趣味・読書とか言ってるくせに本当に本を読みません。しかも読むとしても1冊を読むという感じでもなくいくつかの本を同時に読み進めております。しかも1回読んだ本を再度読むってな感じで、読書数としては増えていません。
うちの戯曲塾の先生に話したことがあるのですが、どうしても自分の中である1つの壁を越えられない。どうしたら越えられるのかを考えておりますがどうも答えの出ない3年のようです。
以前、井上ひさしさんが戯曲添削塾というのを北とぴあでしていらしたことがありました。書き手は自分の中に根ざしたことを書かないと、いいものには出来ないとか、そんなようなことをおっしゃっていました。要は経験のないことを、物語といえど作品にした所で、なんか納得できないのよねっていうようなことですが、(井上さんのお話というより、私の記憶の中の解釈です。そのお話自体は9年近く前に伺ったことなので、記憶も曖昧でございます)
まあ、そういうことです。今年の初めに少し自分の経験に根ざしたことを作品の中で書いて、書いたはいいが、なんかなぁ・・・って気分にはなっている。
例えばの話ですが、私は三角関係の話を書くのは嫌いです。それは自分に経験があるので、敢えて触れたくないという単純な理由です。更に傷がえぐれることをしたくないって所でしょうか。しかし不倫の話なら書ける。自分に経験がないからです。
でもそれは、逆だろって話です。経験のあることをその経験に根ざして書いた方が俄然説得力が増すし深みも出る。
しかしそれが、なんかなぁ・・・なのです。
あくまで、三角関係か不倫かは、形式のことなので、その奥にある恋愛とか、男の女のことが書けていれば、それはどちらでもいいのです。私はあくまで形式として、三角関係に触れたくないだけだし。
どうも踏ん切りがつかない。着けば書ける話もあるのだけど。どうも着いてない。
ペンネームを使えばなぁと思ったけれど、それは小手先ですからね。使おうが使うまいが、書く生身の人間がその裏にいるわけで、顔を出すからONか出さないからOKかって問題とは違うのよね、本質的に。
どうも踏ん切りがつかない。踏ん切りじゃないのかも知れない。結局己の傷と再び対峙したくないだけかな・・・。
だったらそれはただの逃げだけど。
と久しぶりに読書に勤しみ、再び問題の根を深めるのです。
うちの戯曲塾の先生に話したことがあるのですが、どうしても自分の中である1つの壁を越えられない。どうしたら越えられるのかを考えておりますがどうも答えの出ない3年のようです。
以前、井上ひさしさんが戯曲添削塾というのを北とぴあでしていらしたことがありました。書き手は自分の中に根ざしたことを書かないと、いいものには出来ないとか、そんなようなことをおっしゃっていました。要は経験のないことを、物語といえど作品にした所で、なんか納得できないのよねっていうようなことですが、(井上さんのお話というより、私の記憶の中の解釈です。そのお話自体は9年近く前に伺ったことなので、記憶も曖昧でございます)
まあ、そういうことです。今年の初めに少し自分の経験に根ざしたことを作品の中で書いて、書いたはいいが、なんかなぁ・・・って気分にはなっている。
例えばの話ですが、私は三角関係の話を書くのは嫌いです。それは自分に経験があるので、敢えて触れたくないという単純な理由です。更に傷がえぐれることをしたくないって所でしょうか。しかし不倫の話なら書ける。自分に経験がないからです。
でもそれは、逆だろって話です。経験のあることをその経験に根ざして書いた方が俄然説得力が増すし深みも出る。
しかしそれが、なんかなぁ・・・なのです。
あくまで、三角関係か不倫かは、形式のことなので、その奥にある恋愛とか、男の女のことが書けていれば、それはどちらでもいいのです。私はあくまで形式として、三角関係に触れたくないだけだし。
どうも踏ん切りがつかない。着けば書ける話もあるのだけど。どうも着いてない。
ペンネームを使えばなぁと思ったけれど、それは小手先ですからね。使おうが使うまいが、書く生身の人間がその裏にいるわけで、顔を出すからONか出さないからOKかって問題とは違うのよね、本質的に。
どうも踏ん切りがつかない。踏ん切りじゃないのかも知れない。結局己の傷と再び対峙したくないだけかな・・・。
だったらそれはただの逃げだけど。
と久しぶりに読書に勤しみ、再び問題の根を深めるのです。