Pacifica Radio(出典)
演説で支援者に囲まれるロバート・ケネディ
若くして大統領に就任したがジョン・F/ケネディ(以下JFK)兄の就任中は司法長官を務めていたのは弟のロバート・ケネディだった。
JFKはダラスを訪問中にオズワルドにより、暗殺をされた。
弟のロバートは、兄の悲劇を乗り越え、のちに大統領に出馬するが、あちこちで演説しているとき、彼もまた暗殺されるという悲劇に見舞われた。
その事件から6月で50年が経つ。
それを前に息子のロバート・ケネディ・ジュニア氏(64)は犯人として逮捕されたパレスチナ系移民サーハン・サーハン受刑者(74)と面会をした。
彼は殺人罪として終身刑で服役している。
ジュニアは、このサーハン受刑者に「あなたが父を殺したとは思わない」と言ったという。
面会に同席した受刑者の代理人ローリー・デュセク弁護士が発言した。
事件が起きたのは、1968年の6月5日だ。
支援者に演説しにLA市内のホテルから出る際、報道陣から逃れるために厨房を通って出た。
ここでロバート・ケネディは銃撃され、翌日息を引きっとった。
兄のJFK共々、犯人については諸説がある。
少し前の話になるが、米国人としてはCIAの関与が考えられる一方、JFKの暗殺はマフィアを取り締まろうとしたロバートの行動が、怒りを買ったといわれている。
元々、ケネディ家の父がマフィアに金を渡し、JFKの当選があった。それなのに自分たちの望みが叶えばいいのかと、マフィアが逆襲に出たという説だ。
そもそも殺したかったのはロバートだったが、ロバートを殺せば、兄で大統領であるJFKが絶対に犯人を捕まえる。だからJFKを殺してしまえば、当時司法長官だったロバートは力を失う。それゆえの大統領暗殺だったという説が大方を占めるようになった。
またその後、JKFが殺害され50年が過ぎると情報が公開されるので(JKFの場合は全てが公開されないといわれていたが、当時調査したウォーレン委員会の調査資料が多くは黒塗りにされたまま公開されている)実際に行動に出たオズワルドが実行犯で、その裏には当時争っていたキューバのカストロとその支持を受けた荒くれの集まった兵士隊の一部がが彼を助けていたとされる説が今は真実ではないかといわれるようになった。それでも、何故、その後警察で、ルビーがオズワルドを刺したのかの説明はできない)
ロバートに話を戻すと、息子のジュニアは再捜査を望んでいるという。
これを受けてか、代理人のローリー・デュセク弁護士も、改めて関心を持ち、捜査をしてほしいと発言している。
このジュニアの受刑者との面会があったのは昨年12月19日だ。ジュニア自身の希望で実現した。約3時間の面会の中でジュニアは、サハーン受刑者にあなたが殺したとは思っていないということを伝えた。
もちろん、サハーン受刑者はこの発言にとても喜んだ。
ジュニアが彼が犯人でないという根拠は、サハーンの銃は8発しか装填されない。しかし13発の弾が発射されていること、至近距離で撃たれたことなどが挙げられている。サハーンはロバートの近くにはいなかったという目撃証言がある。
ほかに暗殺にかかわった人間がいるのではないかと、当時負傷した人物らの証言も集め、再捜査を求める動きに出た。
ジュニアとしては、米紙ワシントン・ポストで「間違った人物が有罪になるとしたら心が乱れる。司法のトップだった父もだろう」と語った。(このときは面会の詳しい内容は載せられず、毎日新聞での代理人が詳しい内容を話している。やはり同国では言いにくいこともあるのだろうか?)
ジュニアとサハーン受刑者は握手をかわした。ケネディ家で受刑者に会ったのはジュニアが唯一の人物だった。
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