ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸にある徳川慶喜の書跡

2024-09-25 21:46:35 | 水戸

母への書状(水戸市立博物館 大町3-3-20)
 母は、有栖川宮(ありすがわのみや)家から嫁いできた、吉子(登美宮(とみのみや))だそうです。書状には、父の斉昭に官位の追贈がされたが、生きていたらさぞ喜んだろうが、今は涙が出るばかりであるとか、毎日の登城で母とは疎遠になっていていることを申し訳なく思っているなどといったことが書かれているそうです。将軍時代の慶喜が、文久2年(1862)8月6日に書いた書状のようです。手紙の最後には、「御母様 しん(進)上」とあるようです(写真右下)。

 

和歌(弘道館 三の丸1-6-29)
 「夏 植物 五月雨(さみだれ)のそぼふる池に梅の実の をり/\落る音の淋しさ 慶喜」とあるそうです。下の「淡如水」の書と似た傾向があるようです。慶喜のもともとの性格の一部なのでしょうか、特殊な殿様教育からできた後天的なものなのでしょうか、あるいは、激動期の為政者として身についたものなのでしょうか。

 

三字書(水戸市立博物館 大町3-3-20)
 「淡きこと水のごと(如)し」と読むそうです。いつごろ書かれたのでしょう。解説文には「「水のように淡白である」の意で、時代の波に翻弄された慶喜の、周囲との交際のあり方を象徴するような言葉です」とあります。慶喜の字は非常にきれいで、整った感じがするように思われます。

 

歌碑の書(常磐神社 常磐町1-3-1)
 「家能風伊万母 薫理乃都伎努爾存不美 古能武起乃佐可 梨知良流々(家の風 いまも 薫りの 尽つきぬにぞ ふみ このむ木の さか り 知らるゝ」とあるそうです。光圀が学問と縁が深い浪華の梅(文好む木:好文木(こうぶんぼく))を彰考館に植え、後に斉昭がその老木をめでて詠んだのが上の歌で、それを慶喜が書いて、現在、義烈館入り口付近に碑となっているそうです。

 

校是(水戸第一高校 三の丸3-10-1)
 水戸第一高校の校長だった菊池謙二郎は、明治41年に、「至誠一貫」と「堅忍力行」を校是としたそうです。「至誠一貫」の書は、慶喜が書いたそうです。孟子の「至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり」からきた言葉だそうです。

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水戸のすべり台にあるはしご(3)

2024-09-24 21:31:27 | 水戸

  今回も複合遊具のはしごです。こう見てくると、複合遊具のはしごには、そうとう色々な種類があるようです。子どもたちは、すべり台をすべり降りるだけではなく、のぼることにも楽しみを見つけることができるようです。

 

タイコクライム(見川4丁目第2児童遊園)
 太鼓型ののぼり具のようです。3-12歳用の遊具だそうですが、中央にある手すりがないとのぼるのはたいへんでしょう。この公園は、積水ハウスの住宅開発地につくられたもののようです。

 

雲梯(うんてい けやき台中央児童公園 けやき台1-21)
 雲梯はぶさがりながら進む遊具だそうです。雲のように高い梯子(はしご)とは、なかなか雄大な名前をつけたようです。これですべり台まで行くのには、けっこう腕力が必要そうです。

 

鎖ばしご(大塚池公園 大塚町1832)
 ゆれる鎖ばしごをのぼったり移ったりするのは、平衡感覚にいいのでしょうか。

 

くねくねしたはしご(宮西児童公園 赤塚1)
 くねくねしたはしごのようです。これを高くすると雲梯になるのでしょう。遊具として、単独ではしご部分だけのものもあるようです。

 

幼児用階段(千波公園児童広場 千波町 好文カフェ道向かい)
 鍾乳洞の畦石(あぜいし リムストーン)を連想させる階段です。

水戸のすべり台にあるはしご(2)

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ぶらっと歩きの風景in水戸(2-57)

2024-09-23 21:56:41 | 水戸

人型イヌツゲ(河和田町)
 歩いていて気がつくと、びっくりするイヌツゲの刈込みです。私などの世代には、鉄人28号に見えるようです。(撮影9/7)

 

茨城県マンホール蓋展2024(茨城県庁25F 笠原町978-6)
 下水道の説明と共に、県内市町村のマンホール蓋がずらりと並んでいました。水戸では、みとちゃん、梅花、カタクリの花(写真左から2-4番目)という3種類の蓋を展示していました。梅は水戸市の市木であり、カタクリは旧・内原町の町花だったようです。(撮影9/14)

 

「大丈夫」完成(水戸芸術館前庭 五軒町 1-6-8)
 山下麻衣+小林直人の、「他者に対して、また他者と共に」展の一環でつくられたらしい、「大丈夫」という文字形の花壇のようです。先日、「」だけができていましたが、完成したようです。「花を1本植えることから始まる「政治」があっても良いように思える」という発想だそうです。(撮影9/21)

 

御眷属拝借之牘(つちっこ河和田(JA水戸 上中妻地区農産物直売所)駐車場 河和田町3008)
 「ごけんぞくはいしゃくのふだ」と読むのでしょう。三峯神社石祠の中に納められたお札(牘)です。こうした石祠には、本社の神様を勧請するので、本社の名称や、その祭神のお札が納められるのが普通のようですが、三峯神社ではこうしたお札になるようです。三峯神社の神使はオオカミだそうで、御眷属というそうです。そのオオカミを1年間お借りして「諸難除 火防盗賊除」を願うということのようです。(撮影9/21)

 

浜降祭(はまおりさい)ポスター(吉田神社 宮内町3193-2)
 かつて吉田神社の例大祭では、神輿が那珂湊の田所磯へ渡御していたそうです。来年の例大祭ではそれを復活させるというポスターがありました。どういうかたちになるのか、今から楽しみです。吉田神社の例大祭は、平成28年に市指定の無形民俗文化財になったそうです。(撮影9/22)

ぶらっと歩きの風景in水戸(2-56)

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水戸の花と史跡等(3)

2024-09-22 21:25:03 | 水戸

ハギ(天徳寺 河和田町914-1)
 本堂前のフジが満開になっていました。この木の花は白でしたが、紫の株もありました。秋の彼岸でたくさんの墓参りの人たちが訪れていました。偕楽園の萩まつりは、29日までだそうです。(撮影R6/6/21)

 

ソメイヨシノ(三の丸庁舎 三の丸1-5)
 昭和5年に建てられた三の丸庁舎周辺にはたくさんのサクラがあります。弘道館の敷地内であったころには、このあたりは桜馬場といわれた馬場や、調練場があったそうですので、はじめからサクラが植えられていたのでしょう。写真は三の丸庁舎の裏側です。(撮影R4/4/6)

 

ソメイヨシノ(埋蔵文化財センター 塩崎町1064-1)
 平成22年に開設された埋蔵文化財センターは、水戸市内で発掘された埋蔵文化財の研究、保存、展示などの中心施設になっているようです。15年くらい年月を重ねて、サクラは風格が出てきたようです。(撮影R4/4/10)

 

フジ(信願寺 緑町1-2-1)
 本堂が新築されて、境内の景色が定まったようです。写真はその前のときのもので、背景は庫裏のようです。重量感のある大きなフジの花が楽しめるようです。(撮影R3/4/23)

 

センダン(祇園寺 八幡町11-69)
 写真では少し見えづらいですが、薄紫の花が満開になっています。開山堂(本堂)前では、サクラやドウダンツツジの花、カエデの紅葉などが季節ごとに風景を楽しませてくれるようです。(撮影R5/5/17)

水戸の花と史跡等(2)

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水戸の木鼻(9)

2024-09-21 21:36:41 | 水戸

 今回は波を彫った木鼻を選んでみました。桂岸寺と芳賀神社以外は、伝統的な象のかたちをした木鼻に波を彫り込んでいるようです。波は、けがれを流すという意味に、防火のイメージが重ねられているのでしょう。

 

別雷皇太神(元山町1-1-57)
 これなどは、象の頭の形がよく残っているようです。上部の彫刻は細かく立体的に彫られています。

 

天徳寺(河和田町914-1)
 鐘楼の柱にある木鼻です。一方は獅子に、一方は波になっているようです。

 

吉田神社(六反田町749)
 先端を細くしないで、木目のきれいさを出したかったように見える木鼻です。本殿にある木鼻です。

 

桂岸寺(松本町13-19)
 勢至堂(本堂)の向拝にある、横につきでた波形の木鼻です。少しはげてきているようですが、金箔が貼られているようです。正面には龍が彫られていて、柱に見えるのはその2本の指です。桂岸寺では、山門にも波形の木鼻があります。

 

芳賀神社(栗崎町1677)
 ここも細かく波が彫られています。その波のあいまに、蓑亀(みのがめ)というコケが尾のようについた、長寿をあらわす亀が見えます。

水戸の木鼻(8)

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