フランダースの犬の「今」

2007-12-28 13:17:50 | 日記風
 有名なアニメ、「フランダースの犬」について考えた人がいる。
 ベルギー地方に住む監督が、何故、あの作品は日本にあんなにウケるかについて考えた。

 「フランダースの犬」と言えば。可哀想な少年ネロと犬のパトラッシュが、大聖堂のルーベンスの絵を最期に見て、天に召されていく物語。涙なくして語れない話
 その前のシーンを全く知らずして、そのシーンを見ただけで号泣できる不思議な、そして貴重な作品です

 なのに、欧州や米国では信じられない  感覚なんですって。
 欧州では、彼らは負け犬。米国では5回くらい筋を変えて(ハッピーエンドにするべく変えて)制作されている。

 日本人だけなのよ。可哀想、ネロ、パトラッシュと泣いてるのは

 それで何故だろと、前出の監督が考えた所が、「日本人には滅びの美学がある」と言う結論に達した。
 
 確かにねー。友人の為に自分が挫折してもそれが正しい的な感覚あるものね。自分を犠牲にしても助ける的な所が日本人だもんね。
 
 滅びの美学だったのか。
 
 私がわりとミステリーを好きなのもここら辺に実は理由がある。ミステリーのラストって「哀」でしょう。犯人が明かされて動機が明かされる。屈折した人間心理がその罪を犯した。
 『私は幸せになりたかっただけなのに・・・』
 そういう所が、私にとって「哀」であり、ついつい求めてしまう所なのね。

 同じだ・・・と思う。

 けど、何度も、ラストをハッピーエンドに作り変えてまで制作してる米国にしても、結局この物語にはまってるって、点では変らないと思うな。

 微妙な国民性が話のラストを左右したいんだろうけど。
 それだけ、みんな「フランダースの犬」が好きなんだ 
 
 只今、ハリーポッターシリーズを読み耽っています。やっぱりイギリスだね~、 て思う。
 良いとか悪いとかじゃなくてね。色んな癖がイギリスっぽい。
 
 私も、ネロとパトラッシュが幸せになるパターン私も見てみたいと思う。
 それもあり、かな。

 


最新の画像もっと見る