湧水地(メディカルセンター付近)
逆川沿いにそびえる崖の上の方にあいた穴です。深さ2mくらいある底の方に水があるようでしたが、少ないようでした。もしかすると、道路舗装のなかった時代には水が流れ出ていたのかもしれません。もっと低い、逆川と同じくらいの高さのあちこちからは水が湧き出ているようで、この川は、すぐ先にある桜川との合流点近くの方が、上流より水がきれいだそうです。
郭巨(中原不動尊 中原町786)
中原不動尊の蛙股部分にある、二十四孝にある郭巨(かくきょ)の話をあらわす彫刻のようです。貧乏な郭巨に子どもができたそうですが、老母が食事をがまんするのを見て、「子供はまた授かるだろうが、母は二度と授からない」と、子供を埋めようと穴を掘ったそうです。すると穴から黄金の釜が出てきて、そこには、「天、孝子郭巨に賜う」とあったという、孝行談を彫ったもののようです。
子育観音(桂岸寺 保和苑 松本町13-19)
保和苑には庭山がありますが、その中腹に横穴が空いていて、子安観音が納められています。桂岸寺は、二十三夜尊といわれて、広く多くの信仰を集めていましたので、こうした穴の中の子安観音もつくられたのでしょう。
火薬壺(常磐神社 常磐町1-3-1)
今の水戸一高運動場の崖側、昔の土塁だったあたりのようですが、昭和6年に、11個の徳川時代に使われた火薬壺が出土したそうです。崖下の明星池(めいせいいけ)埋立の土砂をとっていたときのことだそうです。その内の3個が常磐神社に奉納されたそうですが、一番新しい寛保年間(1741-44)の壺には底に穴(写真)があいていました。その後、昭和36年にも火薬壺は2個出土したそうです。水戸城本丸の地には、火薬庫などがあって、本丸としての主立った使われ方はされていなかったようです。実質的天守台であるお三階櫓は、二の丸にあったそうです。
石机(茨城県立歴史館 緑町2-1-15)
下庭にある四阿(あずまや)内に置かれた石机です。中央に穴があります。煙草の灰皿ということなのでしょう。現在ならたぶんほることはないであろう穴です。
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