ナウ

2006-01-27 | ライフ
皆さん今晩は。

満★乳斎です。


今僕はキューピーさんのような顔で
文章打っています。ピュアな心で
書いています。

ですからどうぞ皆さんもピュアなお付き合い
をお願いします。
今は。

もしくは読まないか。



なんで僕が絵を描くのかっていうと
気持ちがいいからです。

ある種の快楽を得ています。
自画自賛というのか分からないけど
何かのために書いてる訳じゃない。
自分が気持ちよくなりたいだけ。


昔は上達していく自分の腕に
惚れ込んでいた。一枚、一枚
確実に成長するのを楽しんだ。

でもある種そこで満足してから
スランプが始まった。
18歳の頃だった。

アイデアは溢れるのに描く気にならない。
机に座ってペン持って、紙さえあれば
すぐに楽しかったのが  
止まってしまう。

描かなきゃ。
なんて状況じゃなんも描けなかった。


しばらく絵は描かずに部屋の模様替え
に狂っていた。

煮詰まってる状況でも時たま
ぽろっと絵が出る時があって
そんな作品は重みといい凄い。
いい作品ばっかり。

でももう心地よさはない。
苦しみから出すようになった。

そしてあるところで僕の脳は
許容量を超えた。

溢れるイメージを留めておけなく
なった。それまで自分の宝だった
アイデアだけどそれを詰め込み
過ぎた結果人間として駄目に
なってしまった。

アイデアは少しづつ消えていった。

それが楽だったのか
作品を逃すまいと
必死で抱えていた腕が
ほどけた。

スーッと色々消えていった。

それでも尚イメージは湧き
続けてるけど、もうそれに
価値は置かない。


スポンと描ければ運が良かった
と思うようになった。

自分がひねり出すんじゃない。
自然と落ちてくるもの。
落ちてきた時に自分がノッていれば
描ける。

ま、描くための技術はこれまで
鍛えてきた訳でそれが前提には
なるけども、作品自体が自分の
ものかと言われればそうじゃない気がする。

「描けたんです。」

これしかいいようがない。

画賛。誰のものでもない。
でも自分が一番好きな絵を描けるのは
自分。


ナルシストと思われるかもしれないど
主体となる自我はもう殺されてます。
僕の中で。

好みを決める生理的な存在としては
いますけど、哲学で言うとこの自分は
もういません。

物事を受け止めません。
受け流してたまたま体が動けば結果
行動となる。

その点に置いての清らかさが今の
気になるところ。
でも既にだんだん気にもならなくなってきて
透明人間みたいになっています。



すごく静かです。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 恐怖 | トップ | クソ・エレキ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ライフ」カテゴリの最新記事