故権中納言贈正二位徳川頼房卿配祠記念碑(東照宮 宮町2-5-13)
題字は「万世景仰」です。父親の徳川家康を祀った東照宮に、子の頼房が大正7年に正二位を贈られたことをきっかけに建議がされて、いっしょに祀られたことなどが書かれている碑です。いっしょに祀られたのは昭和11年で、碑が建てられたのは昭和15年だそうです。
東武館五十年記念碑(東武館 北見町2-26)
題字は「東武」で、碑が建てられたのは大正13年だそうです。「東武は、武道の退廃を憂いて東武館を開いた先師(小沢寅吉)の号で、館の名前にした、北辰一刀流剣術や新田宮流抜刀術を教授して今に至っている」などとあり、久邇宮(くにのみや)や徳川圀順の訪れをきっかけに碑が建てられたそうです。
大日本史完成之地碑(偕楽園 常盤町1-3-3)
昭和42年に建てられた碑です。偕楽園南崖を降りる途中の地で大日本史は完成したそうです。碑文は裏にあり、「大日本史は、明暦三年水戸第二代藩主徳川光圀卿が編纂に着手されてから、歴代の藩主がその遺志を継承され、実に二百五十年を経て圀順公の時に至り、明治三十九年この地で三百九十七巻の完成をみたのである」とあります。明治になって、彰考館は転々として、明治12年にこの地に移ってきたそうです。
千波湖水利改修記念碑(柳町1-7 柳堤橋の桜川下流約100m左岸堤)
題字は「利沢万世」で、昭和7年に建てられたようです。千波湖の「上沼」(今の千波湖)を貯水池兼風致湖とし、「下沼」(今の千波大橋から柳堤橋あたりまで)を埋め立てて水田とし、大杉山揚水機場(三の丸3)から那珂川の水を、桜川にある備前堀取り入れ口少し上流に引いたことなどが書かれているようです。これは、現在の水戸駅南の風景を形づくった千波湖開拓事業を記念する、水戸でもたいへん重要な碑のようです。脇にもう1つ小ぶりな碑があり、これは、柳堤水門の完成記念碑だそうです。
垂「絲」桜花詩(六地蔵寺 六反田町767)
昭和3年に建てられたこの碑は、表全体を徳川圀順が書いているようです。光圀の漢詩の脇に「源義公遊六地蔵寺戯題垂「絲」桜花詩(源(みなもとの)義公(光圀)、六地蔵寺に遊び、しだれ桜の花と戯れに題した詩 と読むのでしょうか)」とあります。石碑で「絲」は「彳糸」となっています。