恩師のご著書「思いの中に生きる」より
喜びの体験記
心に響く「実践者の言葉」 K.I.
謹啓 先日はご多忙中に拘わらず、特に時間を作って下さり、
貴重なお話を聞かせて下さいまして有難うございました。
早速お礼を申し上げねばなりませんところでしたが、風疹にかかった娘の
ところへ手伝えに行き、毎日孫の幼稚園の送迎をして日を重ね、遅くなり
誠に申し訳なく、心からお詫び申し上げます。
高橋信次先生がお帰り(昇天)になられてから、いろんな先生方のお話を
お聞きしていて、
「行じなければ結果は出ないのだ」とか
「正法は実践しなければ意味がないのだ」という言葉を何度となく聞かされて来ました。
それは当然すぎるほど当然なことでありながら、心にしみ込むものがありませんでした。
今回、多くの方々からのおすすめにより長尾先生のお話を拝聴させていただき、
その同じ言葉が強く心に響き、反省させられたのです。
何故、長尾先生からお聞きしたら心に響き、他の先生方からお聞きしたら、
言葉が素通りしていくのかと考えましたら、簡単な答えが出てきました。
それは「話される方が自ら日常行じていられたかどうかの違い」だったのです。
長尾先生は、信次先生がお帰りになられてから更に深く反省され、八正道を
実践されていた。
他の諸先生は、信次先生ご在世中の実績により、日々の反省もなく、また
八正道の実践もなかった。
ある先生は「私は反省しなければならないことがないので、自分自身のことに
ついて反省したことは一度もない」と、ある方に公言されているのです。
その心の奥底に愛の心があったかどうかです。
五月八日の長尾先生のお話をテープでお聞きしたのですが、
(言葉は違うかもわかりませんが)「両親が悲しむことをしてはいけない。
両親が喜ぶことを考えて、そのとおり実行しよう」とおっしゃる長尾先生は、
その通り実践された。
既に十六歳で家を出られた頃から、もちろん信次先生を知られる以前から、
正法を実践されていたわけですから、
それは長尾先生の天性のようになっていられたのですね。
そうして信次先生に師事され、その教えを追求し、行じられたのですね。
~ 感謝・合掌 ~