有名なアニメ、「フランダースの犬」について考えた人がいる。
ベルギー地方に住む監督が、何故、あの作品は日本にあんなにウケるかについて考えた。
「フランダースの犬」と言えば。可哀想な少年ネロと犬のパトラッシュが、大聖堂のルーベンスの絵を最期に見て、天に召されていく物語。涙なくして語れない話
その前のシーンを全く知らずして、そのシーンを見ただけで号泣できる不思議な、そして貴重な作品です
なのに、欧州や米国では信じられない 感覚なんですって。
欧州では、彼らは負け犬。米国では5回くらい筋を変えて(ハッピーエンドにするべく変えて)制作されている。
日本人だけなのよ。可哀想、ネロ、パトラッシュと泣いてるのは
それで何故だろと、前出の監督が考えた所が、「日本人には滅びの美学がある」と言う結論に達した。
確かにねー。友人の為に自分が挫折してもそれが正しい的な感覚あるものね。自分を犠牲にしても助ける的な所が日本人だもんね。
滅びの美学だったのか。
私がわりとミステリーを好きなのもここら辺に実は理由がある。ミステリーのラストって「哀」でしょう。犯人が明かされて動機が明かされる。屈折した人間心理がその罪を犯した。
『私は幸せになりたかっただけなのに・・・』
そういう所が、私にとって「哀」であり、ついつい求めてしまう所なのね。
同じだ・・・と思う。
けど、何度も、ラストをハッピーエンドに作り変えてまで制作してる米国にしても、結局この物語にはまってるって、点では変らないと思うな。
微妙な国民性が話のラストを左右したいんだろうけど。
それだけ、みんな「フランダースの犬」が好きなんだ
只今、ハリーポッターシリーズを読み耽っています。やっぱりイギリスだね~、 て思う。
良いとか悪いとかじゃなくてね。色んな癖がイギリスっぽい。
私も、ネロとパトラッシュが幸せになるパターン私も見てみたいと思う。
それもあり、かな。
ベルギー地方に住む監督が、何故、あの作品は日本にあんなにウケるかについて考えた。
「フランダースの犬」と言えば。可哀想な少年ネロと犬のパトラッシュが、大聖堂のルーベンスの絵を最期に見て、天に召されていく物語。涙なくして語れない話
その前のシーンを全く知らずして、そのシーンを見ただけで号泣できる不思議な、そして貴重な作品です
なのに、欧州や米国では信じられない 感覚なんですって。
欧州では、彼らは負け犬。米国では5回くらい筋を変えて(ハッピーエンドにするべく変えて)制作されている。
日本人だけなのよ。可哀想、ネロ、パトラッシュと泣いてるのは
それで何故だろと、前出の監督が考えた所が、「日本人には滅びの美学がある」と言う結論に達した。
確かにねー。友人の為に自分が挫折してもそれが正しい的な感覚あるものね。自分を犠牲にしても助ける的な所が日本人だもんね。
滅びの美学だったのか。
私がわりとミステリーを好きなのもここら辺に実は理由がある。ミステリーのラストって「哀」でしょう。犯人が明かされて動機が明かされる。屈折した人間心理がその罪を犯した。
『私は幸せになりたかっただけなのに・・・』
そういう所が、私にとって「哀」であり、ついつい求めてしまう所なのね。
同じだ・・・と思う。
けど、何度も、ラストをハッピーエンドに作り変えてまで制作してる米国にしても、結局この物語にはまってるって、点では変らないと思うな。
微妙な国民性が話のラストを左右したいんだろうけど。
それだけ、みんな「フランダースの犬」が好きなんだ
只今、ハリーポッターシリーズを読み耽っています。やっぱりイギリスだね~、 て思う。
良いとか悪いとかじゃなくてね。色んな癖がイギリスっぽい。
私も、ネロとパトラッシュが幸せになるパターン私も見てみたいと思う。
それもあり、かな。