氏も40年も住んでいた東京を離れて小樽のご両親のお世話をしているのも、この大地君の自殺が潜在意識にあるのかも知れない。
私の中では封印していたことだけれど、・・・・人生にこんなことがあるのも・・・私の念が通じたのかもしれない。
小学校時代の一番の存在が大地弘幸君だったから・・・・・嬉しいに尽きるし、小学校が焼失したので同窓会が一度も出来ていない。
なのに52年ぶりに逢った唯一の男子生徒が・・・・大地君の最後を看取った人だなんて・・・善行を積み上げて来たごほうびだと思いたい。!!
大地君・・・草葉の陰で待ってろよ!!・・・・今度小樽へ逢いに行くよ!!