徳川光圀に京都から招かれてお抱えの医師となった、井上玄桐(げんどう)が書いた「玄桐筆記」にある光圀の逸話です。筆跡の似ていた玄桐は、光圀の代筆もしていたそうで、かなり光圀の近いところにいた人のようです。写真は光圀筆跡の常照寺山門寺額です。
ある登城日には、顔つき端麗な光圀を見ようとする人たちが、大下馬に集まり、崩れかかって大騒ぎしたこともあったそうです。
鉄砲が上手で、船から水鳥をしばしば撃ったそうです。雁5羽、鶴3羽、こうのとり3羽を続けて得たこともあったそうです。
いつも小冊子を懐中にいれ、どんなことでも書きつけて、用がすむとチェックを入れていたそうです。民間の良い行いなどもそれに記録して、折をみて役人に伝えたりもしたそうです。
豪傑の臨終は強い気が散じるときなので苦しむものだそうですが、光圀は苦痛なく眠るような最後だったそうです。やはりお医者さんの記録です。
若い頃、夜更けに浅草の堂に休んだとき、連れに床下に寝ていた人を引き出させて、刀の試し斬りにしたそうです。この話は、玄桐が光圀から直接聞いたそうです。