現在、水戸には現在、3つの腰掛石があるようです。
日本武尊(やまとたけるのみこと 吉田神社 宮内町3193-2)
日本武尊が東征の際に水戸で休息した時の腰掛石だそうです。吉田神社の祭神は、日本武尊で、尊を祀る全国最古の神社だろうとのことです。最近腰掛石の表示がたてられたようです。
2代徳川光圀(祐養園跡 文京36°24'07.9"N 140°26'46.9"Eあたり)
光圀の臣下だった鈴木重時(勇山)の隠居所である祐養園にあった、光圀の腰掛石だそうです。心越が名づけたという祐養園に、元禄11年(1698)に来臨した光圀は勇山という号を与えたそうです。勇山による、「埋(うず)もるる こけの下にも 仰ぎ見ん 石より重き 君のみかげを」などの歌が石に刻まれているそうです。
4代徳川宗堯(むねたか 飯富市民センター 飯富町4449-8)
光圀が鷹狩りの際に立ち寄って雀躍亭(じゃくやくてい)と名づけたという、現・岩根町の園部家へ、宗堯も立ち寄ったそうです。その腰掛石が、現在、飯富市民センターに保存されています。
9代徳川斉昭(酒列磯前(さかつらいそさき)神社 ひたちなか市磯崎町4607-2)
ひたちなか市にある酒列磯前神社に、斉昭の腰掛石がありました。水戸市内には斉昭の腰掛石がないようです。でも、人気のあった斉昭なのですから、掘り起こせばありそうなものだと思うのですが…。
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