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水戸の百万遍碑

2019-06-11 20:00:22 | 水戸

  百万遍には、光明真言(オンアボキャーベイロシャノウ…と続いていきます)を唱える場合と、弥陀の名号(南無阿弥陀仏)を唱える場合があるようです。水戸では江戸氏、佐竹氏が真言宗を庇護したせいなのか、百万遍の石碑では、密教の光明真言のほうが多いように感じます。光明真言が頭につかない、ただ百万遍と書かれた石碑は、南無阿弥陀仏を唱えた記念碑である可能性があります。

 

甘酒地蔵尊(金町1-4)
 百万遍供養塔が写真左右に2基あります。左の大きな碑は文化12年(1815)に建てられたようですが、上に刻まれている梵字は、オンと読むようです。そうすると、この2つの碑は光明真言の百万遍なのでしょう。小さい方の碑は文政7年(1824)とあります。

 

仏性寺(栗崎町1984)
 百万遍とのみある石碑が、山門を入って右にある石碑群の中にあります。文政元年(1818)、当村講中とありますので、念仏講のメンバーが建てた石碑なのでしょう。碑の上方左には「天下和順」とありますが、それ以外は読めません。上中央は円形に書かれた光明真言の梵字のように見えます。ちなみに仏性寺は天台宗です。

 

日吉(ひよし)神社(酒門町)
 文政4年(1821)に建てられた百万遍供養塔です。「養」の字の上下のパーツが、左右に並べて書かれています。

 

元内墓地(下国井町 県道102号線で常磐自動車道を北に抜けてすぐ東に折れたあたりです)
 文政10年(1827)とあります。この碑も、上部に光明真言の梵語が丸く彫られているように見えます。

 

元吉田町(イエローハット(元吉田町字一本松263-1)裏あたり)
 百万遍供養、文久元年(1861)とあって、願主として一人だけの名前があります。一人で百万遍唱えたということなのでしょうか。普通は、講中のメンバーが唱えた回数を合計するようですが。

水戸の光明真言百万遍供養塔(2)

コメント
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