ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

ぶらっと歩きの風景in水戸(2-56)

2024-09-10 21:40:18 | 水戸

キクラゲ(元吉田)
 民家の庭にある枯れ木にキクラゲがたくさん出ていました。おいしそうだなあと思いながら通りすぎました。(撮影9/1)

 

噴水(内原町)
 家庭用噴水機があるようで、民家の庭で涼しげに水を噴き上げていました。このところ続いている酷暑対策に少しは役立っていることでしょう。(撮影9/7)

 

ハナミズキ(富士書店本店(笠原町1194-1)前)
 この暑さの中でも、紅葉のスイッチを押すものがあるようで、ハナミズキの葉が色づき始めていました。先日、水戸市植物公園で見ましたが、カツラの葉の黄葉も進んでいるようでした。(撮影9/7)

 

稲穂(水戸八幡宮 八幡町8-54)
 今年の収穫を感謝する新嘗祭(にいなめさい)は、11月のようですが、稲穂はすでに垂れ下がってきたようです。拝殿前に、注連(しめ)を巡らした箱に植えられた稲が置かれていました。(撮影9/8)

 

いばらき若旦那(桂岸寺 松本町13-19)
 最近、立ち上げられたユニット、いばらき若旦那の舞台が、桂岸寺の二十三夜祭(水戸浪漫三夜祭)でおこなわれたようです。いばらき若旦那は、安達勇人のプロデュース企画だそうです。この日、安達も別に2舞台持ったようでした。写真はアダチハウスという、安達のイベント用テントのようです。(撮影9/8)

ぶらっと歩きの風景in水戸(2-55)

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みとちゃんの進出状況(15)

2024-09-09 21:13:00 | 水戸

みとちゃんふわふわドーム(アダストリアみとアリーナ 緑町2-3-10)
 子供たちが中でトランポリンを楽しめる、こんな大物のみとちゃんがいました。少し太ったようですが…。

 

電柱看板(元吉田町)
 「自転車は車道左側を走ってね」と書かれた電柱広告がありました。ちゃんとヘルメットもかぶっています。ほかにも「歩行者優先 思いやり ゆずり合い」という看板も見ました。こういうスタイルの看板を、地域貢献広告というようです。

 

みとちゃんチョコ棒(菓匠にいつま 堀町2160-5)
 みとちゃんのチョコ棒もありました。チョコレートと、きなこがかかったポン菓子のようです。

 

看板(内原ベビーセンターげんきっず 内原町1064)
 入口あたりに設置された案内看板にみとちゃんがいました。

 

ガラスウォールイラスト(カラオケ ビッグエコー 南町2-4-39)
 マイクを持った歌うみとちゃんもいるようで、カラオケ施設にはぴったりのキャラクターのようです。

みとちゃんの進出状況(14)

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水戸の香炉(4)

2024-09-08 21:22:14 | 水戸

神応寺(元山町1-2-64)
 以前、お墓の前に置かれるのはこの形が普通だったような気がします。左右が花立て、前が線香立て、中央が香炉でしょう。香炉の部分には、線香を寝かせて置くことも多いようです。和田平助廟裏側の写真です。

 

常照寺(元吉田町2723)
 石製で角形灯籠のかたちをした香炉のようです。常照寺は、かつては、大掾氏の一族、吉田氏の居館だったそうで、今でも、お堀の跡が残っているようです。

 

神崎寺(天王町8-17)
 丸型で、傘に獅子がのった香炉が平和観音の前にありました。神崎寺で、貞享4年(1687)に、焼けた跡があり、「長承二年(1133)」などの字が内側に陽刻された経筒が発掘され、徳川光圀に献上されたそうです。光圀は、妙法経をその筒に納め、寺に戻したそうです。

 

円通寺(千波町1227)
 いかにも重そうな香炉が、墓地入口にある無縁仏群の前に置かれていました。円通寺は東照宮のあるあたりに、弥富寺という名前で創建された寺だそうです。今も、山号は弥富山となっているようです。

 

埋蔵文化財センター(塩崎町1064-1)
 台渡里廃寺から出土した、須恵器の香炉だそうです。8-9世紀のもののようです。台渡里一帯は、その当時、徳輪寺という大寺や、常陸国那賀郡の郡役所やがあった、このあたりの中心地域だったようです。

水戸の香炉(3)

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水戸の庭園(7)

2024-09-07 21:39:03 | 水戸

水戸市民会館(泉町1-7-1)
 4Fの茶室から見える庭です。背景にある、アートタワーを借景に使っています。水戸の絶景の一つであることは間違いないと思います。

 

千波公園(千波町)
 軽トラの荷台を庭園にすることを、「軽トラ庭園」というそうです。写真は今年の5月に開催された水戸緑化祭りで見た、たぶん、軽トラ庭園を車から降ろした庭園でしょう。青葉造園作成の立夏という作品のようでした。ミニ庭園という発想なのでしょうが、そうすると軽トラにのせるだけでなく、もっと色々な出番がありそうな感じです。

 

茨城県立近代美術館(千波町666-1)
 建物前にある石庭風の水が流れる庭園です。中村彝(つね)アトリエへ行く歩道から俯瞰した眺めです。

 

宝蔵寺(谷田町633)
 コケをうまく配置した石庭のようです。石庭へ流れ出るように出たコケの眺めはリズム感があっていいなと思いました。

 

水戸市役所(中央1-4-1)
 水戸市役所東側にある庭です。段差を利用した庭造りのようです。

水戸の庭園(6)

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水戸の廃寺

2024-09-06 22:11:29 | 水戸

 水戸は、徳川光圀と斉昭による宗教改革と、さらに明治初期の神仏分離によって、数多くの寺がなくなったようです。廃寺の多さは、そうした歴史の名残りなのでしょう。そして、さらに現在はそうとう深刻な檀家の寺離れが進んでいるようです。これはどのような姿を寺にもたらしていくのでしょう。

 

仏陀院浄園寺(栗崎町36°20'50.2"N 140°31'04.0"Eあたり)
 六地蔵寺の末寺だったそうです。明応6年(1497)の文書には、恵範が勤修、書写したという記載があるそうです。享和2(1802)の文書には仏陀院の名前があるそうですが、のちに廃寺になったそうです。斉昭による天保の改革で破却されたのかもしれないそうです。写真のように、墓地奥に無住の本堂があります。

 

銀河寺(墓地 米沢町436-8)
 漱石山銀河寺といい、薬王院の末寺だったそうです。漱石山という名は、光圀が建てた漱石所から付けたそうで、それ以前は笠原山といったそうです。銀河寺にあったという不動堂が残ったようですが、斉昭の宗教改革で、廃寺になったそうです。最近までその後再建された建物がありましたが、それも整理され、現在は墓地のみが残っているようです。

 

宝鏡院(城東1-11-19)
 宝鏡院は、佐竹義宣(よしのぶ)が現・常陸太田市から移した大寺だそうですが、光圀は、鬼門に当たるという青柳へ移し、光圀没後、ふたたび旧地の東端へ、規模を小さくして戻ったそうです。その後、斉昭の改革で神崎寺寄寺(よせでら)となったそうです。今は、寺内にあった不動尊を木村傳兵衛などが不動堂をつくってかつてのゆかりとしているそうです。

 

竜光院(大井神社(飯富町3475)北側)
 現・常陸太田市天下野(けがの)にある東清寺の末寺で、真言宗・高水山竜光院法善寺といった寺で、寺中には5つの寺があったそうです。天保の改革で、畳寺(たたみでら)となり、文久2(1862)に落雷で焼失したそうです。遅月が一時住したそうで、遅月が建てた芭蕉句碑が残っているようです。写真は、遅月が建てた芭蕉句碑と、最近建てられた遅月句碑です。写真、このあたりから右奥がかつての竜光院の境内です。

 

江林寺(松本町36°23'31.7"N 140°27'25.3"Eあたり)
 臨済宗で、桜町にあり、その後、今の墓地あたりに移ったようです。頼房の家臣・岡崎綱住が建立した寺といわれ、斉昭の宗教改革で畳寺になったそうです。さらに、安政年間(1854-1860)には火災で焼失したようです。現在墓地は祇園寺が管理し、山村暮鳥の墓があるそうです。

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