大根と春菊

2007-12-31 19:10:32 | 日記風
 お夕食のメニューです
 大根と春菊。そして、すき焼きのたれ 残り物処理です。

 今年は12年に1度の当たり年の筈・・・が、何もなく。
 普段なにも努力してないってことが自分自身に暴露したような。
 
 何もないってことが幸せだったのかなと思う。

 しかし特に後半何もなかった

 それでも私としては、何十年越しで、心のけじめがつきました

 東京は 良い天気でしたが、地方は 雪も降り大変な所もあるようですね。
 けれど、今日で全てリセットして

 来年はオリンピックイヤーなんだ。だからみんなあんな騒いでたのかとここまで来て知りました。

 来年のこと、なにも考えられない
 明日のことを考えるだけで精一杯

 みな様にご多幸多きありますように

 そして、私も、幸わしづかみでありますように

私はここにいるから

2007-12-31 13:04:35 | 日記風
 相談され屋さんになっちゃってる。友人が言ってたことがある。
 「辞めよう」と思うと、みんなその人の所に相談に来るらしい。
 去ると心の何処かで決めている人に、最後、「どう思いますかね」と確認を取るように答えを求められるのもたまったもんじゃないでしょう。

 飛び立つ方にしても、不安だからいろんな確認をとろうとするんだけど。
 とられる方はたまったもんじゃないでしょう。

 不思議なことに今まで私は飛び立っていく方だった。
 それが何故か、今、飛び立たれる方になってきている。
 何故だろう。

 その時になって初めて、飛び立たれる、残されることの寂しさって言うのを感じる。

 飛び立っていく方も、風の具合を見たり、本当にこの羽根で力強く羽ばたけるのか、行き先に何が待っているのか、不安なんだけど。
 残される方にしてもその羽音を聞き、浮き立つ心を見詰めるのもけしてたやすいことじゃないな。
 
 1番脅えて傷ついているのは残される側なんじゃないか。
 
 飛び立つ方は夢に浮かれて、そんな心にはけして気づかないだろう。立場が変って初めて気づくこともあるもんだ。
 
 夢見れることは幸せだ。
 
 それまでの生活を淡々と繰り返していく方は大変だ。

 でもそれしかないんだし。残ることに幸せがあるかもしれないし。

 飛び立つことばかりを考えていた私が、残ることを考え出した。
 だったら、私はここにいるから、自由に羽ばたいてくれば?と思っている。
 

そんなあんたの物語

2007-12-31 00:00:03 | 日記風
 今年が終わるなんて信じられない。

 戯曲塾って、来年2月末に1回作品を出すのですね。
 でもなんとなく、どう書いたら良いのか最近判らなくなった。だったらいっそ年内は書くのは止めようと思った。

 でも12月31日でしょ。だったら1月1日からは書くってことじゃん。
 時間的に言っても、そろそろやった方がいい。
 明日からやるんだ。そう思ったらおちおちしていられなくなった。

 何故私がこの時期ハリポタを読み始めたかと言えば、そこら辺に理由がある。物語に慣れる、ね。できれば日本語で最初から書かれてるものの方が良かったけど、相性が良かったみたいだから、いいはいいんだけど。
 
 ブログの更新回数が増えたのもここら辺に理由があったりする。 
 
 なんか心の底が冷え冷えとする寒さなんだな。

 もうぶっちゃけて言えば、なんじゃらほいって気分なんだ。

 「あんた、根本的なところで考え直した方がいいよ。」
 「あんた、暗いのよ。」
 
 って自分の奥底からビシビシ声が飛んでくるんだよな。
 
 ハリーポッターと比べたらいけないのかもしれない。
 ここで、大きなつまずきが生まれたのかもしれない。

 面白い物語を書けるならどんなことをしてをしてもいい。なにをさらしたっていい。恥なんて幾らでもかいてやる。
 そうなんだけど。
 
 しかし、なんじゃらほいだろうな。
 今の気持ちは。

 ちょっとだけ優しい私の声はそっと呟く。
 「あんたはあんたでいいんじゃない」
 「あんた、ちょっと抜けててズレてるじゃない、そんなあんたの物語でいいんじゃない」
 
 そういう抜けた所・・・。
 
 そういう抜けた私らしさに上手く翼がはえればいいのかな・・・。
 そういう私は、確かに他にいないだろうしな。

 なんじゃらほい、だな。
 
 ぐつぐつと鍋がもえたぎって新しい魔法の薬が生まれるように、私の心の中からもなにかが生まれるだろうか?

 

頭の中の魔界

2007-12-30 19:11:48 | 日記風
 年末年始にハリーポッターシリーズを  読破しそうな勢いです。
 只今、3巻目まで辿り着きました。

 いやー、年齢的な問題なのか、私も魔法使いになりたいっ、と思わないのが幸いです
 
 今頃の季節の、日本全国の主婦は魔法が使いたいとせつに願うことでしょう。
 家のお母様などそうです。三が日は主婦を休ませる為におせち料理などが存在する筈なのに、そこへ辿り着く数日の方が余程忙しいと言う・・・

 でも物事上手く行く時って、まるで魔法にかかってるようにスイスイ進みません?
 恋した時とか、まるで魔法にかかっているようなパワーを出しません?
 
 そういう意味では普通の人間にも十分魔法って使えるのでは・・・。
 
 どうもある頃から、疲れていると言うのか、なーんにもやる気が起きない日々が続いていたのですが、ふと原因が判ったような・・・。
 
 ライバルがいないからでは?
 競うってある意味大切。
 去年の今頃、凄い元気だったの。何でかって言ったら「絶対こいつに負けたくない」って人がいたから。

 今、いないのかも・・・。

 そりゃ年がら年中戦ってたらそれも疲れるんだけど。
 恋においての嫉妬心がちょっとした薬味の役割を果たすように。
 ライバルがいるっていうのはいい刺激剤にはなる。とにかく何を何処まで頑張らなくっちゃって、目安にはなるから。

 ・・・それがないのか・・・。

 なくてもいいから頑張りますっ。
 頭の中に仮想ライバルを作ってでも

 元気になろうって気になるのが、何より1番大事みたい
 

スターのパワー

2007-12-30 00:13:42 | 日記風
 ここ数日に渡ってフィギアスケートが放送されていました。

 スケートが出来ればつらいことなんかない。

 フリーの演技、この4分間で全てが変る。

 選手が、アナウンサーが様々な言葉が放送から流れてきました。
 
 会場のお客さんの声援にパワーをもらって。
 
 選手達がそう言っているのが凄いなって思うの。フィギアの選手なんてみんな10代か20代前半が大半でしょ。その年齢でそれだけのことが判ってるんだから凄い。
 
 私より精神的にはみんな大人なのかな。
 
 人より前に出るって、人から自然に背中を押されて、なのかもしれない。
 それには、本人の誰よりも頑張っている姿が人の心を動かす。

 中学生の頃、徒競走に自信のなかった私が、ふいに「頑張れっ」ってクラス中の声援を受けて却って緊張した。
 で、転んだ
 「頑張れっ」って声に萎縮したのね

 でもそりゃ逆だったな

 本人に力がないとそんなことになってしまう。
 私は大丈夫って思ってないとね。
 
 つか先生の本によく出てくる台詞だけど、
 『スターの華とはなにがなんでも最後をハッピーエンドにする力なんだ』(銀ちゃんが逝く)
 と言うのがあります。

 みんなの声援をパワーにできる力のことだろうな。

 私ってなんだろう?と思い、自分の全貌が見えない時期が長く続きました。意味のない苦しみが続きます。それはある種の喪失感を呼びます。
 自分の名前や現状や過去は判っている。
 でも自分が本当は何者か判らない。なんとも心もとない状態です
 
 私もちょっとずつ色んな方の声をパワーに代えてきています。
 もう「頑張れっ」の声に転んだりしないように

 思えば、ここへくるまでにずい分長い時間が掛かった気もする。
 けれどきっと行き着いてしまえば、ほんの一呼吸してるくらいの時間でしかないのかもしれない。

一期一会

2007-12-29 18:46:30 | 日記風
 友達にとても素敵な言葉をもらいました。
 それが何かは内緒
 
 頑張れってメッセージね

 一期一会なんだなってしみじみ思うの。
 誰であれ、出会え一時期を共にする。けどそれは本当にその一瞬の出来事。
 出会っては別れ、別れては出会い。

 そうすると一生を共にできる人なんて本当に限られている。
 親だったり、子だったり、夫婦だったり。

 でも親や子ですら縁の濃い薄いがある。色んな事情で別れて、それで何十年なんてことがない訳じゃない。
 まして夫婦と言えばもっと脆いものを含んでいるかも。

 その時、一緒に入れる人が良くも悪くも最高の人なんだな。
 
 そう思ったら共に一生、絶対離れないのは自分1人しかいないんだなって思う。
 
 自分1人って言うのも変な話しだけど、生れ落ちて、ゆりかごから墓場まで、自分の全てを責任を持って受け止めるのは自分1人だけ。
 
 そう思ったら、まず自分を愛せよって言うのは納得の行く言葉だなと思う。
 
 一生一緒の自分1人を愛せずして、何故他者を思えるのか。

 今日はいい言葉をもらって嬉しかった。
 涙ぐんでしまうくらい嬉しかった

 

I Love you

2007-12-29 00:11:02 | 日記風
 やっぱり素敵な台詞の1つや2つ考えたいじゃない。

 こりゃ練習だと。
 当然実体験であればそれに越したことはない。

 ないが・・・ない場合は飛び切りの、「言われたーい」って奴を自分で考えればいい

 ってことで。
 
 一時、「ILoveyou」を使ったタイトル作りに励みました。

 密かに言われてみたい台詞でしょう?
 ドラマにに「ILoveyouからはじめよう」って言うのがあった。これっぽいのにちょっと乗ってみようと思った。

 「ILoveyou」からどうちゃらこうちゃら。前でも後でもいいんだけど、なんか言葉つけて、ああー、アイライブユーよね~ アイラブユーだわ~ って。夢があるかなって
 
 でもある時を境に無駄かも?と思った。
 だって、「ILoveyou」って言葉だけで既に結構長いんです。 それにその前後に言葉をつけるって・・・。「ILoveyouは独り言」って言うのは、既にあったタイトルだったか・・・ちょっと忘れたけど。

 そしたら矢井田瞳さんが「ILoveyouの形」って曲を出されたんですね。
 あー、これがあったのかぁ。「形」何だ。こんな簡単な言葉でひょいと作ってしまっていたんだ・・・。

 ちょっと情けない

 只今は「ILoveyou」を使ってのタイトル作りには励んでおりませんが・・・。
 練ってはみたんだけどね~

 「Iloveyou」は殺しのサインとか言っちゃったら、ロマンチックと程遠いしな~

 苦手だわ。「ILoveyou」攻撃

真冬の蕾

2007-12-28 20:31:25 | 日記風
 なんの花だ?判らないけど、なんかだ。
 もしかして蕾かな?

 物事何が幸いし何が災いするか判りません。

 不思議なことに暇な時は暇なくせに忙しい時は忙しい。連絡にしても、誰からな~にもない時は何もない癖に、ある時はある日まとめてドンと来る。

 ばらけてくればいいものを

 こんなにのんびり過ごせるのも今だけかも? と思う。
 
 (それが既に大きな勘違いかも知れない?

 それでもこれだけのんびりした時を過ごせるのは、やっぱりないかなって思う。

フランダースの犬の「今」

2007-12-28 13:17:50 | 日記風
 有名なアニメ、「フランダースの犬」について考えた人がいる。
 ベルギー地方に住む監督が、何故、あの作品は日本にあんなにウケるかについて考えた。

 「フランダースの犬」と言えば。可哀想な少年ネロと犬のパトラッシュが、大聖堂のルーベンスの絵を最期に見て、天に召されていく物語。涙なくして語れない話
 その前のシーンを全く知らずして、そのシーンを見ただけで号泣できる不思議な、そして貴重な作品です

 なのに、欧州や米国では信じられない  感覚なんですって。
 欧州では、彼らは負け犬。米国では5回くらい筋を変えて(ハッピーエンドにするべく変えて)制作されている。

 日本人だけなのよ。可哀想、ネロ、パトラッシュと泣いてるのは

 それで何故だろと、前出の監督が考えた所が、「日本人には滅びの美学がある」と言う結論に達した。
 
 確かにねー。友人の為に自分が挫折してもそれが正しい的な感覚あるものね。自分を犠牲にしても助ける的な所が日本人だもんね。
 
 滅びの美学だったのか。
 
 私がわりとミステリーを好きなのもここら辺に実は理由がある。ミステリーのラストって「哀」でしょう。犯人が明かされて動機が明かされる。屈折した人間心理がその罪を犯した。
 『私は幸せになりたかっただけなのに・・・』
 そういう所が、私にとって「哀」であり、ついつい求めてしまう所なのね。

 同じだ・・・と思う。

 けど、何度も、ラストをハッピーエンドに作り変えてまで制作してる米国にしても、結局この物語にはまってるって、点では変らないと思うな。

 微妙な国民性が話のラストを左右したいんだろうけど。
 それだけ、みんな「フランダースの犬」が好きなんだ 
 
 只今、ハリーポッターシリーズを読み耽っています。やっぱりイギリスだね~、 て思う。
 良いとか悪いとかじゃなくてね。色んな癖がイギリスっぽい。
 
 私も、ネロとパトラッシュが幸せになるパターン私も見てみたいと思う。
 それもあり、かな。