悪夢の始まり

2008-10-31 01:58:52 | 思い出
 家の家族が事故にあったのは7月初めです。

 ここからは若干前に書いたことと重複することがあるかもしれません。
 
 ある朝、家に電話があって、下の自転車置き場で事故にあった、今救急車で病院に搬送されるからと管理人さんから電話が来たところから始まります。

 それは私に今すぐ来い。救急車に同乗して行けということでしょうか。
 実家と言っても近いですから駆けつけられない距離じゃありません。

 この日、2時間後には仕事の約束がありました。その時間までに戻れるんだろうか。不安に思いながら行くしかありません。

 救急車の中の本人は至って元気で、足がまるで動かない。骨折してるみたい~。とぼやいていました。

 引き受け先の救急病院が決まり、救急車は出発します。
 この時も本人は至って元気です。

 けれど私の頭の中はずっと非常ベルが鳴り響いているみたいなものです。
 骨折、動かすことが出来ないと言うのならそうでしょう。
 ある年齢に達した者が骨折すると言うのはそのまま寝たきりになる可能性もあるということです。

 それに仕事、キャンセルするにはきつい状況がありました。

 病院に着き、検査の結果を待ってる間もこちらはすることがありません。仕事相手の方に連絡を入れ遅れるかもしれない旨を伝えました。入院の可能性が徐々に高まっていました。
 そうすると入院の仕度で一時家に戻り荷物を持ってこなければならない。これではもう間にあいません。

 結局入院となり、道具を揃え再び病院に戻ります。この時も本人は元気でした。

 次の日、仕事で行けなくて入院した2目に行ったのかな。
 そこにはベッドに寝かされた家族の姿がありました。つなぎのパジャマを着せられ、身体はベルトでベットに固定されています。
 両手には鍋つかみのようなものをされ、その鍋つかみの手首の辺りに包帯が軽く巻かれベッドの策にくくられ、自由を奪われていました。

 それを見た時、ショックで貧血を起こしました。

 あれは私の本当の悪夢の始まりでした。

 夜中に暴れたらしいんですね。一見元気そうに振舞っていましたが事故のショックと環境が変ったストレスがそうさせたらしいです。

 怪我は足の骨折ですから今は固定する必要があります。なのに混乱を起こして「帰りたいと」動き回る、それをさせない為にそういう処置をしたのだと思います。

 つなぎも鍋つかみもで拘束もされていましたが、経験のある方はお判りと思いますが共に鍵のついたもので脱ぎ着も鍵を開けてするというものです。

 それが私に更なるショックと不安を与えました。

 その現実がまず受け入れられず私はそのまま胃痛と吐き気で同じ病院の内科にかかりました。胃潰瘍まで心配されそういう薬をもらいました。

 あれは・・・どんな言葉でも語りつくせないショックでした。
 誰を責める・・・そういうことではないんですが、そういう現実に突然局面したと言うのは身体が全身で拒否反応を示したいた通り、それ以外の何物でもありませんでした。
 
 そしてこの時、年齢的な問題もあるし、骨折だから必ずしも元気になって退院すると思わないで欲しいと言われていました。違う余病が出る可能性があるし入院する=元気になるってことじゃない。だから今から最悪の場合のことを考えていて欲しい。逢わせておきたい人がいるなら連絡をして欲しいと言われていました。

 だからここまでこれたのは、いい結果だったと思います。
 結局違う病気も出てしまい、転院やらいろいろ問題はまだ山済みですが、ここまで来れたことは私は本当に嬉しいのです。



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