チカクラ先生もドーワ近くの貧しい村の出身だった。ABCCAに職を得る前はドーワの初等学校で先生をしていて、わずかな給料で妻と四人の子供を養っていた。が、飢餓のときには、村全体が深刻な被害を受け、先生の父親や数人の生徒も含めて多くの人々が死んだ。
チカクラ先生は、なんとか家族を食べさせ、少しでもいいもの与えたいと思い、マラウイ陸軍に入隊しようと、リロングウェ行きのミニバスに乗り込んだ。が、まさに陸軍の門を抜けようとしたその時、携帯電話が鳴った。
何カ月も前にABCCAに提出していた奨学金申請が受理されたという、いとこからの知らせだった。
その数年後、妻と四人の子供たちの見守る中、三十歳になったチカクラ先生は胸を張って卒業式の壇上を歩いていた。
その後さらに大学に進み、母校の教師になったのだった。
「困難というだけでやる気をなくしたり、諦めたりしちゃ駄目だ」とチカクラ先生は言った。
「私を見てごらん。大学へ行ったのは三十を過ぎてからだ。やりたいと思うなら、どんなことでも心をこめて一生懸命やりなさい。
そうすれば、いつか夢は叶うものだ」
風をつかまえた少年 14歳だったぼくはたったひとりで風力発電をつくった
ウィリアム・カムクワンバ/ブライアン・ミーラー