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徳川光圀の話あれこれ(6)

2019-06-09 18:53:32 | 水戸

写真は光圀の筆塚です。

 家督相続の前の日、兄・頼重(よりしげ)がいるのに弟である自分が家督を継ぐことになるので、頼重の長男を養子にして、藩主は自分一代にしたいという意思から、養子縁組の承認がなければ相続を受けないと主張したそうです。始め頼重は承知しなかったそうですが、兄弟の説得でその願いを受けいれたそうです。

 

 西村元春という鍼医(はりい)が側近にいて、針治療を行っていたそうです。また、隠居後は、1月に3日灸をすえ、病気にかかって薬を飲む前にも灸をすえたそうです。

 

 時の鐘を鋳工・善四郎に鋳させたときに、金を入れると音がよいというがどうかと聞き、善四郎がまだしたことがないと答えたそうです。その後、光圀は鋳物場に行ったときに、懐中の紙に包んだものを二つ投げ入れたそうです。あれは金だったのだろうと周囲の人達は言っていたそうです。

 

 腕力が大変あったそうですが、それを表に出さないようにしていたそうです。しかし、話に熱中したりすると気づかないうちに、手に持った火箸を飴のようにねじ曲げてしまうこともあったそうです。

 

 光圀の死後に調べたものの、遺書などは見つからず、大切にしていた小箱の中には、詩歌の草稿や、寺社、百姓などの覚え書きだけで、世事に関する書付はひとつもなかったそうです。

徳川光圀の話あれこれ(5)

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