マイ・アイテム

2005-06-07 | マイ・アイテム
PROLOGUE

私の消費の対象はここ最近 
本、CD、DVDに集中し始めている。

センスの固まりはあちらこちら
にある訳で、金はいくらあっても足りない。

本ブログ内での私の考えや色々なたとえは
今回紹介するところからもってきている。

論文で言う所の「参考文献」である。

マイ・アイテム

1、DVD:スーパー・フライ

ワーナーDL-28888、本編91分、1972年製作、アメリカ
カーティス・メイフィールドが全編音楽を担当。
NYハーレムでくらすコカインの売人が自由を求めて
逃げ去るまでをスリリングに描いた傑作ブラック
ムービー。主人公プリーストのオデコとしなやかな
動きは必見。

2、DVD:ワイルド・スタイル

JES-1001、本編105分、1982年製作、アメリカ
'82年のニューヨーク・サウス・ブロンクスが舞台。
グラフィティー・アートやラップ、ブレイク・ダンス
の創世記を鮮やかに描いた青春群像。
新たなカルチャーの炎が燃え立つ瞬間の記録。

3、DVD:ゴッド・スピード・ユー!ブラック・エンペラー

ADE0032、本編91分、1976年製作、日本
暴走族、ブラック・エンペラーを追ったドキュメンタリー。
「暴走族もまともにつとまらない奴は社会に出れねぇ」
こういった発言に胸を打たれる。
暴走族創世記ということで集会等も部活のように
見える。喫茶店での足蹴りが印象的。

4、DVD:ワイルド・パーティー

FXBA-1101、本編110分、1970年製作、アメリカ
DVD化を求めて全米で署名運動まで起きた作品。
ラス・メイヤー監督といえば
バイオレンス×ロマン・ポルノ。
ここでは更にコメディー、ミュージカル、ホラー
の要素がごった煮状態となっている。個人的には
ホラーの後味が最後迄残った。

5、CD:ユー・ザ・ロック★、ノー・セル・アウト'05

TKCA-72849、2005年製作、日本
先行シングル、アントールド・ストーリーの
ダバダバ・・・につづく 
ディス・イズ・マイ・ライフのフレーズの
格好良さ。数秒の視聴で決断。イントロと
この曲しか効いていないがここ数日リピート
でかけっぱなしである。

6、CD:般若、根こそぎ

PCCA-02118、2005年製作、日本
以前O.T.Fが歌丸(ライム・スター)に
ハルカリのアルバムへの参加を依頼した際
自分よりも般若をと進めたと知り、早速購入。
3曲目、国際Ver.は衝撃的だった。
「読み返せ、オサム・テヅカを」とのこと。

7、CD:DE LA SOUL、3 FEET HIGH AND RISING

TOMMY BOY 1699-81019-2、1989年製作、アメリカ
今さらではあるが、前から気になっておりタワー
レコードのスタイルキャンペーンにのっかって購入。
この自由な空気、今はどこへ行けばすえるのだろう。
途中入るスクラッチはカッコイイのかどうか迷う。

8、書籍:ウォーホル

タッシェン co371、初版1992年、日本
アンディー・ウォーホルの作品と解説。表紙は
プレスリー。'62年の作品、「129 DIE」を一ページ
使って大きく載せていたので購入。

9、書籍:福沢諭吉、学問のすゝめ

岩波文庫 青 102-3 初版1942年、日本
まさに現代日本を作ったセンスがつまっている。
超えようと思っても現状でこれ以上は
無理ではないか。だが、次を考えるためには
この内容を体得しなければならないのも事実。
「天は人の上に人を造らず・・・」
そして私はこう付け足す。
「その時代は終わりました」

10、月の謎とノアの大洪水

学研MUスーパー・ミステリー・ブック 64 初版1994年、日本
アメリカの火星計画を知ってから宇宙
が気になってしょうがない。ネットで検索するが
公のNASAの発表ではどうも足りない気が
していた所にこの本を発見。むさぼるように読んだ。

11、木星大赤斑の謎とベツヘレムの星

学研MUスーパー・ミステリー・ブック 121 初版2003年、日本
おそらくこの本が今年読んだ中で一番面白かった
×速く読み終わったものである。まさにこういった
知識に餓えていた。信憑性はともかく現在の
常識を根底から覆すような内容に唸る。
元来私は矢追順一のUFO番組は欠かさず見ていた。
最近のメディアはこういった亜種を排除しているの
ではないか。亜種とは書いたが、私は心のどこかで
信じているのかもしれない。
他にもこのシリーズは10冊程読んでいるのだが
長くなるので2冊にとどめておく。

12、杉浦茂 マンガ館

筑摩書房 co379 初版1994年、日本
1~5刊までのシリーズもの。私は
今回1~3まで購入。解説者として
2刊は糸井重里、3刊は細野晴臣である。
3が傑作。ミスター・ロボットでは
笑った。私の理想である
「思考を通さないマンガ」の巨匠である。
ナンセンスを超えたシュール・リアリズム。
憧れる。そして、問題の5刊なのだが、絶版
のようである。この刊だけが書き下ろし
だったのだが90歳をこえた杉浦氏の各線は
震え、壮絶なマンガとなっていたらしい。
しかも解説に湯村・輝彦!!
調べれば調べる程に欲しくなり、また
すぐに手にな入らないことがもどかしい。
気ながに探さなくてはならない。

12、決定版ヘタうま大全集

ブルース・インターアクションズ co095 初版2005年、日本
私の敬愛する湯村・輝彦=テリー・ジョンスンの作品集。
「きんてりの100%バックリ海開き」
ネーミング一つとっても圧倒的である。そして白黒ページは
活版刷り。印刷が荒々しく、細かい字は読めない。
591ページにびっしりと過激な内容がつまっている。
背表紙は小さな青い円の中にリスが栗をもっている。
「クリとリス印」
やっぱりすごいなとため息が出た。
空山基なんかもチョロっとしてるけど
センスは比でない。で、その空山さんの作品集に
テリーの言葉のっていて、エロビデオ送って下さい
とあったりする。

13、ジョン・レノン・レジェンド

河出書房新社 c0073 初版2003年、日本
かなり前から気になっていたものでついに購入。
内容的にはほぼ全て暗記に近いレベルで知って
いるが、欲しかったのは「おまけ」のグッズ
なのだ。ジョンにまつわる様々な印刷物の
レプリカが入っているのがミソだった。
中学生のジョンが書いた手作りの新聞
「デイリー・ハウル」や、ハンブルグ渡航間際
の証明写真。直筆歌詞ノート。
いくつかは持っていたが、今回のものはリアル
さが違う。紙の破けまで再現している。
納得の一冊となった。

以上がこの一か月少々の間に購入し、吸収した
作品群であり、私から身ぐるみを剥いだ魅惑
のアイテムである。※ワイルド・パーティー
のみそれ以前に購入。

まさにこの栄養が食べ物であれば私は肥満と
なっていることだろう。
模様替えをしなくなったエネルギーがセンスの
吸収へ向かっていることを心地よく思っている。


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アメリカ

2005-06-04 | 思想
PROLOGUE

先日、私は関西方面へ神社めぐりの旅行をしてきた。
山道を延々と歩き神社に辿り着く。
そこは静けさと神聖な空気に包まれていた。

熊野本宮大社、伊勢神宮この二社はまさに別格。
多くの参拝者が参っていたが、それを飲み込む
圧倒的な存在感があった。

宿坊に寝泊まり、神秘体験を期待した私
だったがそういったことは何も起こらなかった。
只、未来へつながるヒントを得たような気がした。
静けさの中に。

旅の終わりに、私は記念として愛知万博へ
足を伸ばす。人生一度行けるかどうかの機会だ。
友人からヨルダン館の死海に浮くといいよ、との
情報もあり、行くことにした。
ついて早々、死海浮遊体験を申込み1時間半の
待ち時間があったのでアメリカ館へ向かった。

神社めぐりで日本の心を感じた気になっていた
私は、現在の危機的状況を回避する手段が見えた
ような気がしていた私は、このアメリカ館で
脳天をかち割られた。

アメリカ

私はアメリカが大好きである。
アメリカの精神が大好きである。
それはどういうことか。

世界は覇権をもつ国によって方向付けられる。
古くはローマ、「パクス・ロマーナ」
ローマの平和という意味だ。圧倒的に強い国
が存在する世の中には小競り合いはない。
絶対の秩序が生まれる。この繁栄は200年続いた。

続いてイギリス。「パクス・ブリタニカ」
ウ゛ィクトリア朝は全世界を支配したといっても
過言ではなかった。白人中心の世界はこの時に
完成した。国家、金融、商工業。現在の社会の
骨組みを作った。120年続いた。

そしてアメリカの時代。「パクス・アメリカーナ」
基本的にはイギリスのスタイルを継続させているが
工業の革新により文化は華やいだ。
チャンスは広がりアメリカン・ドリームもおとぎ話
ではなかった。1930年から'60年まで、若者を魅了
したのがアメリカだった。

現在もアメリカの世の中ではあるがそこには
すでに覇権国としての価値はない。
'60年代中盤には文化はほころびはじめていた。
アンディ・ウォーホールはいち早くアメリカ文化
崩壊を露呈する。過剰な消費社会をひにくった
作品のメッセージは強烈だった。ここで誕生した
ポップ・アートによって白人文化は終止符を
打たれた。音楽面の話は前に書いたが、とにかく
センスある若者は「アメリカの平和」を拒絶した。
ビートの精神はやがてヒッピー文化を生み出す。
そしてブラック・パンサー率いる黒人の解放運動。
混沌が忍び寄っていた。

経済面でも徐々に衰退しはじめ'70年代後半には
あきらかに繁栄している国ではなかった。
それでも覇権国でいなければならない苦痛。
スティーウ゛・マックィーン、ジャック・ニコルソン
ロバート・レッドフォードやデニス・ホッパー。
彼等の映画を観ると痛感する。しかし、その矛盾もまた
男を感じさせるものがあり'79年生まれの私
などにすれば憧れの大人像はまさにそういった
ところにあった。フリー・アンド・イージーの
世界。

'80年代に流れが少し変わる。日本が経済成長を
続けた結果、そこに富が生まれた。世界の金が
東京へ集中する。バブル状態を巻き起こす中
金融のプロたちはかなりおいしい思いができた。
その間に、カリフォルニアのヒッピー達は
コンピューター・マニアと共謀し
インターネット上に理想郷を生み出そうとしていた。
余剰資金はそういった新たな産業への投資を
促進させる。

'66年、サンフランシスコのヘイト・アシュベリー
で生まれたヒッピー文化は当初地方へ向かう流れ
だったが、それが U ターン現象で再び都心部へ
流れる。'80年前半のアメリカのすさみようはすごい。
コカインの摂取もかなり広まっていた。
ハイな気分のウ゛ェンチャー起業家が増えていった。
彼等はヤッピーとよばれた。
ヤング・アーバン・プロフェッショナルズ。

基本的に既存の価値感を崩すヒッピー文化は
コンピューター・テクノロジーを手に入れ
新たな世界を生み出した。情報化社会だ。
そして彼等は富を手に入れた。ウィンドウズや
アップルを生み出した、先駆けたのはセンス
の良い若者たちであった。

ハイ・センスな者が駆け抜けた後には金の亡者
どもが同じルートをたどるというのは世の常。
アメリカは'90年代中盤に情報産業を推進させ
再び覇権国らしさを取り戻す。ケネディー大統領
を信奉するクリントンだったからかもしれないが
それには国が潤ったことが前提としてあるのだ。

そして、現在。私は何度もいうように
情報産業は想像するのではなく破壊するものだが
それを多くの人が感じるようになってきた。
ヒッピーの生み出したネット社会に世界は
飲み込まれているのだ。
一番の問題は何か。それは次の世の中を作るセンス
ニュー・センスが見えないことなのだ。

日本に目を向けてみる。
「今は明治維新なみの激変の時代です」確かに。
「しかし、若者は動かない」そうである。
「坂本竜馬のような人間はでないのか」
最後の発言はゴミだ。なぜ、竜馬があれ程動けたが
それは「パクス・ブリタニカ」の時代だっから。
目標は明確。絶対のセンスがあって、国内のもめごと
等は小競り合いでしかないことを知っていたのだ。
そのセンスを死ぬ気で貫いた。

貫く気概がないのではない。
どこへ進んでいいのか分からないのだ。
つまり、今の大人に説教たれる資格はない。
また今さら「ヤッピーの時代です」
「儲けましょう」と寝言をほざく
中年のアピールも空しさが広がるだけ。
早く墓に埋まってくれ。

私がアメリカを好きなのはつい先ほど迄
続いていた覇権国の栄光を感じられるから。
音楽、映画。そしてその周辺の人々の
生活を想像する。圧倒的だったセンス。
遠く離れた日本もそれにつき動かされて
いた訳で、身近にもアメリカの記憶は
豊富にある。一瞬でも今の空しさを
忘れさせてくれる。

神社の旅で日本人の慎みの精神にふれた。
また静寂の中で新たな始まりもあるので
はないかと感じていた。

だが、しかしである。
万博、アメリカ館。
全館(全世界)共通テーマ「自然の叡智」
であるが、アメリカは「~を讃えよう」
というスローガンだった。全体のムードは
日本を中心に省エネ、エコやフランスの
自然の現状を見ての反省というのが主流だった。
アメリカ人はそんなことは無視する。

「今このような繁栄を気付けるのは、自然を
応用したから。自由と平等の精神を忘れてはいけない」
入ってすぐにこう行った内容のショート・フィルムを
観る。画面と座席が連動しており、迫力がある。
風が吹いたり、霧が吹かれたりとアメリカ好みの演出。

エネルギーは「液体水素燃料電池」があるじゃないか!
これまで通り発展していこうぜ!
縮み思考に方向いていた私はこの呼びかけが妙に
響いた。いいか悪いかは別として、アメリカの
無邪気さに改めて気付かされた。憧れのアメリカに。

そしてフィルムは最後にこう言っていた。
「我々は火星を調査しています」
ビンタを食らったようだった。
そうだったのか!
アメリカ人は宇宙に行こうとしてるのか!
だとしたら京都議定書なんかクソだよね。

もうろうとパビリオンから出た私は
時間が来たのでヨルダン館のへ。
死海に浮きながらぼんやりとしていた。
よし、宇宙へ!と言えればどんなに
スッキリするだろう。
「その準備を邪魔する奴は叩き潰す」
利に叶っているし、かっこいい。

憧れのアメリカが見せた野望。
今もって私は困惑している。














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マイ・ルーム 3

2005-06-03 | マイ・ルーム
PROLOGUE

'00年の春に私はJBLのスビーカー、4312B MK 2と
型番は忘れたがサンスイのアンプを手に入れた。

欲しいものは全てが揃った。
その時点での音響設備は6畳程度の部屋にしては
申し分のないスペックだった。

当時、大滝詠一の『ア・ロング・ウ゛ァケーション』
をヘビーローテーションで流していた。
部屋を意識しだしてから、狂ったように模様替え
を繰り返した私だったが今回の配置はある意味
非常に落ちつく空間になっていた。

大学3年の夏を迎え就職活動の準備もその部屋で
行なった。前の模様替えから実に1年がたち、
'01年3月私は旅行へでた。中国シルクロード。

約2週間半程の日程であったと思う。
帰国し、家に着いた私は呟いた。
「部屋を壊そう」

マイ・ルーム 3

すっきりしたかったのだ。
そして大学の最後の年、学生のノリとともに
こだわりも捨て去ろうとした。
第一段、「音楽断ち」
部屋から全てのCD、レコードを出し遠く離れた
両親の経営する店の倉庫にしまった。

JBLのスピーカー、アンプもその店に譲った。
ここから部屋の解体作業は始まった。
私の部屋にはベッドしか置かないと決めた。
机、本等は屋根裏のスットッカーへ。
もちろんブチ込むのではなくそこを部屋として
使おうという計画だった。

旧来の私の部屋は、瞑想の間。
屋根裏は作業部屋。この明確なコンセプト
を忠実に再現しようと決めた。

部屋の中身を出す作業はまさに自分と
向き合うものだった。
新しさを求める私にとって、その作業は
ワクワクする程に新しかった。

約1ヶ月でその部屋は完成した。
まるで僧侶が佇むような空気があった。
頭が冴え渡るような気がした。

屋根裏部屋は、中腰でないといられない
天井の低さであったが、その空間に
本が溢れている光景はまさに
「籠るための部屋」だった。

新たな新境地で心弾んでいた私だったが
その直後の5月にとんでもないことが起こった。
大学の健康診断から、「肺の影」を指摘され
大きな病院で再検査をした。

「結核の疑い」とのことだった。青天の霹靂。
中国か?それともその前行ったニュー・オリンズか?
何はともあれ病気が病気なだけに私は即隔離された。
結局、検査の結果なにも出なかったが予防法で定められた
治療を1年間続けるハメになった。

強いクスリをのみはじめ、私の気分は徐々に
すさみはじめる。
検査入院から戻った時、自分の部屋がまるで
病院の一室のように思えた。

スッキリさせるはずの部屋は病んだ私を
狂気へと誘った。
大好きだった北の窓からの光も只寒々しく
ベッドしかない部屋で横たわる日々が続いた。

そして夏、私は音楽を求めレコード屋の
試聴コーナーにいた。
アンクル・クラッカーの『フォロー・ミー』
乾ききった体に音楽を注入していたその時
肺に激痛が走る。

翌日病院にいくと「肺気胸」と診断された。
即入院、すぐに胸に管を通されベッドから
動けない体となってしまった。
ここにきて私は両親にCDウォークマンを
運んで欲しいと頼む。音楽解禁だ。
そうでないとやっていけなかった。
欲しいアルバム名を列記し、妹に託す。

大滝詠一の『ゴー・ゴー・ナイアガラ』
を久々に聞いて驚く程興奮した。それが
病室だったからかもしれないが、とにかく
音楽が嬉しかった。
タワー・レコードは正しい。
ノー・ミュージック、ノー・ライフだ。
逆らった私は愚かだった。

一週間半程で退院し、私は部屋に
Technicsのコンポを戻し、最低限の音楽を運んだ。
「全てどかす」ことに必死だった
私の頭はシンプルではなくねじ曲がって
いたのだと気付く。

この後も再び「肺気胸」になり手術を経験したり
結核治療のために等で、病院通いの日々だった。
しかし、病室でのノーマルな暮らし新鮮
だった。終盤には献立表の裏に絵を描くゆとり
もでてきた。そしてこんな生活の中でも就職は
内定をもらい、卒論も病室で仕上げられた。

'02年2月、病を克服した私はシルクロード帰り
にも増してふっ切れていた。
そんなさなか父から一言。
「家を安くで借りれるけど、一人暮らしするか?」

一人暮らし。
唐突に出てきた話に驚きつつも
未知なるものへの好奇心が
ふつふつと沸き上がった。

つづく
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