1968年3月1日、原水爆禁止の運動の大会、3・1ビキニデー集会に江東区の代表が参加し、第五福竜丸が夢の島で沈みかかっていると報告、その保存を提案した。新聞やテレビが取り上げた。
3月10日の「朝日新聞」読者欄に投書が載る。
「沈めてよいか第五福竜丸」
―第五福竜丸。それは私たち日本人にとって忘れることのできない船。決して忘れてはいけないあかし。
知らない人には、心から告げよう。
忘れかけている人には、そっと思い起こさせよう。
いまから14年前の三月一日。太平洋のビキニ環礁。そこで何が起きたかを。
そして沈痛な気持ちで告げよう。いま、このあかしがどこにあるかを。
東京湾にあるゴミ捨場。人呼んで「夢の島」に、このあかしはある。
それは白一色に塗りつぶされ、船名も変えられ、廃船としての運命にたえている。
しかも、それは夢の島に隣接した15号埋立地にやがて沈められようとしている。
だれもがこのあかしを忘れかけている間に。
第五福竜丸。
もう一度、私たちはこの船の名を告げ合おう。そして忘れかけている私たちのあかしをとりもどそう。
原爆ドームを守った私たちの力でこの船を守ろう。
今すぐに私たちは語り合おう。このあかしを保存する方法について。
平和を願う私たちの心を一つにするきっかけとして― 武藤宏一
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静岡県焼津港の遠洋マグロ漁船第五福竜丸は、1954年3月1日マーシャル諸島のビキニ環礁で行なわれたアメリカによる水爆ブラボーの実験で死の灰をあびてしまう。
戦後生まれの私は、第五福竜丸という言葉をどこかで聞いたことがあるなという位だった。
1954年水爆ブラボーのせいで、第五福竜丸の船員が急性放射能症にかかったこと。海が汚染されてマグロから強い放射能が出て、それが原子マグロと呼ばれていたことも勿論知らなかった。
さらに水爆ブラボーにより、鹿児島、京都、東京に放射能雨が計測されたことも。