~ 恩師の「講演集」より ~
講演集、 一
「自分の間違いに気付く」
今まで、自分が正しいと思っていたけど、
とんでもない間違いだったと気付いた時に人は救われていきます。
不思議なもので、私は間違いない、
私は正しいと思っている間は皆苦しんでおられますね。
申し訳なかった、
私は悪うございましたと言って自分の非に気付かれた方は、
苦しみが少なくなっておられます。これは人間の真理であって、
私達の常識と人間の心の中とは反対なのです。
例えば、つまらないことで人の半分ぐらいしか知らないのに、
人の十倍も知っているように自慢する人があります。
偉そうに自慢するといのは一番損な行いです。
人はつい自慢したがる。
自分が偉いと思ってのけ反りますと、
人の心は「なんや、あんな奴」といって、
周囲から引き下ろしにかかります。
自分が上がったら必ず引きずり下ろされます。
できた方が私は未熟者ですと言って下へ下へとさがられますと、
今度は周囲がその人を持ち上げようとします。
自分の思いとは反対になるのですね。
自然界は常に「低く低く生きよ」と教えています。
田の稲穂は実れば実るほど穂を垂れてきます。
「実るほど頭の垂れる稲穂かな」これは自然が教えてくれているのです。
あの垂れた稲穂の中に、つっと立っている稲穂は、籾を開けますと、
中は空っぽです。
若い間に雀が栄養を皆吸ってしまって滓だけが生長して立っています。
ところが実った穂は必ず頭を垂れていますね。
頭を上げている中でも、一番愚かな人は、自分の財産を誇る人です。
これは、より多く持っている人から見たら、
「あの人はあれだけしかないのか」と笑われますし、
自分より少ない人から見たら今度はやきもちを妬かれます。
嫉妬を買って損をします。
自分が過ちに気付いて、その過ちを悔い改めた時、
その罪は許されます。
キリストは「悔い改めよ。汝の罪は許されん」とおっしゃいました。
お釈迦様はこのことを仏教を通して次のように教えて下さいます。
「先に過ちを犯すとも、後に過ちを犯さざれば、
その人の世間を照らすこと、雲を離れて一人輝く満月の如し」と。
私達は先に過ちを犯しても、
のちに犯さなければ世間を照らすことができるのですね。
しかし、過ちを何回も犯したら何にもなりません。