恩師のご著書「思いの中に生きる」より
喜びの体験記
正法の生命は「実践」の中に Y.M.
先生、奥様、お母様、大阪の皆様方のにこやかなお顔を思い浮かべております。
長尾先生、このたびは、目のまわるようなお忙しい中にもかかわらず、
私どもをお寄せくださいまして、まことにありがとうざいました。
深く心に留まる神理のご講話を、大阪の皆様とともに拝聴させていただきました上、
泊めてまでいただき、更に、お忙しい中を差し繰ってくださいまして、
貴重なお話の数々を聴かせていただきました。
何とも恐縮でございます。
本当にありがとうございました。
先生の飾られないお人柄に、ついつい甘えさせていただき、肘触れ合うまでにして、
お写真の説明をしてくださいましたこと、忘れられない思い出となりました。
先生のような悟られたお方の近くに、一時にもせよ、
座ることを許していただきましたことは、まことに光栄でございます。
ありがとうございました。
ご講話のテープも、不思議なことに、
私どもの月例会でのそれと相通じるところがございました。
大変びっくりいたしました。
内容において、その深さにおいて、
もちろん、先生のお話とは較べるべくもございませんでしたが。
人様に対して善なる行いを為すときは、のし紙に自分の名前を入れてはならない。
相手に対する愛と称して、相手の自由を束縛してはならない。
たとい、相手がこちらの意に反して動いても、それに腹を立ててはならない。
それでも、なお、その人の幸せを祈れるようでありたいというようなことを
話し合っておりました。
これは、私が若い頃から容易に卒業できなかったテーマの一つでございました。
そのために、繰り返し、繰り返し、手を変え、品を変えて、学習を迫られて
まいりました。
にもかかわらず、現在もちょっと怪しい時が間々あります。
先生のお若い頃からのお話をお聴かせいただき、いかに先生が、
お心の広い方であられるかがよくわかりました。
新幹線の中で思いました。
高橋信次先生のご昇天後、私どもが無為に十年を過ごしておりました間に、
長尾先生は、着々と正法の実践の歩を進めて来られました。
そして、それが今、こうして大輪の見事な花となられました。
まことにありがたいことでございます。
~ 感謝・合掌 ~