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塹壕(安全壕、斜壕)
入口は非常に狭い。
入口は狭いが
中は、人一人が立って歩けるぐらい高さがある。
泥は入って来ているが、ゴミ等はなく保存状態が良い。
通路が右方へ曲がっている。
出口が見えた。
短い穴です。
出口も非常に狭い。
外に出て、周辺を観察すると
溝(通路)がある。
海にいる敵から発見されない様にこの通路を行き来する。
海から来る敵の動きを監視、または上陸して来た際に撃退する為に塹壕を築いた。
浅いので、匍匐前進でないと敵に発見されてしまう様だが、長い年月で土砂が入って浅くなってしまっているのだろう。
1945年4月頃から建設し始め、終戦が8月なので、塹壕、交通壕・斜壕にしては、規模が小さく中途半端なので、長い年月で埋没している点もあるだろうが、構築途中で終戦になってしまったのだろう。
獣道が港側へ下りていたので、港側から山を上がって来れた様だ。
入り組んだ岬を獅ュ利用して、敵が発見し難い要塞を作った。
*大東亜戦争末期、日本への石油の輸出が止められており、物資、人材不足、戦力の差から、玉砕が続き、追い詰められた日本海軍は、特攻作戦を考案しました。
2015/5/24
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塹壕(安全壕、斜壕)
入口は非常に狭い。
入口は狭いが
中は、人一人が立って歩けるぐらい高さがある。
泥は入って来ているが、ゴミ等はなく保存状態が良い。
通路が右方へ曲がっている。
出口が見えた。
短い穴です。
出口も非常に狭い。
外に出て、周辺を観察すると
溝(通路)がある。
海にいる敵から発見されない様にこの通路を行き来する。
海から来る敵の動きを監視、または上陸して来た際に撃退する為に塹壕を築いた。
浅いので、匍匐前進でないと敵に発見されてしまう様だが、長い年月で土砂が入って浅くなってしまっているのだろう。
1945年4月頃から建設し始め、終戦が8月なので、塹壕、交通壕・斜壕にしては、規模が小さく中途半端なので、長い年月で埋没している点もあるだろうが、構築途中で終戦になってしまったのだろう。
獣道が港側へ下りていたので、港側から山を上がって来れた様だ。
入り組んだ岬を獅ュ利用して、敵が発見し難い要塞を作った。
*大東亜戦争末期、日本への石油の輸出が止められており、物資、人材不足、戦力の差から、玉砕が続き、追い詰められた日本海軍は、特攻作戦を考案しました。
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