ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の警戒標識(1)

2021-10-26 20:15:09 | 水戸

 道路標識の中に黄色と黒で描かれた警戒標識があるようです。警戒標識は、「道路上で警戒すべきことや危険を知らせ、注意深い運転を促すためのもの」だそうです。さらにその中に、「道路交差点あり」という標識があるようです。一覧表には、十字、横T字、T字、Y字しかないようですが、実際には、実情に応じて多様な交差点の標識が描かれているようです。面白いので気がついたものを拾ってみました。ちなみに、警戒標識は市の管轄だそうです。下の見出し名は私が勝手につけたものです。

 

下抜け上(開江町 36°24'05.5"N 140°24'39.4"Eあたり)
 上の字の縦棒が下に突き抜けたような形です。逆方向には、この表示が上下逆になった標識があります。

 

下抜け上(青柳町 36°22'53.2"N 140°29'17.6"Eあたり)
 開江町と同じ形ですが、少しずれています。ずらす必要性はないような気がしますので、たぶん、ひとつずつ、別々に作られるのでこうした違いがでてくるのでしょう。

 

変形十字(住吉町 36°20'16.6"N 140°28'41.5"Eあたり)
 一番ポユラーな十字形交差点標識にもいろいろなタイプがあるようです。このようにわずかに斜めになった標識もあります。

 

変形十字(栗崎町 36°20'39.3"N 140°30'48.1"Eあたり)
 これは、上(住吉町)よりももっと斜めに交差した十字形交差点です。

 

変形十字(小吹町 36°20'39.8"N 140°25'43.3"Eあたり)
 こういう形の十字形交差点もあります。十字形交差点の警戒標識だけでも、いろいろな種類があるようです。

 

ずれ十字(飯富町 36°25'26.7"N 140°25'17.7"Eあたり)
 十字形交差点で、交差する道の1本が少しずれたような形の交差点の標識です。交差点左側の設置される標識は、下(千波町)に似た描かれ方になっているのかと思って見てみましたが、標識はありませんでした。

 

ずれ十字(千波町 36°21'18.0"N 140°27'31.8"Eあたり)
 この形の標識はときどき目にするような気がします。支柱が曲がっているのは、標識が道路にはみ出さないためのようです。

 

横π(よこぱい 青柳町 36°23'07.9"N 140°28'55.1"Eあたり)
 すぐ先がカーブしていますが、そこまでは描かないようです。そうしてみると、警戒標識は道路のわずかな距離だけをあらわしているようです。一番上の開江町の標識の奥に、すぐ先のカーブをあらわす別の警戒標識が見えます。

 

横π(成沢町 36°25'37.4"N 140°23'38.4"Eあたり)
 道の太さもしっかり表示させているようで、これは合流する道の巾もわかるようになっています。栗崎町の変形十字標識も1本の道が細いようです。

水戸の道路標識

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水戸にある雨引山の石碑

2021-10-25 20:34:37 | 水戸

 雨引観音(あまびきかんのん)とよばれる雨引山法楽寺(桜川市本木1)は、中国から帰化した法輪独守居士により用明天皇2年(587)に開創されたそうです。聖武天皇、光明皇后の信仰があり、光明皇后の奉納した法華経が寺にあるそうです。弘仁12年(821)の干魃で霊験があったために、嵯峨天皇から雨引山という山号が与えられたそうです。本尊の延命観世音は、厄除け延命、安産子育てにご利益があるそうです。広く信仰されたようで、各地に雨引観音の石碑などが建てられたようです。今のところ、私は水戸で4基見ました。

 

八坂神社(大場町 36°19'38.4"N 140°31'03.4"Eあたり)
 雨引延命観世音とあり、文久2年(1862)に建てられたようです。道路より一段高い八坂神社境内、子安観音など4基ある石造物群の中にあります。

 

大場町(36°19'05.2"N 140°32'23.3"Eあたり)
 市道常澄6-10号線に面した、石造物群の中にあります。雨引延命観世音とあり、慶応2年(1866)の建立のようです。よだれかけがあって見えませんが、土台石には島坪女人講の文字があります。でも、上の石碑と古さが違うように見えます。平成28年に聞いたところでは、石造物群の中にある子安観音の祭りが行われているとのことでした。

 

宮西共同墓地(赤塚 36°23'08.4"N 140°25'13.5"Eあたり)
 ここは石碑ではなくて、観音像が彫られていました。土台に雨引山とあり、明治16年建立のようです。切れ長の細い目の繊細な感じがある観音で、足の指まで細かく彫られています。

 

鯉淵町(36°20'59.8"N 140°20'37.7"Eあたり)
 内原カントリー倶楽部の北西隅あたりにあります。雨引山延命観世音塔とあります。道しるべになっていて、左側面に「左水戸方面」とありますが、右側面が読めません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水戸の鶴(1)

2021-10-24 19:00:09 | 水戸

 ぶらっと歩きで見かけた鶴のいろいろを集めてみました。めでたい鳥なのでもっとあるかなと思ったのですが、それほどではないようです。

 

好文亭四季模様之図(偕楽園公園センター 見川1-1251)
 徳川斉昭は、偕楽園をつくり、崖下の田に鶴を放ったそうです。タンチョウヅル、ナベヅル、ソデグロヅルがいたようですが、農家にとってはあまり有難くない存在だったようです。絵は、徳川斉昭の肖像を描いた萩谷遷喬の弟子、亘遷幽(わたりせんゆう 本当は名前の「遷」に「しんにゅう」はないそうです)の作だそうです。その鶴にちなんだ、田鶴鳴(たづなき)梅林や、田鶴鳴橋があります。

 

蔵棟木(千波町)
 蔵の屋根部分で、建物の横側に突き出した梁(はり)の先端に屋号や縁起物を描く習慣が水戸にはあるようです。鶴を鏝絵で描いたものもときどき見かけます。これはその一つですが、あまり知られていない水戸の美の一つのような気がします。

 

手水舎(別雷皇太神 元山町1-1-57)
 手水鉢をまもる手水舎(ちょうずや)に鶴の彫刻がありました。雲の中を舞う2羽の鶴です。

 

八卦堂(三の丸1-6)
 弘道館記碑をおさめた八卦堂の蛙股の部分に、2種類の鶴が互い違いに彫られていました。

 

水戸市植物公園(小吹町504)
 水戸市植物公園にある、開花期だけ開かれている梅園に黄金鶴という品種がありました。花びらがすこし黄味を帯びているそうです。これは以前偕楽園で写真を撮ったのですが、偕楽園の梅図鑑にありませんので、今はないのかもしれません。旭鶴という梅の品種もあるそうです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水戸の野草(21)

2021-10-23 20:11:57 | 水戸

イヌトウバナ(笠原不動尊 笠原町994)
 シソ科。段状に茎を取り巻いて、まばらに白い花を咲かせていました。漢字では犬塔花と書くそうです。トウバナは、五重塔といった重層屋根に似た咲き方からついた名前なのでしょう。(撮影9/11)

 

コマツナギ(森林公園成沢地区 36°25'20.7"N 140°22'38.8"Eあたり)
 マメ科。低木で、葉を馬が好むことが語源だそうです。サヤインゲンのような実がなるそうです。(撮影9/25)

 

キシュウスズメノヒエ(桜川沿い千波大橋近く)
 イネ科。和歌山で発見されたのでキシュウの名がつくそうですが、花の穂が2本立ってでるようです。シマスズメノヒエの花に似ています。相当繁茂して問題のある雑草のようです。(撮影9/29)

 

イヌホオズキ(徳川ミュージアム 見川1-1215-1)
 ナス科。古い時代に入ってきた植物のようです。イヌホオズキは似た種類がいくつかあるそうですが、実の中にある種の数が区別のポイントのようなので、私にはよくわかりません。ですから、写真はアメリカイヌホオズキかも知れません。(撮影9/29)

 

チカラシバ(千波湖北岸沿い)
 イネ科。しっかり根を張るので、抜くのに力がいるので、力芝だそうです。道芝ともいうそうです。実はひっつき虫だそうですが、最近増えているような感じがします。(撮影10/16)

水戸の野草(20)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぶらっと歩きの風景in水戸(84)

2021-10-22 19:50:10 | 水戸

御犬部屋(市立博物館徳川頼房展 大町3-3-20)
 現在開催されている、水戸市立博物館の徳川頼房展に展示されていた水戸城下絵図の中に、「御犬部屋」という表示がありました。場所は現在の城東5丁目あたりで、新舟渡跡碑近くのようです。この地図は、天和1-2年(1681-2)に描かれたそうで、徳川光圀の時代です。もし、これが、将軍綱吉の生類憐みの令と関係するものだとすると、光圀がそれに反発して、領内の犬の毛皮20枚を綱吉に送ったということなので、大変興味深いものなのかもしれません。在江戸の領主と、水戸在の上級家臣団との関係です。

 

三の丸水田(三の丸小学校 三の丸1-6-51)
 あちこちの小学校で稲を育てる体験を教育の一環でおこなっているようです。本格的な農業体験を学校教育の中に入れてもいいような時代になってきたような気もします。

 

水戸まちなかリビング作戦(西洋倶楽部 南町2-3-32)
 中心部空洞化に対する「水戸のまちなか大通り等魅力向上検討協議会」が取り組む企画が行われているようです。リビングという生活の方に力点を置いたり、表通りと裏町とをつないだり、車両の減速通行をうながしたり、空き地を利用したりなどといった、現在、実際にできそうな試みの数々のようです。

 

田楽略図(市立博物館徳川頼房展 大町3-3-20)
 ソーシャルディスタンスの時代に、すごいなあという絵が徳川頼房展にありました。「東照宮御山内仮御殿下田楽略図」に描かれた、東照宮の4月に行われる例祭で開催された田楽観覧の様子です。丸っぽいものはすべて人の頭のようです。前に出すぎないように棒を振るう役人の姿も見えます。光圀・斉昭展というと一杯になる水戸ですが、頼房展は、コロナのせいかもしれませんが人はあまりいませんでした。

 

バス看板(南町)
 「梅花を賞す 水戸」と大書した茨交バスが走っていました。葵稜高校ばかりでなく、常磐大学高校の書道部も頑張っているようです。

ぶらっと歩きの風景in水戸(83)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする