前進か、後退か。

2008-11-18 | イラスト

私の考える前進とは、

いかに、いいものをつくるか。

どうかっこよく生きるか

であった。

健康、愛情などはよけいなもの。

振り絞って

にじみだして、傑作とは生まれるもの。

ハイな作品であっても、

それにはその個人の通常の生活というものが

生け贄として捧げられているのであって。

決して、喜びだとか幸福の中でなど

いいものは生まれないと考えていた。

いい子はできるかもしれないけどね。

でも私はいいもの、あるいはかっこよさ

さえ得られればいいと、そう思っていたのです。

それこそ前進だと。

であるので、健康な生活をおくる

自分というものが、どこか許せず

時間をただ無駄に費やしているようにしか思えず。

首をしめられ

のたうち回るような中でこそいい作品がかけるというのに

そこへなかなかもっていけない自分がもどかしく。


こんなものが私のベースなのです。


しかし、今年の6月。どん底から抜け出た私は

思いました。

健康こそ、前進なのでは。

体をいたぶり、蒼い火に焼かれている自分は

本来の自分ではないのではないか。

悪魔の誘惑ではないのか。

いいじゃない、悪魔の誘惑、いいじゃない

どんなだっていいよ 命も渡そう

と前であれば考えました。

絵の腕の前進の為なら何を守ろうか。

自分なんか消えてもいいってね。

でも、そうではなく

太陽に向かって歩いていく感覚と言うか

前を向くというか。

ルーツに触れるということは

大きなエネルギーに身を委ねることだと知りました。

そこで懸命になり生きればその分が進んだとこになるのではと。

一人の人間としてではつくれない大きな力の存在。

なにも、作品作りに限ったことでなくて

生きていく上で、やはり前を向く必要があるのだと。

プロテスト、完全に背を向けるのはポイントでしかない。

瞬間の行動でしかない。だってそれでは生きていけないのだから。

時に意思表示で背を向けることがあっても

進むべき道は、先人の皆さんが紡いできた方向以外にはない。

生きていくということ以外ないのではないか。

その時代ごとに、生き抜く術というのは変わるかもしれない。

これから始まるであろう激動の時代だ。

知識や経験の範囲が及ばないこともあるだろう。

だが、進むべき道はどこなのか。

これだけは私たちの体が覚えている。

生きなくてはいけないのだ。

太陽の下で働き

そして暗くなって休む。

その環境に感謝する。

ともに生きる人たちに感謝する。

大地の恵みに感謝する。

生かしてもらって感謝する。

その中で人は力強く生きれるのだろう。

それが前進なのだろう。

産みの苦しみというが、

それができるのは女性だけなのである。

苦しんで産むのは人だけでいいのである。

男が生み出す物など余計でしかない。

命の前進を阻むものでしかない。

社会を危うくさせる物でしかない。

文明社会、科学技術、資本主義経済

芸術だってそうだ。


いらない。


こう考えるようになりました。

しかし、これだとですね

社会生活を送れないんです。

今のところの社会生活は。

ですから、私は決めました。

この腐れ社会が頑張っている間

しばらくは冥界を彷徨ってみようと。

今の流れで、私が周囲から

ちゃんと生きてるなと思われる為には

なにかを創らなくてはならないのです。

それを不健康だからと手を引き

無難な生活を続けていくと

ほんとにもう、何もどうでも良くなってしまう。

だって全否定している社会の中で

滑らかに生きていたってなんになるのだ。

世の中壊れるまで待つってか

もうじき30だぜおい。

「君、死んでるよ」って言われる。


来年になったら私はどっぷり

創作にはいる。何を創るかはここではかきませんが。

行けるとこまでいってみよう。

それを例えるのなら

素潜りをするダイバーの心境。

これから潜るぞってときの。

そのまま海の藻屑と消えようとは思わず

生きてかえってくることが前提だ。

潜る行為は自分の力を発揮すること。

一生懸命に生きるということ。

そういう場がないと一生懸命にならないよ。

今、私は潜りたい。

創造の海を潜りたい。健全な体で。

そこで必死になりたい。

現在の世界で前向きに生きる為には

意味がなくてもそんな必死な状況が必要じゃないかな。
コメント (2)
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