徳川光圀の八幡整理によって、水戸では多くの八幡神社が姿を消したようです。全国的には、八幡神社が神社の中では一番多いようですが、水戸では有名な水戸八幡、杉崎八幡を除いて、大きなものはほとんど見あたりません。他の神社の境内社などとして細々と生き残っているといった感じです。光圀の八幡整理は、神仏分離のためということで説明されていますが、徳川氏の前の佐竹氏が八幡を守護神としていたためであるとか、八幡の祭神が誉田別命(ほんだわけのみこと 応仁天皇)で、武士や民衆が天皇を祭神として祀るのは条理にあわないためであるといった説などもあるようです。光圀は家康をまつる神仏混淆の東照宮には手をつけなかったそうですが、斉昭は神仏分離を実施したそうです。
水戸八幡宮(八幡町8-54)
佐竹義宣が八幡小路(田見小路 現・北見町)に建立したそうですが、光圀の時に那珂西に移され、その後、現在地へ移されたそうです。写真は本殿です。
杉崎八幡神社(杉崎町1600)
源義家(みなもとのよしいえ)伝説の残る古社で、佐竹氏が社殿を再興したそうです。本殿の彫刻はみごとです。
台渡里八幡神社(渡里町2975)
かつては勝幢寺(渡里町2800-1)内にあり、天保年間に笠原神社へ移され、昭和になって、地元有志によって現在地にもどされたそうです。現在地は、奈良時代の台渡里廃寺跡(観音堂山地区)だそうです。
常陸の湯・八幡大菩薩(加倉井)
廃業してしまった常陸の湯の敷地内にある石祠です。
春日神社境内社・八幡社(下国井町1574)
ここは独立の一社としてまつられています。
吉田神社境内社・八幡宮(宮内町3193-2)
色々な神社と一緒にまつられています。