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水戸の見て歩き

水戸の子安観音(5)

2019-10-02 21:23:51 | 水戸

 いろいろの子安観音を見てくると、お墓以外の子安観音は、講中が建てて、その講の多くは女人講だったのではないだろうかと思うようになってきました。以下の子安観音は、講中の書き込みは見えませんが、たぶん講中で建てたものなのでしょう。

 

河和田町(第二めぐみ保育園(河和田町425)北東約100m)
 農道の曲がり角あたりにある屋根のかけられた石造物群の中にあります。明和7年(1770)とあります。コンクリート補修がされていますが、ずいぶん深いひびがはいっています。

 

大塚町(大塚農民館(大塚町1223-2)の北方約50m)
 出羽三山碑など、たくさんの大きな石造物群の中にあります。天明5年(1785)とある文字の石碑です。

 

満福寺跡(大塚町495-2)
 天明年間に廃寺になったという満福寺境内にあります。土中に埋まっていたのか、風化が少なくて比較的きれいなすがたです。文化10年(1813)とあります。

 

田野不動院(田野不動院会館(田野町660)脇)
 境内の東側にある石造物群の中にあります。文化15年(1818)のように見えます。

 

薬師堂(上国井町930)
 「薬師堂の民間信仰資料群」が市の地域文化財に指定されたそうです。この子安観音は含まれているのでしょうか。弘化4年(1847)とあります。


水戸の子安観音(4)

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