浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

有難や米一粒の一粒に
神の御命 我給わらん

「御垂訓」

2020-05-03 23:59:40 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の御著書「講演集」より ~

              講演集 一

       「心不在なれば目にして見えず」


目にして見えず、耳にして聞こえずということばがあります。
見事な満開のさつきの中にいても、別のことに心が集中していたら、
花さえも見えないのです。

もう何年か前、今持っている軽四輪のトラックを購入した時のことです。
ちょうどさつきの花が満開の時期で、私は花が好きですから、
部屋にも玄関にもいっぱいさつきの鉢を置いていました。
そこへ車のセールスマンが来てくれて、
書類に書き込んでいるのですけど、
こちらは側にある花に服がさわって、やれ花が傷まないか、
枝が折れないかと、はらはらしているのに、
本人はそれどころではないのですね。
やっと書類が出来あがって印鑑を押したら、ほっとしたのでしょう。
周りの花にやっと初めて気が付いたのです。
「わあー、きれいな花がいっぱいですな」それで私が
「花が見えなかったのですか」と言ったのですが、
「まったく見えませんでした」という返事でした。

心が或る一つの所に集中していたら、花の中にいても花さえも見えない。
それが売買契約の印を押したとたんに満開の花が見えたのです。
これと似たようなことは、私達の日常生活の中で常に起こっております。
交通事故を起こした方は殆どぶつかった時、
どのようになっていたか分からなといいます。
というのは、心がそこにないのですね。
だらら前に止まっている車が見えないで当たってしまうのです。
信号もそうです。
考え事をしながら走っていますと信号も気がつかない。
信号で前に出たり、対向車とぶつかったりします。
満開の花の中に坐っていて花さえも見えない。
ましてや信号見えなくて当たります。極端になったら、
広い道の真中で正面衝突しているのがありますものね。

これは心が不在だからです。ですから、いかに心が大切なものか、
いつも胸の中にどかっと心を据えておかなくてはいけません。
よく朝の出がけに夫婦喧嘩をして腹を立てながら車を走らせて
ドーンとぶつかったりします。
心が夫婦喧嘩の中に行っているからです。
朝の出がけには、どうか気持ちよく送り出してあげて下さい。
皆さんも経験されるでしょうが、道を通っていて例えば荷物を
早く届けなくては、と思って焦っている時などは、
前の景色がよく見えませんね。
その用事を済ませてやれやれと思うと、心にゆとりが出て、
ああきれいな花が咲いているなあと気付きます。
常に心にゆとりのある日々の生活が大切です。


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「御垂訓」

2020-05-03 00:13:10 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

  ~ 恩師の御著書「講演集」より ~

              講演集 一

        「すべてが実相を表す」


今私達は天の国に住んでおり、住まわせてもらっております。
真に私達の心が安らいで調和されました時、
世のすべてが実相を表してきます。
ありのままの姿で、ものすごくきれいです。
いつ通る道も、そういう心境になりました時は、
草木が輝いてきて、道も家もこれはどうしたことかと
思う程きれいに見えます。

毎日通っている道がこんなにきれいだったかと思うように、
光明に満たされております。
そういうすばらしい姿の中に生きさせてもらっていながら、
私達はその美しさを見ることができないでいます。
なぜかと申しますと、心が曇っているから見えないのです。
私は真に調和された心境になりました時は、その方、その方に応じた
光が出ているのが見えます。
心安らかな方は淡い黄金の光、心いまわしい方は灰色の光、
怒っている人は赤い光が出ていますが、
それらの実相を見ることができます。


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