ベートベンは耳が聞こえなくなるという絶望の果てに歓喜を見出し、アンゼルセンは14歳の時に俳優になる為に、少しのお金しか持っていないのにコペンハーゲンへと旅立った。ゴッホは貧乏と絶望からかみそりで耳をそぎ落として、その後ピストル自殺を図り亡くなるが、死後11年後に絵の価値が認められた。ベートベンとゴッホ、絶望の果てに歓喜を見出すことが出来る人間と、自殺してしまう人間の間では心の動きの何が違うのだろうか? 例えば一億円の借金があろうとも死なない人間もいれば、将来を悲観したり、いじめや病気が原因で自殺したりする人もいる。死を選択するかしないかという一線を越えない境界はどこにあるのだろう。 原発事故で放射線量の高い地域に住んでいる人達は、家や仕事やお金を失うことよりも大切なことがあることに気付いているのだろうか。アンゼルセンのように夢を持っていたり、大切な家族と一緒に暮らせたりするということや、命さえあれば出来ることがあるということを。植物や動物に異変が現れないかどうか、注意深く観察していかないと。 被災地では孤独死が増えている。それは阪神淡路大震災でも経験していたのに、今回の震災では活かされていなかった。残された人間の中には生き残ったことへの罪悪感を持つ人がいる。多くのものを失ったことに対する喪失感と無力感。自分よりも若く希望にあふれている人達の方が先に亡くなってしまったことに対する気持ち。なぜ自分ではなかったのだろう。神様天国に連れて行く相手が違います。 過去の扉を開きすぎると前に進めなくなってしまう。一度生まれた感情は、同じような悲しい経験を再度した時にフラッシュバックして甦ってくるかもしれない。 音楽番組をずっと見ていないので、ラジオを聞いてこの曲の存在を知ったけれど、どこかの知らない誰かの為に曲を作って励まそうとしている。自分が気付かないだけで、誰かが自分を励ましてくれているということを知ってほしい。 You Tubeより 『RESTART』