~ 恩師のご著書「愚か者の独り言」より ~
講演集 一
「経文の意味が分かってこそ有難い」
私の家の檀那寺の院主様が私の父の法事に来て下さいまして、
たまたま一緒にお食事をいただきました。
その院主様は大変偉い方で本山の官長をされ、八十歳を過ぎた方です。
私達の幼い頃は道で会いますと気をつけをして最敬礼しました。
すると、おお偉いのうと頭をさすって下さったものです。
緋の衣を着て大変位の高い院主様です。
その院主様に「今、あげて下さったお経は何というのですか」と尋ねますと、
「あれは三部経というのだ」「三部経というのは有難いお経ですか」
「ああ有難いぞ」かねて私は三部経というのは有難いと聞いていましたので、
「先程から三部経を聞いていて、どこか一つでもいい、有難い所はないかと
一生懸命拝聴しておりました。
しかしどこ一つ有難い所はありません」と言ったのです。
すると「それはそうや、お経というものはな、分かるように言ったら一つも
有難いことはない、
分からんように読んで有難いように唱えるのが坊主の腕や」と言われます。
「では院主様のご存じない他国の言葉でXX寺の院主はアホ、XX寺の院主は
ドアホウと有難そうに唱えたら、有難いですか」と言いましたら、
「こら!! そんなこと言うたら許さん」と叱られたのです。
それと同じことでして、
言葉の意味が分からなければ何を言っているのか分かりませんから、
いくら有難そうに唱えて下さっても一向に有難いことはありません。
ただ、有難そうだなあと思うだけです。