Sydney Yajima


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今の市場について

2015-09-10 16:58:07 | 経済
私に、今の市場について、どう思うのか?
という意見を求められた。
より、詳しく 私の意見を書いてほしいとも。
また、私が、悲観的だと思うが、自分はそうは思わないとも、書いてあった。


私がどう思うのか?
ということが、いったい どれほどの人にとって役に立つのかは分からない。
なぜなら、私にはなんとも思っていないからだ。

私の書くことは、それ自体、情報から練りだしたものでしかなく、情報は、私の出会った様々な友人たちから聞くことが多い。
彼らが考える情報は、十分に裏付けが取れているものではない。
その代わりに、血が滴るほどに生々しい。

私はそういう肉が好きなだけだ。

乾いた肉は、ハイエナが食えばいいと思っている。

私は、そういうものに、興味をそそらないのだ。

エサの群れがあちこちに移動するように、市場も絶え間なく動く。
今日は悲観的な空気が流れていても、明日は違うかもしれない。
そういうことを、一定の一つの考え方とバイアスで推し量ってほしいなどと言うことは、高い塔のてっぺんから飛び降りても死なないで欲しいというのに、等しい。
つまり、経済は生き物で、生き物は絶えず動いているということなのだ。

私は多くを知らないかもしれないが、すくなくとも、経済という生き物に対して、リスペクトしている。
それを評論するなどとは おこがましい。とさえ思う。
今まで私は評論しているつもりはなく、ただただ、怖れながら、自分の水晶玉に映っている景色を書いているに過ぎない。

したがって、私には意見などない。

例えば、これからは、ゴールドの時代ではないだろう。
と私が書けば、それは、私の意見のようにとらえられるかもしれないが、そうではなく、時代がそうなっているということだ。

ゴールドが オンス当たり1000ドルを割る日が、そう遠くない日に来るだろう。
と書けば、そういうふうに私の水晶玉に映っているということに過ぎない。
私の意見ではないのだ。

中国の経済が悪くなるというのは、私の意見で悪くなっているのではなく、輸出量、輸入量 鉄道輸送量、そこから推し量れるおおよその実体経済、そしてその実体経済とかい離した、市場経済が、いつまでも継続できるとは思えない。というところを、多くの友人たちが語り、それでも中国に魅力があるということも、また、事実として書いているに過ぎない。

中国の魅力は、より将来において、市場が十分に開放的になり、しかもきちんとした法整備が欧米並みか、もしくはそれ以上に整備されたときに、本領を発揮するだろうとは、もっとも右翼でタカ派の米国経済学者でも同意するであろう議論だ。
しかし、そうはならない。と私は言っている。
なぜなら、そうすると困る勢力が中国の中枢を握っているからだという冷静な意見だ。

そういう状況なら、欧米はどう中国と向き合おうとするのか?
と言う点についても、おおよその形を見ることができる。
だが、そこから先の議論は、こんなところに、ぺらぺらと書かかない。
書くはずもない。
せめてGSMの中だけで書く程度だ。


9月10日

2015-09-10 16:33:47 | 経済
昨日、大きく上げた日経平均が、今日は 大きく下げた。
こういう状況を、市場では方向感のないボラティリティーが続いていると表現するかもしれないが、言葉遊びに過ぎない。
事情は世界経済全体の中で、一定の方向を見出そうとすることが、難しくなっている。
こういう時、ほとんどの経済学者やアナリストたちは、雇用状況に頼ろうとする。
雇用が、一定であれば、ある程度のボラティリティーを吸収できると考えるからだ。
実体経済と、市場経済のかい離が進んでいるのは、なにも中国に限った話ではなく、米国や日本でも同じ状況がある。
実体経済は、失われた20年と言われる時代であっても、日本はさほど悪くなかった。
もし、日本がゼロ金利をやめて、為替が強くなりすぎないように、さらにマネーサプライを増やす政策を取れば、市場経済は地方の金融が潤うことによって、良くなる。
理由は、日本のPBRの低いところを見ていると、地方のバンクが上位に集中していることだ。
もし地方の銀行・・・例えば 高知銀行あたりが今倒産すれば、PBRは0.22程度なので、株主は大儲けできるという理論上の話もなりたつ今の狂った相場に、喝を入れることができるのではないかと、私は思うのだ。
田舎の銀行に十分に資金が回るようになり、それを積極的に貸し出して、地方経済に起業ができる環境を作ると、様々なアイデアが生まれてくると思えるからだ。
それは、TPPをにらんで、今までの 農業経営では立ちいかないと考えている農家にとっても、新たな手法や、生産方法を模索したり、試験的に導入してみることや、漁村においても、大学などと共同で、新たな養殖事業に取り組むといったことも、資金さえあれば、やれるところは、たくさんあるはずだ。

日本のおかしいところは、例えば、最近の消費税の還元2%の議論でも、還元センターなるものを作り、そこから、還元させるシステムなどと、財務省の天下り先を先に作るという自分たちのことを優先する、クレイジーさが、おかしくさせている。しかも、4000円程度を上限とするなどと聞いたとき、私は思わず吹き出してしまった。
馬鹿か?
と思ったのだ。
あるいは、
恥ずかしくないのか?
とも思った。
4000円なんて、車のガソリンを満タンにすることさえできない程度の金額だ。
みみっちい

こういうダイナミックスさもなく、保身優先のおバカさんが、官僚をしている国に、どんな未来が創造できるか、考えてみればいい。

私は、昔どこの町にもあった、牛乳屋さんを思い出す。
牛乳屋さんは、あちこちに配達し、そこで、わずかな利益を得ていた・・・ものだった。
しかし、今はどうだろう?

町に牛乳屋さんが姿を消して久しい。
なぜなのか?
それは、町の牛乳屋さんに、ダイナミックな発想がなかったことと、彼らがリスクを冒してでも、さらに新しい風を吹き入れなかったこと、そして、実行力もないまま、細々と家族経営を続けているうちに時代のかなたにとりのこされてしまったことだ。

今、日本の官僚は、かつて町にあった牛乳屋さんに似ている。
新しい風を吹き入れることもなく、ダイナミックな発想もない、さらに、ちまちまと、東大出身の家族でごそごそと物事を決めている。

本当の意味での日本の改革は、定年を72歳に引き上げることだ。
すべての公務員の年齢を72歳にまで引き上げれば、少子高齢化の波をいくらか和らげることができる。