ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸のお札(5)

2020-10-16 20:46:15 | 水戸

田島町(36°23'59.9"N 140°21'41.8"Eあたり)
 立野神社(谷津町899)のお札が、鳥居を300mくらい南下した三叉路の角に立てられています。嵐除、五穀豊穣、家内安全とあります。

 

岩根町(36°26'34.2"N 140°25'00.9"Eあたり)
 庚申供養塔などの背後に、山王神社(岩根町750-2)のお札がたてられています。五穀成就、村内安全とあります。多分以前はここの位置ではなかったのでしょう。

 

飯富町(36°26'06.0"N 140°24'56.9"E)
 飯富町の旧道にある稲荷神社階段下にあります。去年の御田植祭にたてられたようで、組中安全などとあります。

 

森戸町(36°18'59.3"N 140°30'43.1"Eあたり)
 鹿島神社(森戸町)のお札が、何年分も三叉路の一隅に残っています。たまたまなったのかもしれませんが、扇形になっているのが面白く感じられました。

 

岩根町(36°27'25.3"N 140°24'39.9"Eあたり)
 ここにも何年分かのお札が、馬頭観世音碑の背後にたてられています。お札がつくられる和紙は、たいへん丈夫なようです。愛宕神社のお札で、火災防除、家内安全とあります。

水戸のお札(4)

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水戸の石垣(7)

2020-10-15 20:03:56 | 水戸

谷田町
 きっちりと大きな石を組んだ、堂々としていてきれいな石垣です。

 

紀州堀(梅香2 349号線沿い)
 上は布積み(石を並行に積んで、横が一直線になる積み方)の従来形積み方で、そのすそに歩道あって、下の車道との高低差には、横に平らな石を積んだ装飾的な石垣が積まれています。

 

中河内
 これも比較的大きな石を積んでいます。石と石の間にあるつなぎの黒色がよいコントラストをなしているようです。

 

和光院(田島町415)
 横長の石が多用されているようですが、特に上段中央の大きな石は印象的です。お寺の入口近くにある石垣です。

 

田谷町
 こういう場合を石垣というかどうか知りませんが、入口方面に向かう道の両側に並べられた感じのいい石の群です。

水戸の石垣(6)

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徳川光圀の話あれこれ(9)

2020-10-14 20:39:18 | 水戸

写真は桂岸寺にある水戸黄門像です。

 

 徳川光圀が若いころ久慈浜(現・日立市)に遊んだとき、鰹漁の舟と一緒に、自身の舟を出したそうです。きっと漁の様子を見たかったのでしょう。このことを聞きつけた付家老・中山風軒(信正)は、海岸に駆けつけ、そこから鉄砲2,3丁を空砲でうったそうです。その音を聞いた光圀は、自分の軽々しい行動を家老が諫めるためにしたことであろうと察して浜に戻り、人を遣わして申し訳をしたそうです。

 

 4つの支藩の藩主を小石川の屋敷に招いて食事をしたときに、松平大学頭(だいがくのかみ 多分、守山藩主)が飯粒を落としたそうです。すると大学頭は、箸をお盆の上に置いて、それを手で拾い、ちょっといただいてから口にしたそうです。それを見た光圀は、「大学殿お出来でござる」とほめたそうです。

 

 光圀が水戸に滞在中、湊御殿(現・ひたちなか市)から自身一騎で夜になっての帰りに、水戸城の門に至り、「明けい明けい」と声を掛けたそうですが、門番はお目付様から預かった門なので、その許可がなけらば明けられないと拒否したそうです。騒ぎを聞きつけたお目付の配下によって門は開けられたそうですが、門番に対しては、かたく心得て勤めるようにとの褒美が下されたそうです。

 

 元禄4年(1691)に江戸・お茶の水に湯島聖堂ができたときに、諸大名は中国の書物を納めたそうですが、光圀だけは、日本紀、続日本紀、続日本後紀、文徳実録、三代実録、古事記、旧事記7書の誤りを正したりして納めたそうです。

 

 松茸が大豊作で、隠居後に住んだ西山荘のある大田村の農民が江戸へ送ったということを聞いた光圀は、それは残念なことだ、それでは値段が下がって皆が損をするだろう。塩水に浸けて保存して後で売ったら利が出たろうにといったそうです。この話では、送った松茸の清算は、売れてから後に行われたということなのでしょうか。

徳川光圀の話あれこれ(8)

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水戸の道しるべ

2020-10-13 20:24:45 | 水戸

 むかしの遠出や旅は、道はわかりにくかったでしょうし、しっかりした地図もなかったでしょうから、苦労が多かっただろうと思います。道路脇にある道しるべは、その助けとして大いに役だったことでしょう。石柱に彫られたものが多いようですが、石仏などは道のわかされにたてられることがよくあるので、その役目を担うこともあったようです。

 

石柱(千波町 36°21'31.6"N 140°28'10.5"Eあたり)
 正面に「東 吉田台町ヲ経磯浜(約三里)方面 西 本村千波見川見和ヲ経河和田赤塚約」、向かって右側面に「本村千波小吹平須ヲ経テ大戸ニ至」と見えます。下部は埋まっていて全部は読めません。大正4年に建てられたようです。

 

十九夜塔(鯉淵町 36°20'35.9"N 140°23'06.8"Eあたり)
 共同墓地の隅にある三叉路のところにあります。左は「かさま」とありますが、右は剥落していて読めません。もともとここにあったかはよく分かりません。

 

馬頭観世音(東野町 36°19'47.5"N 140°27'19.0"Eあたり)
 「左 上町 右 下町」とあります。享和2年(1803)に建てられたようです。写真の感じだと、黒い部分が地上に出ていて、下の部分は土に埋まっていたのでしょう。

 

二十三夜塚(藤井町 36°26'31.9"N 140°24'18.8"Eあたり)
 「左 石塚 右 太田」、文政8年(1825)とあります。藤井町には石造物がずいぶんたくさん残っていて、私の大好きな地区の一つです。

 

子安観音(筑地町実性院境内 36°22'19.4"N 140°22'31.4"Eあたり)
 上部が折れてしまって写真左に置いてあります。上部の「左」と「右」は見えるのですが、下部にある「川根」「原」らしい地名の部分はよくわかりません。文政7年(1824)とあります。

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水戸の自転車置き場(1)

2020-10-12 20:26:34 | 水戸

 自転車の利用が少しずつ増えているようです。駐輪場整備の必要性も今後増えてゆくのでしょう。

 

水戸駅南口西棟(桜川1-2-1)
  自転車がこの西棟で約2,000台、道向かいの東棟で約1,600台、駐輪できるようです。キャンセル待ちというほどタイトではないようです。

 

水戸駅南口(宮町1)
 ここは2時間の利用までは無料のようです。最近駐輪施設が取り替えられたようです。

 

水戸駅北口(三の丸1-1-14)
 三井のリパークが経営していて、水戸駅前駐輪場という名称のようです。背後に見えるのは、水戸駅前壁画プロジェクトの作品です。

 

水戸市役所(中央1-4-1)
 壁にタイヤを差し込んで駐輪するタイプです。水戸市役所には、同じタイプがもう一カ所と、地下に普通タイプの駐輪場があります。

 

大工町(大工町1-6)
 これは交番(写真左にある丸っぽい建物)側の駐輪場で、道向かいにももう一カ所、駐輪場があります。

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