恩師のご著書「思いの中に生きる」より
喜びの体験記
次々と寄せられる喜びの体験談 T.N.
合掌 ご慈愛に感謝致します。
先便で歌集をお送り致しましたが、その後で文字サイズを大きくしましたところ、
この方がきれいで読み易いようですから、いずれ印刷される先生にとって
役に立つかどうか判りません、一応お送り致します。
Y氏からは何度も電話がありまして、とても喜んでおりました。
二月に浄心庵へ行くことを楽しみにしているようです。
帰ってから種々のことがあったようです。
I氏は何度も泣いておりました。
電話でも泣いておりました。
人がいなかったら、大声で泣いたと思います。
その時までの彼は地獄の苦しみであったようですから、喜びも大きかったことと思われます。
高知から行った者も電話で話し合っておりますが、この感激がさめないうちに
もう一度ということで、明日三十一日に食事をしながら、この間の浄心庵での
ことをおさらいすることにしております。
私たちの喜びは到底、言葉で表すことは出来ません。
ただこれからは先生のお教えを日々の生活の中でどう生かして行くか、
ご慈愛に応えることの出来る自分作りあるのみと存じております。
一層のお導きをお願い致します。
ありがとうございました。
一層のご自愛をお祈り致します。
合掌
(追記)
これは蛇足でありますが、この間の夕方、
私はワープロを一生懸命にやっておりましたところ、家内がご飯が出来たよと言いました。
月に一回ぐらいのビフテキが焼けたところでありました。
「腹へった―」と言って食卓につきました。
ところがその時、電話のベルが鳴りました。
待っていたY氏からの電話です。
彼の喜びが伝わります。
私も喜ぶ、十分、二十分、彼は夢中です。
私も夢中でした。
そして電話が終わった時、ビフテキは冷えてしまっておりました。
家内はまた温めてくれました。
この頃は少し嬉しいことも起こり出したという、満足感にひたりながら再び
食卓につきました。
そしてナイフとフォークを持ちました。
その時二度目のベルが鳴りました。
今度は、I氏です。
彼は泣かんばかりの声でありました。
とても興奮しております。
長い間、夜寝るのが怖かったほどに、彼の苦しみは大きかったと思います。
それだけに嬉しさを堪えていることが苦しい位に喜んでいることがよく判ります。
彼は嬉しい、そして私も嬉しい。
こちらも泣きたいほどに嬉しい。
感激の極まりのように思いました。
よかったー、よかったーと心の中で繰り返しました。
彼の話はそれだけに時間がかかりました。
嬉しさと興奮いっぱいで、電話は終わりました。
さてそれからもう一度食卓につきました。
もう嬉しさいっぱいでビフテキなんかどうでもよい気分でありました。
もう一度温めようかと家内が言いましたが、もうそんなことはどうでもよい、
とにかく嬉しい、嬉しさでいっぱい。
それにこの小さいビフテキをいもう一度温めると、一体どうなるか、
小さいビフテキがまた小さくなる。
そのうえ硬くなることは火を見るよりも明らかである。
そんなことは小さいこと、小さいこと。
その晩の夕食のおいしかったこと。
これはちょっぴり先生に似てきたかなとご機嫌でありました。
つまらないことを申し上げましたが、これがこの頃のある日の出来事であります。
幸せなある日の出来事を、ついでに申し上げたくなりまして失礼いたしました。
何卒お許し下さいませ。
何でも申し上げたくなる、また言ってもよいように親しく感じられる先生だと
思っているからでございます。
お許し下さいませ。
~ 感謝・合掌 ~