生肉を食するのは世界の常識?

2012-03-31 21:00:00 | 日記風
 生の牛レバーが夏にかけてダメと決まったらしい。

 残念に思っている方も多いだろう。


 ところで、世界でも生肉って食べるの?


 食べる国は少ないと意外と多いという意見に別れてきた。


 でもあると言えばあるよ。

 韓国でもクッパがその代表で去年問題になっていたと思う。

 中東も食べる。トルコではチーキョフテ、レバノンではクッペナイエという生肉のミンチにスパイスを練りこんだものを食べるらしい。
 だが、高級料理に入るから現地でも食することができるのは決まった人々とか決まった日になるようだ。

 エチオピアもキットフォーというひき肉にスパイスを練りこんだクッペナイエに近いものがあるそうだ。こちらは油を軽く通すようだ。チーズをつけ合わせると更に美味しいらしい。



 そして更に見てみると、普通にヨーロッパでも食されていた。
 イタリアのカルパッチョ、フランスのタルタルだそうだ。

 日本でもカルパッチョって食べるけどあれって生?多分違うんじゃないかな。そうだと思ったことなかった。

 北極圏では冷凍肉をそのまま食している。



 つまりとれてからの人の口に入るまでの課程が長いと菌が発生する確率が高くなるということらしい。
 自分の家で調理するとか、とれたてを食する感じだと問題ないようだ。


 朝方食べるということもあるようだ。やはり危ないことを考えると朝になってしまうようだ。



 でも、日本で出勤前から生肉とはいかないですからね。

 自分で買ってきて調理すると言ってもそれまでに通る工程が長いので、その時点で安全とはいいがたくなっている。


 そういうところに問題がある、らしい。




 私はあまり食べる…食べたことがあるか?という状態なので…せいぜい馬刺しくらいだからね。

 あまりショックではないんだけど、ショックな方はショックな夏になるようです。

台北にはフルーツ鍋があるらしい

2012-03-31 18:00:00 | 日記風
 フルーツ繋がりですが、台北市には「フルーツ鍋」があるらしい。

 フルーツ鍋?

 鍋になる?

 フォンディもチーズどころか、チョコレート、ストロベリーだったかな…、もあるそうだから、鍋にフルーツが入ってもおかしくない?

 しかもフルーツだけ入ってるわけでなく、肉、魚も一緒に入ってるらしい。暖かいお鍋に入るパイナップルやりんごのフルーツ類。

 
 うーん、どんなもんなんだろう?


 


 ソースはピリ辛系と自家製のフルーツソースを添えたものと2種類あるらしい。

 日本ではウケるかどうか判らないが、台北だから気候も違うしね、食習習慣も違うってところなのかしら。

 お試ししたいかというと微妙だわ~。


 って食べてみたら意外と美味しかったりして。

 これはどちらかというとお食事じゃなくてケーキとかスイーツ感覚なのかな。カフェにあるらしいですよ。

 すると余計、フルーツ以外のものが入るのが謎のような気もする。


 半食事って感覚かしら。


 ある所でこの記事を見つけた時はランチタイムって書いてあったからお食事なのかもね。


 酢豚にパイナップルを入れるかどうかで話がはずむ国だから、日本ではちょっと違う、海外名物かもしれませんね。

風が怖い

2012-03-31 15:00:00 | 日記風
何故だろう。心の安定を失ってる。

疲れが出る時期に重なっただけかもしれないがどこか去年から続くごたごたに終止符が打てない状態も心の重みになっている。


一生懸命になるほど全てがから回り状態だった。


誰が悪いんでもない。
考え方の違う同士が出会って違う土俵のまま話をすれ違わせていただけかもしれない。

それだけだったのかもしれない。

でも疲労感とすれ違う気持ちは失望だけを私に残し、それが極まれば怒りになる。

どうしようもない。


時を待つしか道はないのかもしれない。

新たな出会いや、動きたいと思う時を待つしかないのだろう。

この時間は過ぎれば短いが待ってる間は長く感じるものなんだよ。
そこをイライラでつないでもしょうがないが、今は気持ちのコントロールもままならない。

こういうときが1番面倒だ。

それでも慌てず騒がす待つしかないのかな。

表を吹き荒れる風は風の中にいるより耳で聞く方がより迫力があり怖い。

この耳できいている風の音がそのまま私の隠せない今の心だ。

新たなスター ざくろ

2012-03-31 13:00:00 | 日記風
 やっぱり多い、ざくろの話題。

 女性にとっては若い方から年齢を重ねた方までいい果物と言われています。美容、女性特有の部分に対してね。
 他国ではわりと有名だったんだけど、日本で知られるようになったのは最近って言うのが不思議ですね。

 なんで入ってこなかったんだろう。


 アカデミー賞、エミー賞で出るカクテルもざくろを使った物が出るらしいですよ。


 ざくろ、地位確立してる。


 基本的に、肌にいい、不妊にいい、更年期障害に効くというアイチエイジングが定説だけど、これに効くってことは…。

 胸も大きくなるらしいです。


 女性にとっては本当に万能ですね。


 日本のざくろは美味しくないけど、外国のものは美味しいらしいです。

 だからちょっとしたデコレーションにも使われるようです。


 日本人にとってのいちご感覚でしょうかね。

 赤いから彩りとしては最高ですよね。



 大概ジュースとして飲むことが多いですが、今年は外国産のさくろがそのまま入ってくるという情報もあるので、それをいただくのもいいかも。

 ただ、女性に効果があるのは、実ではなく種ですからね。だからジュースにした方が楽に摂れる感覚になるんですね。


 昔は近所の庭に植わっていたのがざくろって感覚だったけど、これからはもっともてはやされる、ざくろモテキがやってくるんでしょうかね。

風強し、心に吹く風更に強し

2012-03-31 09:06:52 | 日記風
風強い。でも寒いわけではないんだよね。

しかしなんだ。スタジオに着くなり私1人トラブル。最近着てないからなのか大抵なにかが現場で起こる。

やになるがこれもしょうがない。

花だけは優しく咲いてる。
風に揺るがない桜になりたい。

早く起き過ぎてる朝は

2012-03-31 05:43:20 | 日記風
 今日は仕事なので早く眠ったが、こんなに早く起きる必要性があるとは…。

 でも覚めてしまう。

 なんなんだろう。


 今日は雨が降るとか言っている。春の嵐と言っている。


 こんな日に出たくないなぁ。



 しゃーないか。

 行き帰りだけで後は建物の中と諦めよう。


 もう1回眠りたい。後4時間は眠れるはずなのに…。



 でもここのところライ麦パンに慣れてきましたよ。その方が食べやすいくらい。ナッツ類などが入っていたりするから食パンと違ってバターやジャムが必要ないのね。

 そういう意味でも楽。


 ただお値段がね…。ちょっとお高めです。



 今日で3月も終わり。明日から4月信じられないわ~。


 2月3月はどこへ行ったのかしら?記憶にない(笑)

宝塚100期生40人合格

2012-03-30 18:00:00 | ニュース
 宝塚と言えば日本を代表するところだけど、今年は100期生です。

 続いてますね。その人気の高さと今の子を掻き立てるエネルギーってどんなんだろう?


 女優として永遠のステイタスを持つ夏目雅子さんの姪の方も今年合格したそうですね。年齢もあるでしょうが、99期、100期生っていうのはそれだけで、凄さが倍増しそう。


 私は憧れることもなく通ってきちゃいましたが、小さい頃からバレエや歌を習って何度も受ける方もいらっしゃるから。



 違うところだけど私も劇団、入った。凄いかどうか、演劇ヲタにしか判らなかったりして?


 でも嬉しかったです。本当に嬉しかった。



 宝塚じゃ、比べ物にならないくらい嬉しいんだろうな。


 これからたくさん大変なこともあるでしょうけど、それを越えて素晴らしいタカラジェンヌ、しいては女優さんに成長していくといいですね。

 選ばれる人の栄光だものね。

 無事宝塚に入学すれば年100以上の舞台に立つことになるそうだ。それも想像できない。



 そういう人生もあるんだなと遠くから少女たちの綺麗な嬉し涙を画面越しに見ています。

IT企業続々徳島にサテライトオフィス

2012-03-30 15:00:00 | ニュース
 今、IT企業にとって徳島が熱い。

 ITってPCがあれば仕事ができちゃう。その特性を活かし都心から郊外へ引っ越すことがあるそうだ。

 その中でも注目株が徳島県。

 光ファイバーなのかな、インタネットの設備は万全なのに、過疎で使う人間がおらず実は東京の5倍の速さで繋がるそうだ。


 だから本社は東京にありながら、サテライトオフィスを開き、移動するIT企業が増えているのだ。


 古民家に仕事場を借りそれぞれがPCに向かう。寝起きも自然一緒になる。

 仕事の合間は緑の中を散策しつつ都心の交通地獄からも解放されている。



 綺麗事ばかりじゃないだろう。大変なこともあるだろう。それこそ人との繋がりも濃くなる。逃げ場のない環境も生まれてるかもしれない。


 それでも東京中心に行動するよりいいんじゃないかと思う。PCがあればいつでもそれを通じ、都心とも連絡が取れる。その利点は大きいだろうね。



 なにより彼らがいる街、村にお金が落ちる。そして都会から若い人が来れば街に活気も出る。

 なにかをしてみようという気持ちもまた生まれる。

 そこに交流が生まれれば想像しなかったことが生まれるかもしれない。それが新たなビジネスや人とのつながりを産む可能性を秘めている。

 なにがどこでどう転ぶか判らない。若いからできる試みかもしれない。

 新しい企業だからできる試みかもしれない。



 将来を担うのは若者だ。彼らの意識が代わり国を引っ張っていけるだけの力を持てば日本にも新たな道が生まれるだろう。

 それを大いに期待したい試みだ。

フルーツソムリエも登場

2012-03-30 13:00:00 | 日記風
 ソムリエと言えば、ワインしかなかったが、今はいろいろなソムリエがある。

 野菜ソムリエ、それしかり。

 今度はフルーツソムリエが現れた。フルーツアドバイザーということになるのだが、これは一般の人は受験できないそうです。あくまで果物屋さん向けの資格。

 でも持ってるお店だと、ちょっとお話をうかがって気にいれば欲しいな~と思います。

 取るには果物の内容だけでなく、土に対する知識、産地、接客の仕方、贈答に対すること、全てに通じてないとダメだそうです。

 成人病予防も果物でできる。そうですよね。ビタミン大事だもんね。それも教えてくれる。


 その内、一般にも普及してくるのかな。そしたら取りたいと思う女性が多いような気がする。


 このどちらかと言えばフルーツは取らない私。

 そう、皮をむくのが面倒だとか、甘みならチョコレートやお菓子に走ってしまう。それに付け合わせのフルーツしかいただかない。


 ダメよ、そんなことじゃ…って思ってもなかなか変わりませんね。


 フルーツって結構お値段張ることあるから。

 そこで当たり外れがあるってきついですよね。

 見極め方はいろいろ紹介されてますが、自分で店で1人でするとなると…難しい。

 それがフルーツ離れの一因にもなってるのかな。

 本当はちゃんとフルーツからビタミン摂った方が絶対いいですけどね。



 とりあえず今はトマト缶を片づけないと。

 フルーツはそこからです。

家族の死を迎えること…少女と男性のバトル

2012-03-30 02:00:00 | 思い出
 私は哲学科の出身だ。

 昔のこととなるが、同好の徒が集まった時、なんでそんな話になったのか、家族に死についての問題になった。


 ある3,40代の男性は、家族を普通に朝送りだしたのに、数時間して電話がかかってきて事故で亡くなったと言われたそうだ。
 ご本人からすれば普通の朝、普通に送りだしたのに何故その日だけその結末が出たのか、納得できない。せめて亡くなるにしても看病する間があったのなら、もっと自分の気持ちの整理がついたのではないか、そういう趣旨の話をした。


 そこへ20代のお姉ちゃんが反論を繰り出すわけだ。
 彼女は中高生の多感な時期にお父様が数年病気で入院なさっていた経験がある。


 家族が入院するということはそれが、子どもであれ、祖父母、親であれ、いるというだけで負担がかかる。時期が長くなればなるほど負担は増大する。

 ここで一致団結して…という家族はとても少ないと思う。

 それほど家庭の中は疲弊する。

 費用、いつ治る。もう治らない。色々な事情があって疲弊は大きい。時期が長くなればなるほどその度合いは増す。

 一時団結して闘っても…もしくは誰か1人が奮闘してもそのあと家族が壊れる、そういう話はたくさんあると思う。


 そういう時に弱い者の所へどうしても全ての負担が行く。中にはペットという家庭もあるが、いなければ子どもに行く。彼女の場合もこのケースに当たったのだろう。

 彼女は数年寝ついている入院している父に「死んでしまえ」といったという。


 せめて看病できれば…ある朝普通に家族を送り出し永遠に会えなくなった人からすれば看病できれば…という後悔が残るのは判る。

 でも、父親の病気のせいで多感な時期に精神的な負担がかかり、金銭的な問題もあるからいろんなことに我慢を強いられた彼女の気持ちも判る。




 どちらも今も苦しんでいることに変わりはないんだ。


 父親にそこまでいわなくてはならなかった少女の気持ちは追い詰められていた。しかし言ってしまったことに後悔は残る。(お父様はそのあとしばらくして亡くなっている)

 せめて看病していたら…その間に気持ちの整理がついたというもの一理あるんだろう。

 何故あの朝だけ違ったんだろう。そう思い続ける心に答えはないんだから。



 どこまでいっても平行線の話だ。

 家族をどんな形で失うにしても、どんな思いを抱いていたとしてもその苦しみは比較するものではない。



 私は医療という仕事を選ばなくてよかったとだけ思っている。

 子どもの頃から親が医療関係の仕事をしていたから病院に出入りすることは多かった。
 ○○さんのお嬢さんがきてるわよと診療をしてる脇の控室で親が仕事を終わるのを待っていることも多かった。

 だから、露骨な看護現場というものを見ている。

 話が飛ぶかもしれないけど、看護師同士も亀裂、看護師と医師の戦い。医師同士の何とも言えない関係性。いろんなことを見ている。

 それを見たせいで幼い頃入院経験がありながら「将来は看護師さんになりたい」となど1度も思えなかった。


 生命を扱う現場には生の人間同士のぶつかり合いがある。

 そこに入院する患者がおり、家族がいる。


 恐ろしいほどの感情が渦を巻き人1人を飲みこもうとする。そこに日常のように生死の問題が絡んでくると言葉もないものだと思う。けれどそれに慣れてしまえば当たり前のこととなり、日常と化す。

 その日常と化すもよく判らない。


 20代の彼女はずっとその一言を言ってしまったことを心に持って行くだろう。多感な時期に苦しんだことも忘れはしないだろう。

 同じ1日の始まりだったのに、家族を失い悩み続けた男性の答えも出ないだろう。



 どこかで区切りをつける以外道はないのだ。できない納得でも答えを出すしかない。



 たまたま居合わせた場所ではあったが、私も未だに覚えているほどそのことは重い問題だった。


 せめて今、彼女も男性も穏やかに暮らしていてほしいと思う。


 せめて、そうであってほしいと思う。





 私にとっても答えの出ない問題なのだ。