馬頭観音として、馬を供養する碑はたくさんありますが、牛馬を供養する碑は少ないようです。その内で年代のわかる碑は昭和ばかりで、ほかのものもそう古くない碑のように見えました。古い物がないとすると、比較的新しい信仰の形なのかもしれません。想像をたくましくすると、江戸時代は農耕には馬の方が多く使われ、肉や牛乳を食さない農村部では牛の飼育が少なかったので、身近な馬の供養碑がたくさん建てられましたが、明治以降、牛の飼育が増えて、馬と共に牛も供養されるようになったと考えられるのかもしれません。ほかに、牛だけの供養碑も幾つか見ました。
牛馬頭観世音(福徳弁財天 渋井町)
周囲を囲む堀の外にある石仏群の中にあります。昭和2年とあります。
牛馬供養碑(上河内町)
共同墓地の中に馬頭観音を集めた一角があり、その中にありました。昭和6年とあります。
牛馬頭観世音(下大野小学校近く)
昭和22年とありました。
牛馬頭観世音(元吉田町)
倒れたままになっています。
牛馬供養(上河内町)
これも上の上河内にある共同墓地にあります。
牛馬頭観世音(下大野・観音堂 かがやき授産施設近く)
子安観音や参拝碑などの中にあります。
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