浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

我れ食べず人に施す母の愛
幼き我に布施教えらる

「講演集」より。

2015-06-15 02:29:18 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

           恩師のご著書「講演集」より


               講演集、三


         先祖供養はまず己が成仏すること


ご先祖様についても、同じことが言えます。
ご先祖様を地獄へ落とそうと、極楽へお上げしようと、
それは私たちの生活態度の中にあるのです。
「南無妙法蓮華経」または「南無阿弥陀仏」と言って、
三時間も四時間も拝んでいても、
自分たち親が喧嘩ばかりして不調和な生活をしておりましたら、
いくら拝んでも駄目です。

ご先祖様に成仏していただこうと思えば、まず己が成仏し、
自分が救われることです。
ご先祖様というのは、私の上にはお父さんお母さんがあり、
そのお父さんお母さんの上には、又それぞれお父さんお母さんがおれれます。
三十代溯っただけで、なんと、十何億という数になるそうです。
だから十何億というご先祖様の尊い縁の凝固したのが、私たち一人一人です。
ですから、何々家先祖代々という一本の筋かと思いますと、
そんなものとは違って膨大なご先祖様の筋があるのです。

それこそ十何億という大勢のご先祖様の因縁を頂いて生まれた私たちですから、
その大勢の方の良いところ、悪いところを頂いているはずです。
今、肉体を頂いた自分が救われた時、自分に縁あるご先祖様は成仏して下さいます。
自分が苦しんで迷っていて、どうしてご先祖様を救うことができますか。
ご先祖様の前で自分の悩みや苦しみを聞かせることが大変先祖不孝です。


             ~ 感謝・合掌 ~


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「講演集」より。

2015-06-14 00:19:24 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より


             講演集、三


         師、親の価値を決めるのは自分


高橋信次先生はもう古いと言って、掲げていた先生の写真を下ろして、
法を説いていられる方があります。
私は生きている限り、先生のお写真は下ろすまいと思っております。
私の死んだ後は知りません。

尊い師を地獄に落とすのも、天上の世界に上げるのも、
私たち弟子の行いの中にあります。
それは、親子の関係でも同じことが言えます。
価値ある親にしようと、価値のない親にしようと、
それは、子供の生き方の中で決まるのです。
もし、子供が世間様に対して恥ずかしい行いをやってくれたら、
親はどれほどつらい思いをしますか。

そして、あの子があんなだから、親もあんな人間だろと言って、
親の値打ちを落とします。
親を悩ませ悲しませると、自分を生んでくれた親をさえ地獄へ落とします。
心配をかけ、夜もオチオチ寝られないような心配をかけたら、
親の心は地獄です。

正しき道を日々に行じ、
そして喜んで安心していただくように私たちが生きた時、
「あの親あって、あの子があるのだなあ、あの子あってあの親はある」
親は立派だと、親を極楽へ上げることができます。
価値ある親にするのも、しないのも、
私たち子供の肩にかかっているのです。


             ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集より。

2015-06-13 00:05:13 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

          恩師のご著書「講演集」より


              講演集、三


           大樹に実る神理の実


私は大地にしっかり根を張らせて、
地震や大風に遭ってもビクともしないような大樹になりたいと思います。
その大木にはいっぱいの実をならせて、
小鳥とか栗鼠とかが私の実を思う存分食べてくれたらいい。
「この木の中はいい場所だな、ここにいれば安心だ」と思えば、
私の木の中に巣を作ってくれても結構、実をいっぱい食べて満腹すれば、
又、余所へ飛んでいってくれても、これも良し。

その母なる大地に自分の根をしっかり下ろして、神から栄養を頂き、
そして、神理の実をみのらせることです。
真理の実はいくらでも実のってくれます。
その実を皆さんが好きなだけ食べてくれたらいいのです。
心の糧としてもらったらいいのです。
飛び去るもよし、あの実はやはりうまかったと言って、帰ってきてもよろしい。
常に実をならせ続けたい、そのような存在でありたいと思っております。
去る方は自由です。

来てくれる方はこれも自由です。
いっぱい私の実を食べて下さい。
私の実は神のみ言葉です。
神理です。
それを日々の生活に実践していただいたらいいのですね。
去るもよし、来るもよし、風とか地震とかに揺れ動かない不動の心、
その不動心をつくって常に神の実をならせ続けていきたい、このように
願っております。
私から離れたら罰が当たるとか、そんなことは言いません。
言わないのが自然の姿だと思います。
ほんとうに為になるものならば、必ず集うてきます。
自分がどうこうは考えなくてもいいのです。
その証拠は、このように私のつたない話を全国の縁ある方々に
聞いていただくことが証明です。


             ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-06-12 00:10:43 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より


              講演集、三


           誤った信仰の怖ろしさ


先の続き・・・

そして生き返りまして、神の許しを頂きました。
それから四、五年経ちますが、まだ生きていられます。(一同大笑い)。
その先生が、また講演の中でおっしゃっているそうです。
「あの人は二月十五日に死ぬという命を、
私が神に交渉して延ばしてあげました」と。
誠に口は便利なものです。
口では大阪の城も建つ」です。

あのまま放っておけば、あのお母さんは、ものこの世の人とは違います。
完全に死を迎えていたのです。
ところが、ほんとうの神の許しを頂いたら、その場で生き返りました。
それを今度は、「私が命を延ばしてやった」と言います。
間違った指導者の教えを信じてしまうと、とんでもない不幸になります。
悪くいけば、命さえ失います。

誤った信仰を盲信、狂信すると、その言葉の力をより強く受けます。
その恐ろしさを体験させてもらいました。
これと同じようなことが、いろんな宗教で起きます。
偉い人だと信ずれば信ずるほど、その人の言葉は力を現わします。
ほんとうの正しい教えならば、人の命などを予言はしません。

神のみがお知りになることであって、
私たち人間が「ひとの命」を予言することは、人の道にはずれていることですね。
或いは自分に縁ある方を取られまい、離すまいとして、
私から離れた者は罰が当たるとか、私から離れた者は抹殺するということを、
口に出したりします。
それは自分から逃げられたら困るからです。


              ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-06-11 00:24:47 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

           恩師のご著書「講演集」より


                講演集、三


             誤った信仰の怖ろしさ


先の続き・・・

「私は、あなた達親子さんに対して、どれほど忙しくても週に一回は必ず
お訪ねしたはずです。そして、私のできる限りのことをさせてもらいました。
しかし、私は何を求めましたか。一切の求める心は無かったはずです。
びた一文言いましたか。また助兵衛根性を出しましたか。たださせていただく
神のみ心を私が現わしただけです。この身をもって神のみ心を具現していたのです。
その思いを仇で返すことをしてはなりません。私は何とも思っていません。

しかし、神はそれをご存知です。だから今、真の神様に対して、
「私たちの犯した罪をお許し下さい」と言って祈りなさい」と言いました。
そして、「神よ、この者達の罪をお許し下さい。神の慈悲と愛をお示し下さい」
と祈りましたら、お母さんはいっぺんに生き返られました。
今まで見動きもできなかった方が、側にあるティシュを引っ張り出して、
「もう、あきません、このティシュ一枚ちぎる力がないんです」と言って、
ティシュをいっぱいちぎっているのです。
こんなにちぎっていてあんな嘘を・・・(大笑い)。


               ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-06-10 00:32:58 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より


             講演集、三


          誤った信仰の怖ろしさ


先の続き・・・

そいうことをしていますと、
だんだんとお母さんの身体が悪くなってきて、
十月頃になって弱りきってしまったのです。
その先生にお伺いを立てますと、「来年二月十五日までの命です」とのこと。
偉い先生だと信じている方の予言だから、もう皆で信じて、お母さんの枕元で、
あと四カ月先のお葬式の相談をする始末、お母さんも落ち着いて生きていられません。
あと何日と数えながら暮らして、ちょうどあと二週間と言う時に、その娘さんが、
「お母さんが死ぬまでに、もう一回先生の顔を見たいと言っています」と言って、
私を呼びに来たのです。

そして私に、「その先生は偉いのです。私の夢の謎を全部解いてくれました」と
言いますから、「そんなに偉い先生だったら、その先生に救うてもらいなさい。
あなたは向こうで駄目だと言っている私の所になんか頼みにくるのはやめなさい」と言ったのです。
「いや、あの先生は心は直してくれるけど、肉体は治してくれないのです」
と言いますから、そこで私は、「もう行く気がありません。行けば、また
あなたは私の悪口を言うて歩くでしょう。行きたくないのです」と言って
断りました。

それでも、死ぬニ週間前になっているから、何とか来てほしいと言われるので、
「では行きましょう。でも、私は行ったとは思いません。一陣の風が吹くように、
スッと行ってスッと帰りましょう。あなたもまた来てもらったと意識してはなりません。
来てもらったと思えば、またなんとかかんとか言わなければいけないから」と言って訪ねたのです。
すると、もう骸骨を張ったようで、完全な死相を現わした死人同様です。
見動きもできない有様です。


             ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-06-09 03:47:11 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        恩師のご著書「講演集」より


            講演集、三


        誤った信仰の怖ろしさ


先の続き・・・

私の指導霊は、
「夢に囚われてはいけません、現実に生きなさい」と言いますから、
頼りなかったのですね。
その方は、「高橋信次先生の夢も、
弘法大師さんの夢も、私の謎を全部解いて下さいました。
こんなに偉い先生はいない」と言って、そちらへ行きますと、
「あんな長尾先生はしょうもない」ということになって、
いっぱい悪口を言ってくれます。

又、その先生は「あなたの光は長尾先生など足元にも寄り付けない光です」
と指導しますから、その人は今まで私のことを先生、先生といっていたのが、
急に長尾さんと呼んでくれます。
私たちが禅定させてもらっていることについても、
「あんなことして駄目、あれは正座と静座の間違いを犯している、
せい座というのは正しく坐ることとは違う、静かに坐ることが静坐だ」と言われます。

私の所では、一時間坐って反省しますが、
私は正座のほうが楽だから、正座して坐ります。
皆さん、坐るのは自由です。
しかし、この場所を見ずに、ただ非難中傷をされて、
それをまたいちいち私に報告してくれるのです。


            ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-06-08 06:17:42 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

           恩師のご著書「講演集」より


                講演集、三


            誤った信仰の怖ろしさ


先の続き・・・

ある時、そこの研修会だと言って、
動けないリューマチのお母さんを一人放って、
娘さんと息子さんが三泊四日の研修会に行ったのですが、
私には何とも言ってくれないので、私が訪ねると、
お母さんは一人で食事もできないでいますから、
私は朝、昼とお弁当を買いにいって食事を運んだのです。
私は無精で自分のご飯だったら、一度や二度は食べないのですが、
人の食事でしたらそういうわけにもいかないから、
お弁当を買ってきて運んでいました。

そうしているうちに、その方は完全に私ところから離れました。
というのは、その方は、夢の話をよくされるのです。
高橋信次先生が夢の中に出てくれて、こうこうおっしゃいましたとか、
私は弘法大師さんが出てこられてこうおっしゃいましたとか、
いろいろ言われるのです。
私は、「また夢のことを言っているのですか。
人間は目覚めて活動する日々の生活の中で魂の修行をしているのであって、
夢の中で修行はできません。

ちゃんと目覚め、この五官をもって魂の修行をしているのですから、
夢に囚われるよりも、起きている時にしっかり法を行じなさい」と、
そういう指導しかしませんでした。
ところが、そちらの先生の所へ行って、
「夢の中に高橋信次先生が出てくれました」と言うと、
その先生が、「ちょと待っていなさい。それはいつのことですか」と聞かれるので、
「何月何日」と答えると、「ちょっと天上界へ行ってしらべてきましょう」と言って、
その先生が天上界へ行ってこられたそうです。
そして、ポッと戻ってきて言うことに、

「あなたたの夢は本当ですよ。その日は天上界で高橋信次先生は留守でした(大笑い)。
だから、あなたの所に来ていただいたのは本当です」。すると、まあその方が喜んでしまったのです。
そこで、私が「それでは弘法大師さんが来て下さったのはどういうことですか」と尋ねましたら、
その方の腰巾着のようについて歩いていたKという方があって、
もう五、六年前からその方は離れているのですが、「K先生はお大師様の生まれ変わりです。
だから、あなたをここに導く為にK先生の霊が導きにいっていたのです」と言われたというのです。


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恩師「長尾弘」先生のフェースブックへのご案内。

2015-06-07 00:36:37 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

小生の恩師「長尾弘」先生のページにご招待させて頂きたく、
fbの友人リクエストをさせて頂きました。

(故)長尾弘先生はご存命中、難病・奇病などで苦しむ数え切れない世界中の
人々を「無償の愛」の実践で救われてきました。
また、人が正しく生きるべき道・幸せになれる道「正法」についてもお説き下さいました。

いささか大げさかと思われるかも知れませんが、
現代版のお釈迦様あるいはイエス様と言っても過言ではないようなお方様で
あられたと小生は思っております。
ですので、あなた様を恩師「長尾弘」先生のページへご招待させて頂きました。

恩師の御教えの中には神とか仏という言葉そのものが頻繁に出てきますために
宗教と間違われる方がございますが、恩師の御教えは宗教とは一切関係がございません。
あくまでも、人が幸せに生きる道を手を変え品を変えてお説きなっておられますことを
老婆心ながら付言しておきます。

fbの友人リクエストを承認して頂きましたことに対し感謝申し上げます。
長尾弘先生のページへは:浄心庵と入力してアクセス下さい。



                   ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-06-06 01:00:42 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        恩師のご著書「講演集」より


             講演集、三


         誤った信仰の怖ろしさ


先の続き・・・

ある方が「長尾先生の光の近くに寄せてほしい」と言って、
家を売り払ってこの忠岡に引っ越してこられたのです。
私は「来たらいけません。
光は近くの者にも遠くの者にも関係ないのです。
心さえこちらに向けてもらったら、それでいいのです。
来るのは止めなさい」と言っているうちに、
とうとう引っ越して来られました。

それで私も放っておけないので、
どんなに忙しくても一週間に一度は必ずお訪ねしていました。
というのは、
その方のお母さんはリューマチで娘さんがお世話なさっているのです。
こちらに移ってくると聞きました時、私は周囲の者に、
「あの方はこちらに来ても、
どれだけ私が尽くしても、
必ず私の悪口をそこらじゅう言って歩くから見ていなさい」と
言っておいたのです。

それが私は分かるから、
その方の為にできるだけのことをさせてもらって尽くしました。
一週間に一度は必ず行って光を入れたり、
治療をさせてもらったりして、その方の為に尽くさせてもらっていたのです。
こちらに越してきてしばらくしてから、その方はさほどお話した大阪の自称
イエス・キリスト様に縁ができたのです。
そして、私の所からそちらへ替わっていきました。
そうしますと、私の悪口をいっぱい言ってくれるのですね。
前もって私が予測していた通りにしてくれます。


             ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-06-05 00:31:20 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         ~ 恩師のご著書「講演集」より ~


               講演集、三


            誤った信仰の怖ろしさ


或る時、大阪でやはり正法の神理を伝えている方があるのを知りました。
この方は、過去世の言葉をペラペラと喋り、そのグループの方も過去世の
言葉を喋ります。
「高橋信次先生が亡くなられた後、また、こういう方が現れて下さって
有難いことだとなあ」と思って、一度お話を聞きに行ったのです。
初めてお会いしますと、私のことはよく知っておられて、「よく来てくれました」
と合掌して迎えてくれ、「まあどうぞ前に坐って下さい」と言って、私のことを
褒めてくれるのです。

「私は神に祈ります。私は何の力もありません。しかし、祈ることによって
神はその御業を現わして下さいます」というお話をさせてもらったのです。
すると、その先生が、「長尾先生は祈るという言葉をよく使われますなあ、
生年月日はいつですか」と聞かれるので、それを言いますと、「アガシャ系
ですなあ、アガシャ系の方が祈るというのはおかしいですなあ」とおっしゃるのです。
「先生はどうされるのですか」と聞きますと、「私は神と一体です」と言われるから、
「こりゃ偉い人だなあ」と思ってびっくりしました。

その後、二回目にお会いしました時に、ある方に光を入れておられたのです。
「大宇宙、大神霊、仏よ、当体の骨髄を通し、当体の意識に光をお与え下さい。
天上界の諸如来諸菩薩、光の天使よ、どうぞ光をお与え下さい」と、一生懸命
祈っておられるのです。
「一つも祈らないと言われたのに、私よりもたくさん祈っていられるなあ」と
思ったのです。

私は「神よ、光をお与え下さい。どうぞ神の御意志を、
調和と安らぎをお示し下さい」とお祈りするだけですのに、
その先生はそれを三回も五回も祈られるのです。
それでも、病気はちっとも治らないのですね。
それで、そういうところから疑問を抱き、「これはおかしいのではないか」と
思ったのわけです。
おん自ら、イエスを名乗っておられました。
その他にも、いろいろ面白いエピソードがあるのです。


              ~ 感謝・合掌 ~


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「講演集」より。

2015-06-03 00:18:47 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より


             講演集、 三


       曇りのない幼子には神の光が見える


今日お見えになっているAさんが、
今負ぶっていられるのは、生後十カ月の
赤ちゃんです。
「神よ、どうぞこの新しい命に光をお与え下さい。
祝福をお与え下さい」と、
祈っておりますと、誰も教えていないのに、
ちゃんと正座なさって合掌されたのですね。
何とも清らかな赤ちゃんのお姿です。
その写真がここにありますから、
あとで見せてもらって下さい。
ほんとうに仏様ですね。

こういう幼い子は、神の光を見ることができるのです。
それは心に曇りがないからです。
今おいでにいただいているY先生のお孫さんも、
幼い頃に、「ああ、光ってる、
光ってる。お母ちゃん見えないの?」と、
言っていました。
お母さんには見えないのですけど、
幼い魂は神の光をちゃんと見ておられるのです。

窓も天井も畳もみな光っていたのですね。
家でおじいちゃんがどんな色だったかと、
金や銀の入った色紙を買ってこられて、
その光と同じのがあるかと尋ねられたら、
金色の紙を指して、「この色だ」
と言ったのですね。

おじいちゃんは理科の先生で科学者です。
だから、暗示を与えてはいけないので、
この中にその色があるかというように
尋ねられたら、「これだ」と指さしたそうです。
金色に光り輝いているのですね。
すばらしい一つの現象です。


        ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-06-02 06:53:17 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

           恩師のご著書「講演集」より


                講演集、 三


            内なる心は神理を知る


ここに来て、寒い戸外で一晩待っていただいた方とか、
初めてお会いしたのに、涙が止まらなくなるという方などがよくあります。
年配の方もそうです。
若い方もそうです。
ある奥さんですが、環境が厳しくて、おじいちゃん、おばあちゃん、
そして気難しいご主人という家庭で、結構なお宅だけに重荷が大きかったのですね。
どんなことがあっても、泣いてはいられないと必死に生きてこられたという方と
ご縁があって、訪ねて見えました。

すると、ここに入ってこられるなり、泣けて泣けてどうにもならなかったそうです。
まだ私の顔は見ていないのにです。
ただ坐られただけで、もう泣けてきて、「先生、恥ずかしいです」と言って、
泣いていられるのですね。
「私は涙の無い人間かと思っていました」と言われますが、それは耐えて
耐え抜いて生きてこられたからです。
それがこの場所に入ってこられると、突然安らぎに包まれたのですね。

「恥ずかしいです」と言って、泣いていられますので、お話させてもらいました。
「いや恥ずかしくはありません。それは法雨です」と、
さきほど、皆さんが流された涙も、お互いに心の中にちゃんと自覚しているからこそ、
こみ上げてくるのです。
それを教えてくれる人がなかったのです。
ですから、私たちは、尊い使命を頂いているのだと自覚してもらって、
一人でも多くの方に幸せになっていただくように頑張っていかなくてはなりません。
使命を持っているからこそ、こうして集えるのです。

私のテープを初めて聞いて、泣きながら聞いて下さる方が多いですね。
なぜ、こんな私の話を涙を流して聞いていただけるのかというと、
それは内なる心が知っているからです。
皆さんと何ら変わらない、皆さんよりなお至らない未熟な私ですが、そんな
私のとりとめのない話で、同じことを何度も話していると思いますが、
神理は一つだということです。

神理は変わっていないから、同じことをしゃべるより他ないですね。
高橋信次先生のテープも、何回も聞いてみますと、みな同じことをおっしゃっています。
ですから、話は一回でいいのですね。
それを、「どこのテープがよい、四国での話のテープはよい」と言ったりしてます。
初めての所へ行きますと、安心して同じことをしゃべっております。


              ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-06-01 00:05:19 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

           恩師のご著書「講演集」より


               講演集、 三


            太陽の心を実践する


先の続き・・・

神は言われます。
「私の思いをあなた達がその肉体をもって具現しなさい。
この地上に示し現わしなさい」と。
神様のみ心を理解させてもらうのに最も身近な分かり易いつかみ方は、
常に太陽を理解させてもらうことですね。
神を知りなさいと言っても、神様はどこにおられるのか分かりません。
お姿もなければ、声を聞くこともできません。
「いや、わしは神の声を聞きますよ」と言って、
「ヤー」と拝むのは、あれは絶対に神様ではありません。
九十九パーセント神様ではなくて、あれは悪しき霊の声と思って下さい。
真の神はそんなことはおっしゃらないのです。

自然の姿の中に神はみ姿、み心をすべて現わして下さいます。
それが、いろんな法則となって示されています。
原因をつくれば、必ず結果が出ます。
作用を起こせば、必ず反作用します。
重いものは必ず下へおりてきますし、軽いものは上がっていきます。
万有引力の法則ですね。
私は今まで間違っていたから、何とか正しいところへ帰りたいと思っても、
持ってきた間違いの方へ当分は行こうとします。
慣性の法則ですね。

これらの法則の中に、神が「この世はこのようになっているのだ」と示されています。
言ってみれば、物理の法則です。
それをよく理解させてもらって、
その中から私たちの日々の生活を学んでいきたいと思います。
こうして、今日集いましたことは、「お互いにこの世の為、人の為に、
人々を救うていきましょう」と誓い合った心の仲間、
心の友であることを自覚して、
日々の生活に頑張っていきたいと思います。


             ~ 感謝・合掌 ~



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