なぜ、富士神社に浅間ということばがつくのかなと不思議に思います。「あさま」という語根の悪い意味も持つ荒々しさを、神社の名前にして、その後「せんげん」と読むようになったのではなどということが頭に浮かんできます。さらに、ひょっとすると、富士の名前より浅間(あさま)という名前方が古かったのでは、長野県の浅間山も同様の発想からつけられた名前なのでは、などと勝手な想像がふくらみます。
五平神社(五平町)
境内社に石造の富士浅間神社があります。祭日が7月1日となっています。この神社では、同じ境内社である石祠の山倉山大六天王宮の祭事も行われていましたので、この神社の祭事も行われているのでしょう。
境内社に石造の富士浅間神社があります。祭日が7月1日となっています。この神社では、同じ境内社である石祠の山倉山大六天王宮の祭事も行われていましたので、この神社の祭事も行われているのでしょう。
大山阿夫利神社・冨士浅間神社(下入野町富士山)
二つの神社が二つの部屋を持つ一つの石祠にはいっています。右側が冨士浅間神社です。
芳賀神社(栗崎町1677)
5社が合祀された木造社です。左から二番目が富士浅間神社です。道路工事でこの建物は移動していましたが、今はもとの位置に戻っています。
手子后神社(元石川町1728)
ここは、4つの木造の神社が、さや堂の中に並んでいます。富士神社は左から2番目です。
伊勢神明社(柳河町411)
富士神社が境内社にあると書いてありますが、これがそうかどうかは今のところわかりません。