添付のお写真は「モーセの御足を慕って」の恩師「長尾弘」先生の
旅でエジプトからシナイ半島を渡りヨルダンに入って
モーセの終焉の地「ネボ山」に建立されているモーセの
教会を見学して後、カイロ国際空港へバスで移動していた時、
バスの車窓より天空にご覧のようなアラビア語を
この旅に同行されていた学びの友が見られ、
カメラに収められました。
意味は「何かが出現する」との意味だそうです。
キリスト教ではイエス様の再臨を伝道の大切な一つとして
説かれていますよね。
このことに関係することかな(?)とも思ったりもしています。
お写真は恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」
にも紹介されています。(261ページ)
~ 恩師のご著書「愚か者の独り言」より ~
講演集 一
「心はこの世あの世を生き通す」
先の続き・・・
もしあの世があると仮定しましたら、あの世とはどんなものか―――
これを分かり易く言いますと、例えば、
浴槽の中にお湯が一杯入っていると思って下さい。
その中にスポンジボールを沈めたら、そのスポンジに中に水が浸透します。
では、これはスポンジですかと言いましたら、スポンジだけではなくて、
水が入っております。
では、これは水ですかと言いますと、これはスポンジです。
浴槽に水が一杯入っているのがあの世であって、スポンジがこの世です。
この世の中に、ちゃんとあの世も浸透しています。
隅々まで浸透しています。
人は皆、この世で生活をして、いつの日かあの世へ帰ります。
あの世を信じない方は、なぜ親しい方や両親、祖父母が亡くなられると、
お墓参りをしたり、お仏壇の前で手を合わせたりするのですか、
お仏壇では、あの世に行かれた方に対してお参りをしている筈ですね。
お墓のご先祖様、或いは親しい方に対してお参りするわけです。
あの世を信じなかったら、お参りをせず放っておけばいいのですね。
亡くなって、うまく成仏できない方は、スポンジの中から出られないで、
水がくっついているのです。
これがいわゆる迷える諸霊です。
スポンジの中からうまく出た人が、成仏した霊です。
皆さんは「霊」を信じられますか。
霊といえば気持ちが悪いけれど、私達は本来は霊です。
霊というのは私達の心です。
意識です。
肉体がなくなっても、その意識は生きているのです。