豪農・富農
田畑、山林など多くの土地や財産を持ち、その地方に勢力を持つ農家
当該廃屋は、豪農と言うには、若干規模が小さい感があるが、それでも立派なお屋敷であり、現役時は相当な勢力を持っていたと思われる。
この場所は、出入り口だ。
二階部分は、20畳ほどの大部屋と四畳半の小部屋がある。
一階は、居間、台所、納屋などがある。
ちなみに右側に立っているのは、道祖神。
入って左側に母屋がある。かなり大きい屋敷だ。
老朽化が進んでおり、家具など、残留物はない。
瓦屋根ではないのが、少々残念だ。
敷地全体を観てみる。
正面が門で、右側が母屋。
成長した木が歴史を感じさせる。
門側から訪問させて頂こう。
玄関だろう、トタン板で塞がれている。
建物横が崩壊しており、ウェルカム状態だったので、そこから入ったら台所だった。
鍋や笊、液体の入った瓶等が残っていた。
奥を見ると、冷蔵庫、炊飯器、古そうな台がある。
壁が新しいので、壁が傷んだ際、補修したのだろう。
その奥には、雰囲気を出した居間が見える。
「待ってました!と言った感じだ。」
左手には、暗いが、鏡台がある。
そして先へ行くと
急に明るい場所へ出た。目の前に大きな食器棚がある。左側は..あれ?玄関らしい。 土間だ。門の表側の玄関だ!裏側と表側に玄関がある。
右側は、さっき見えていた居間がある。
「昔は、みんなこんな感じだったんだな~。今は、味気ない建売住宅が流行りだもんな」
皿、茶碗、湯飲み等がある。
居間
囲炉裏がある。
こう言う家は、うん十年振りに来た。
「障子戸だが、中学生でも肝試しに来たのだろう、この家の障子は、全部破かれている。」
私も中学生の時、悪ガキどもと近所の空き家によく忍び込んで、障子にママレモンぶっかけて歩いた事がある。近所の大人は、私達グループがやったとは薄々気付いているが、誰も言ってこず、いきなり学校へちくられていた。(笑)すいませんでした。
でも子供の頃入った空き家が、今でも在って、人が住んでいるんです。懐かしい。
裸電球と障子と梁
鴨居の壁は補修してある。
二階へ上がってみよう。
今にも抜けそうで弱った階段を「ミシ、ミシ、ミシ」とそっと上がって行く。
左手に四畳半程の部屋がある。
小さなテーブルがり、上に裁縫箱?が乗っている。
押入れもある。
フラッシュを焚いているので、明るく映っているが、実際は暗い。
ちょっと薄気味悪い。
また裸電球だ。
ここも壁は補修してある。
大部屋だ。20畳ほどある。
宴会や話し合い、寝床に使ったのだろう。
床の間がある。
鰍ッ軸や日本人形、兜などが飾ってあったのだろうか?
何やら散らかっている、廃墟にある書類等を調べると、色々分かるのだが、どうも気が進まない、縁をもっちゃうのが嫌で。(ノリノリの時は、チラ見して来るが)
民家は、旅館と違って、また風流でいいですね~。
けっこう暗い。汗
下へ下りよう。
「ミシ、ミシ」抜けないかとハラハラする。
さりげない飾り窓がまた風流だ。
次は、母屋を観てみよう。
しかしでかいなあ
玄関から屋内を観る。
柱や梁が立派。
門の方と母屋で生活が出来るので、大家族だったのだな。
敷地の片隅にこんなものがあった。
この家を模した社に神様を祭っってある。
*おそらくここは、絶えてしまったのか、農業を止めて引っ越したのだろう。
母屋の方は、かなり崩壊してしまっていて、残留物もないが、昔の大きい木造の民家を観られた事自体勉強になった。柱が太く頑固、土間や、こう言う日本の家は、いいですね。もう一つの方は、まだ残留物が残っており、昭和初期的な感覚が味わえた。
建物の外観を観ると、明治後期から昭和初期以前に建られた物だと推測出来るが、内装を観ると所々改修等が施されている。廃屋も良いものだ。
かなり大きな農家主人談:「今は、契約農家が一番良いよ、必ず買ってくれるわけだから、固定収入がある。昔みたいに個人で市場へ持って行ったり、売るなんて、大変だよ、難しいね。今無農薬野菜ブームで、スーパーやレストラン等と契約が取れるのは、良い事だ、うちもそうだけど、うちは間に○Aが入ってるから、そこでかなり叩かれちゃう、儲けが少ない、うんと出荷しないと儲けが出ない。あと、仲間でやるんだよ。一杯作って、儲けは分けるんだよ。まあ、店と直契約なら良いけどね。中間マージン取られないから。うちは、大きいから儲かってる方だが、近所の農家は、止めちゃった人が多い、会社員になった。子供らもサラリーマン。会社員が楽で良いですよ。それか、アパート、マンション、駐車場をやったりする。私らはもう年だから、この代で終わらすか、本気で後を継いでくれる人が現れれば継いでもらっても良いが、きびしいよ農家は、あははは。」
2008/12/18キムラ、ハヤト
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