大野みろく(極楽橋 県道174号線吉沼町)
徳川光圀が、領内をまわっていたとき、乗っていた馬が極楽橋で突然動かなくなってしまい、調べたところ、橋の下に3体の人形があり、それを拾い上げると、馬が動きだしたそうです。その人形が後に下大野の人に渡って大野みろくになったそうです。大野みろくは、下大野で行われる、竹竿の先についた人形を屋台であやつる民俗芸能だそうです。
別雷皇太神(元山町1-1-57)
幕末、京都御所の紫宸殿に雷が落ちて火災になったとき、雷が「水戸向井町」と叫んだということがあり、藩主から神社は閉門をおおせつかり、社の周辺には竹矢来が張られたといいます。向井町は、別雷皇太神がある、大工町信号の西側あたりの旧町名です。
善重寺(酒門町2096-2)
相模の出身で開基の善念という僧は、常陸に来た時、親鸞にであって帰依したそうです。親鸞が川を渡るときに舟がなくて、善念が背負って川を渡ったという伝説があるそうです。光圀が善重寺に寄進した聖徳太子像には、光圀が夢を見て久慈郡大山村で発見したといういい伝えもあるそうです。
かっぽう鳥
後妻に、先妻の子供を殺された大工の父親が、「かず坊、かず坊」と子の名前を呼んで探したそうですが、その怨念で、脚絆(きゃはん)を脱いだ片足は白、もう片方は黒いという鳥になってしまったそうです。いまでも「かず坊かず坊」と鳴いているそうです。
せいえむどん
飛脚が宿がなかったので木に登ってやすんだところ、けものが集まってきました。刀でおっていると、「飛脚が強いのでせいえむどんに頼もう」といい、やがて大猫が木を登って来たので、飛脚は切りつけたそうです。翌日、せいえむどんといわれる家を訪ねると、おばあさんが、うちのおじいさんはけがをしたが猫ではない」と言いはりましたが、1日たつと猫の姿になったそうです。
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