浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

有難や米一粒の一粒に
神の御命 我給わらん

「御垂訓」

2020-05-16 19:20:51 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

ご報告:インターネットが昨日よリ機能しておらず只今まで投稿できませんでした。

(プロバイダーよりの事前連絡なし)

皆様にはご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。

 

~ 恩師の御著書「講演集」より ~


             講演集 一

(前日の続き)
それから十日程してお見えになりましたら、
もう全くお顔をはじめとして、その方から受ける感じから人相までも
変わってしまっていたので、
私はすぐにどなたか思いだせなかったのです。
「初めてですか」と声をかけますと、
「先生、この間寄せてもらったあの目の・・・・」とおしゃた途端、
「ああ、あの泣き顔の・・・」と言ったのです。

思いを変えることによって、その顔の相まで変わってしまい、
別人のように明るくなっておられます。
その期間は僅か十日間です。
世界の悲しみは私一人で味わっているといった悲しみで
泣き顔をしていた方が、
まるで地獄から這い出したようなものです。
その方が潰れた目のほうに心を向けて
悲しい悲しいと思っておられた時、
その方はこの世の中の最高の苦しみの中におられました。

ところが、助かったほうの目に感謝の心を向けられた時、
この方は「私はよかった、幸せだ」という感謝と喜びの中に
生きられたのです。目は同じことです。
やはり片方は潰れていますし、片方しかありません。
心の向け方によって幸せにもなり不幸にもなります。
その方は今は幸せに暮らし、ほんとうに明るくなられました。
肉体そのものは何ら変化ないのに、思いによってこの世の中の
喜びに生きられるか、この世の中の悲しい人間として生きていくか、
即変わるわけです。
「心のチャンネルを切り換えなさい」という言葉を使う方もあります。


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「御垂訓」

2020-05-14 23:58:02 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の御著書「講演集」より ~

           講演集 一


       「片目」への感謝


これは片目を失明した或る婦人の話しです。
毎日泣いて泣いて泣きあかし、お顔はもうすっかり
「泣き顔」になっておられます。
この世の悲しみを自分一人で背負っています、というような方が
私の所へ見えたのです。

四年間も泣き暮らしておられたそうです。
その方は、ワイヤーロープの会社に勤めていて、
或る時そのロープがピンとはじけて目に突き刺さってしまったのです。
最高の手当てをされたのですが、失明して義眼を入れることになり、
自分は生まれもつかぬ不具者になってしまったと悲しまれたのです。

義眼になると夜休んでいても目が閉じてくれませんし、
義眼をはずせば目が落ち込むし、主人に対しても恥ずかしい、
私は何と不幸なんだろうと毎日泣き暮らしていたのですが、
そんなことをしているとノイローゼになりますものね。
何とか助かる方法はありませんか、
とそのお姉さんが連れて来られたのです。

その方に対して「両目の健全な私が言えば、
先生は両目とも揃っているからそんなことが言えると
思われるかも知れませんが、片目が潰れて不幸だといって
毎日泣き悲しんでおられるあなたの生活も現実です。
今、現にあなたがそのような生活をしておられる。しかし、
今後もしも悲しいと思われたら、掌を合わせて、
神様にありがとうございましたといってお礼を言って下さい。

あの時、はじけたロープが両目に突き刺さっていたら、両目失明です。
でも片方で済んで、ようこそ片目を助けていただきましたといって
感謝して下さい。感謝して暮らせるのもこれ又現実です。
両目とも潰れたら片目ある場合よりも、更に不便です。
いただく食べ物も自分でどこにあるのか分かりませんし、
トイレに行くにしても片目があればこそ不自由しません。
両目ともなかったらこれは大変なことです。
助けてもらったこの目に対して感謝をして下さい」と言って、
その方にお願いをしたのです。その方も頭の良い方だから、
よく分かりましたと納得をしてくださいました。
(この後の文面は明日記載する予定です)


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「御垂訓」

2020-05-14 00:13:02 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の御著書「講演集」より ~

     「私たちは思いの中に生きている」


私たちはこの環境の中に、肉体を持って生きていると思うのですけれど、
ほんとうは、私達の「思い」の中に生きているのです。
環境や肉体はどうであっても、その人の心の持ち方さえ感謝、
喜びのほうへ向けておれば、その方は幸せです。
心というものは目に見ることはできないし、掴むこともできないし、
どこにあるのかも分かりません。
ところが私達は心の動きによって、生活していますね。

「牛の糞に銀蠅が寄る、花に蝶々が寄る」牛の糞がいくら綺麗な蝶蝶に
寄ってきて欲しいと思っても、寄ってくるのは銀蠅ばかりです。
私達は心を清めて、綺麗な花のような心を作った時に呼ばなくても
蝶蝶は寄って来ます。
自分が牛の糞になるか、花になるか。
花にもなれば、糞にもなる自分の心が、花になった時、
幸せは自然から与えられ、健康も与えられます。
自分の心、思いの中に生きているのです。

日々の生活の中に、心が振り回されていると思うのは反対で、
自分の「思い」の中に生きています。


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「御垂訓」

2020-05-13 00:46:13 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の御著書「講演集」より ~

           講演集 一


     「もし無かったら」と仮定する見方


余りにも私達は感謝することを知りませんでした。
あの太陽の熱・光に対して心から感謝できるその思いですね。
また何とも思わずに吸わせてもらっている空気、その中の酸素。
もし太陽の熱・光をいただけなかったら、
この地球上に何者も存在はできないし、この空気が無かったら、
いくら息の長い人でも、三分間も生きられません。そのように、
総てをいただいていることに対して感謝を知らないでいます。

「有難いなあ」と心から掌を合わせてお日様の熱・光、空気に対して
感謝をされた方があるでしょうか。
何かにつけて私達は、あって当たり前、
あるから当たり前と思っていますが、
もしなかったらという見方をさせてもらった時に、
ほんとうに有難いなあということが分かりますね。

夫婦の間もそうです。
夫婦とも健在の間はお互いにくさし合ったり、
謗り合ったりして文句ばかり言い、ふうふういいながらこの世を去って
いくのですが、いなくなった時に「ああ主人がいてくれたらこんなに
淋しい思いをしなくて済むのに」と、その有難さがしみじみと分かります。
何かを見せてもらっても、「もしもこれがなかったら」という思いを
常にさせていただくことです。


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「御垂訓」

2020-05-12 00:37:27 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の御著書「講演集」より ~


          講演集 一


  「自然の法則に平気で背く私達」


世の常の私達が常識と思って生きていることと、
本当の自然の姿とは反対になっております。
自分さえ良ければいい、人様のことなど構っていられない、
他の人はどうでもいいという思いの方が多いのですが、
自然界を見ますと、どんなものでも相互依存、
お互いに持ちつ持たれつの法則の中に生かされております。
自分さえ良ければという勝手なことをしましたら、
自然の姿に反することになり、苦しむようになるのです。

自然界はお互いに持ちつ持たれつですね。
例えば、私たち動物は空気中の酸素をいただいて生きています。
そして、その代わりに二酸化炭素を出しています。
もしもこの地上に動物ばかりでしたら、
酸素が無くなって二酸化炭素ばかりになってきますので、
人間は生きていられませんが、
植物が二酸化炭素を吸って太陽の熱・光をいただくことによって
光合成をを行い、澱粉を作り、酸素を吐き出してくれています。
その酸素を人間が吸い、植物と持ちつ持たれつで相互依存の法則に
従って生かされています。

この太陽系一つ見ましても、
太陽を中心として九つの惑星が一秒の狂いもなく循環しています。
これらは独自に回っているかというと、
そうではなくお互いの引力の作用によって動かされているのです。
自らが動くことによって他の星を動かしている。
ところが、もし地球が、私はもうしんどいから一服しておくと
言って動くのを休んでしまったら、他の天体に大変な影響を及ぼし、
太陽系の存在は破壊されてしまいます。

一方人間は、自分の都合が悪ければ、
平気で人との相互依存の法則を破り背いてしまうのですね。
私は何も悪いことはしていない、間違っていないと言いながら、
自然の法則に背いて苦しみを味わっているのです。


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「御垂訓」

2020-05-11 00:42:04 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~


               講演集 一


 
        「親切な人が不幸である場合の原因」


先の続き・・・

そういうわけで、
人のいいお方が不幸な生活をしておられる場合が多いのです。
良い行いをしても自分を苦しめた時、これは絶対に失格です。
あの世では必ず地獄へ行きます。
行いの結果を褒めてもらわなかったとか、
礼を言ってもらわなかったとか、
また人から報いを受けなかったとか言って、
自分の心を苦しめた時、その善は悪に変わってしまいます。
善に勝る悪を積むことになります。
では、がめつい人がなぜうまいこといくかと言いますと、
そういう冷たい嫌な方は、人の為には何もしませんので、
裏切られる回数は殆どないのです。

その面に関しては自分の心を苦しめないのですね。
だから案外うまくいくのです。
では人のことは放っておいて、
自分さえうまく生きたらいいのかと言いますと、
却ってそのほうが無難だと思いますが、
これでは生まれて来た目的が果たせません。
その目的とは、人々と互いに手を取り合って調和を目的とし、
助け合い、愛し合いながら、自然の姿に沿って生きるのが、
この世に生まれた目的です。
親切はあくまでも、
いっさい求めることのない善なる行いでなくてはなりません。
またわがことだけ良ければ他はどうでもよいというのも
自然の姿に反します。
自然(神)に逆らった分だけ人は苦しみを味わうようになっています。


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「御垂訓」

2020-05-10 00:15:40 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 ~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~


                  講演集 一


 
          「親切な人が不幸である場合の原因」


先日、四国でお話させてもらいました時、

「今日はいいお話を聞かせてもらいました。
お釈迦様もキリスト様も説いておられないことを

聞かせてもらいました」と好評でしたので、
その話をさせていただきます。

人の良い親切な方で、わが事を放っておいても他の人の為に親切を尽くす、
まるで神様か仏様のようなやさしい良い方が案外不幸に

生きておられる場合が多いのはなぜか、
というお話です。皆様のご近所にもあると思います。
親切な方は、人が道に倒れていると起こして、

家はどこですかと尋ねて連れて行ってあげますが、
冷たい人は、倒れていたらそんなものは蹴倒して行きます。
もっとがめつい人は、ポケットの中にそっと手を突っ込んでみて、
入っているものを自分のポケットに移し替えてしまう。

そういう人が案外うまくいっている場合がありますが、それはなぜか。
私達は親切な人が不幸に生き、がめつい人がうまくいっているのを見ると、
この世の中には神も仏もいないと、神仏がおられたら、
こんなことになる筈がないと思います。
けれども神も仏もちゃんとおられます。良い方が不幸なのは、
やはり原因があってその結果として現れているのです。

お釈迦様も説かれていますように、
すべて原因と結果の法則によって成り立っています。
どんなに見た目に良い方のようであっても、
不幸な目に会われる原因があるから不幸なのです。
人に親切にしているその面からだけ見ると、
決して悪いことはされていませんね。
ところが、そういう親切な方は、自分が親切なものだから、
人も皆親切だと思っている。
これだけしてあげたらこの人は滅多に私を裏切らないだろうとか、
これだけしておいたらこの人は今度はお礼をしてくれるだろうとか、
私が困った時にあの人は放っておかないだろうとか、
そういう思いをかけて人の為にしておられる。

でも人は顔が違うように皆心が違うから、平気で裏切る方は、
裏切っていきます。
その裏切りを受けた時に、夜もよく眠れずに苦しみ、
自分の心を低くしてしまいます。
あれだけしてあげたのに、
あの人は恩知らずの何という人だろうと思って怒り腹立ち、憎しみ、
また呪います。
人から裏切られるたびにその方は苦しみを味わうわけです。
ですから、親切をされる回数が多ければ多いだけ、
裏切られる回数も多くなっていきます。
従って自分を苦しめる回数も多くなっていくのですね。
私達は自分の心を苦しめますと、必ず自分の環境とか肉体の上に
苦しみとなって現象化して現れてきます。


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「御垂訓」

2020-05-08 23:03:25 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~

             講演集 一
 
         「組織には業がつきまとう」


先の続き・・・

私なども、いろいろと不思議なことを見させていただきますから、
よく他の方から宗教を作って下さいとか、教団を作って下さいとか
言われるのですが、組織には必ず苦しみが付いて回るので、
私は作りたくありません。
天台宗の最澄は「下の座にあって、自分の身の一隅を照らす者は、
この地上の宝である」とおっしゃったそうです。
常に私達は謙虚に生きなくてはいけないのに、つい上へと思いあがり
自分は偉い、こんなことができるという謙虚とは反対の増長心が出て
来て、その為に人に嫌われたり、またいろいろな苦しみの原因を
作っていきますから、私達は常に謙虚に生きることが大事です。


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「御垂訓」

2020-05-07 19:15:38 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

インターネットが昨日夜10:00(2020/05/06)より機能して
おらず(プロバイダーより何の連絡もなし)、
本日只今まで投稿できませんでした。
皆様にご迷惑をおかけしましたことお詫び申し上げます。


~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~

           講演集 一 

     「組織には業がつきまとう」


今ここに寄せてもらいます道中の新幹線で、
隣り合せた男の方から、ある宗教に入って苦しんでおられる話を
聞かせてもらいました。
その方は戦地で1・5メートルの所に爆弾が落ちて意識不明になり、
耳の鼓膜に両方とも穴があき、目は片方が眼底出血して、以来ずっと
困っておられるそうです。

たまたま娘さんの家に行きました時に、見えなかった目が突然に見え、
耳もよく聞こえるようになったそうで、
そういうことがあって自分のほうから娘さんのご主人の信仰される宗教へ
入信を申し出たと話しておられました。
初めのうちはよかったのですが、
折伏とか題目とか選挙の時とか組織の活動というものがあって、
どんな組織でもそうですが、ことに宗教においては、
組織がなかったら広がらないのですね。
組織を作れば組織そのものに業がついて回ります。

組織ができれば信者さんを増やさなくてはいけない、
これも業の一つです。
組織を運営する為にはお金が必要になってきます。
そのお金を集めるというのも業です。
次に拝む対象を作り、お社とか御本尊とかを拝まされます。
そして信仰をやめようとしてその組織から出ようとすると、
やめたら罰が当たるという脅迫の業が出て来ます。
この宗教のもつ業の為に苦しんでおられるのです。
こちらから勧めるのではなくて、この方の教えはすばらしい、
お話が楽しい、
だから私達からその方をお呼びしてお話を聞きたい、
皆さんのほうから心について学びたいと言って来させていただく
―――これならば無理がないのです。




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「御垂訓」

2020-05-06 00:38:05 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~

         講演集 一

    「苦しい人生を送る人が多い」


人間は誰でも幸せになりたい、
心の中に安らぎをいただきたいと思っております。
ところが幸せになりたいと思いながら
苦しんでおられるお方が多いですね。
ではなぜ辛い悲しい苦しい人生を送っているのか、
本来は幸せに生きなくてはいけないのですが、
ほんとうの生き方が分からないから、
それで苦しんでおられるのです。


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「御垂訓」

2020-05-05 00:02:10 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 ~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~

              講演集 一

      「幸せを売るのが商売のコツ」


商売も同様、自分が儲けようとばかり集中して思ってはいけません。
相手に儲けてもらおう、相手に良かれと思うとよく儲かります。
おもしろいもので、例えばこれを一個売れば十万円儲かると思うと、
その儲かるという思いに捉われた場合、いくら値打ちのあるものでも
なかなか売れない。しかし儲けを度外視してその相手の方の
為に心から勧めた場合、これによって相手の方に喜びを与えるという
行き方をすると、案外すっと売れるものです。

同じ十万円の儲けでも、こちらが儲けようと思うと、
相手に警戒心が出るし、相手の幸せの為にという心をもって勧めると、
素直に受け入れてもらえます。幸せを売らせていただく、
幸せを買っていただくという心掛けで勧めると自信が持てます。
これが商売のコツですね。
形だけではだめで、心の底からの愛の売買です。
私が商売をしていました時は、自分から値をつけたことは
一度もなかったのです。

私は毛布の製造販売業をしていましたが、
お得意さんに毛布を持って行って、
これなら幾らぐらいで買ってもらえますか、
と言って向こうに値を決めてもらうのです。
千円のものを仮に向こうが八百円と言えば、
それは少ししんどいですなあ、
経費がこれだけかかっていますし、
私の生活費をこれだけ下さいと言って示しますし、
千円のものを向こうが千円ぐらいと言われれば、
それで結構ですと言って、
決して無理な値をつけないようにして、
自分が儲けるよりも相手に儲けてもらうようにしました。
私は恵まれていまして、二十年来東京の大商社と取引がありましたが、
そこは現金で下さるのです。

そこの仕入部長さんに初めて会った時、私の感謝の気持ちとして、
全仕入れ金額の二パーセントを還元させていただきますと約束しました。
仮に年に一億あればその人の小遣いとして二百万円入ることになりますね。
盆と正月にずっと送っていました。
そこは現金でくれるというので、他所の大きいメーカーからも
売り込みに行くのですが、
その部長さんはずっと私のほうと取引して、
更に注文をふやしてくれました。
お陰で大変儲けさせてもらいました。
ただの一度も不渡手形を手にすることもなく、
私は三十年近くこの商売をさせてもらってその間一回も
その経験がありません。

自分だけが儲けようと思ったら儲けることはできないのですね。
これは商売だけでなく、全てにおいて同じことです。
相手の為に良かれと思ってすることが、自分の為に返って来るのです。
ぜひ皆さんもうまく活用して下さい。
正しい法、正法は商法に通じます。また対人関係にも、
社会の中すべてに通じます。みな心から始まっていますから、
同じことです。

自分本位の自分さえ良かったという商売をする人は一時は栄えても、
やがて駄目になります。運だけではなく、
心掛けによって守られたり被害を受けたりいたします。
商売をされる方は、一つの商品を通して相手に良かれと思い、
それが喜びであるという気持ちになって商売して下さい。
販売元になる方から、縁ある末端の方に至るまで、
皆が幸せであるようにと思い合って商売をする商法を
学んでほしいと思います。


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「御垂訓」

2020-05-03 23:59:40 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の御著書「講演集」より ~

              講演集 一

       「心不在なれば目にして見えず」


目にして見えず、耳にして聞こえずということばがあります。
見事な満開のさつきの中にいても、別のことに心が集中していたら、
花さえも見えないのです。

もう何年か前、今持っている軽四輪のトラックを購入した時のことです。
ちょうどさつきの花が満開の時期で、私は花が好きですから、
部屋にも玄関にもいっぱいさつきの鉢を置いていました。
そこへ車のセールスマンが来てくれて、
書類に書き込んでいるのですけど、
こちらは側にある花に服がさわって、やれ花が傷まないか、
枝が折れないかと、はらはらしているのに、
本人はそれどころではないのですね。
やっと書類が出来あがって印鑑を押したら、ほっとしたのでしょう。
周りの花にやっと初めて気が付いたのです。
「わあー、きれいな花がいっぱいですな」それで私が
「花が見えなかったのですか」と言ったのですが、
「まったく見えませんでした」という返事でした。

心が或る一つの所に集中していたら、花の中にいても花さえも見えない。
それが売買契約の印を押したとたんに満開の花が見えたのです。
これと似たようなことは、私達の日常生活の中で常に起こっております。
交通事故を起こした方は殆どぶつかった時、
どのようになっていたか分からなといいます。
というのは、心がそこにないのですね。
だらら前に止まっている車が見えないで当たってしまうのです。
信号もそうです。
考え事をしながら走っていますと信号も気がつかない。
信号で前に出たり、対向車とぶつかったりします。
満開の花の中に坐っていて花さえも見えない。
ましてや信号見えなくて当たります。極端になったら、
広い道の真中で正面衝突しているのがありますものね。

これは心が不在だからです。ですから、いかに心が大切なものか、
いつも胸の中にどかっと心を据えておかなくてはいけません。
よく朝の出がけに夫婦喧嘩をして腹を立てながら車を走らせて
ドーンとぶつかったりします。
心が夫婦喧嘩の中に行っているからです。
朝の出がけには、どうか気持ちよく送り出してあげて下さい。
皆さんも経験されるでしょうが、道を通っていて例えば荷物を
早く届けなくては、と思って焦っている時などは、
前の景色がよく見えませんね。
その用事を済ませてやれやれと思うと、心にゆとりが出て、
ああきれいな花が咲いているなあと気付きます。
常に心にゆとりのある日々の生活が大切です。


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「御垂訓」

2020-05-03 00:13:10 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

  ~ 恩師の御著書「講演集」より ~

              講演集 一

        「すべてが実相を表す」


今私達は天の国に住んでおり、住まわせてもらっております。
真に私達の心が安らいで調和されました時、
世のすべてが実相を表してきます。
ありのままの姿で、ものすごくきれいです。
いつ通る道も、そういう心境になりました時は、
草木が輝いてきて、道も家もこれはどうしたことかと
思う程きれいに見えます。

毎日通っている道がこんなにきれいだったかと思うように、
光明に満たされております。
そういうすばらしい姿の中に生きさせてもらっていながら、
私達はその美しさを見ることができないでいます。
なぜかと申しますと、心が曇っているから見えないのです。
私は真に調和された心境になりました時は、その方、その方に応じた
光が出ているのが見えます。
心安らかな方は淡い黄金の光、心いまわしい方は灰色の光、
怒っている人は赤い光が出ていますが、
それらの実相を見ることができます。


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「御垂訓」

2020-05-02 00:11:20 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の御著書「講演集」より ~

              講演集 一

   「今を救われなくてはいけない」


生きている時に幸せだったら、死んだ時に必ず成仏できます。
幸せな人生を送らなかたら、死んでも苦しみの時間が続くのです。
今を救われなくてはなりません。今を救われたら、
死んだ後も救われるのです。これは、
この世とあの世は生き通しの心の世界だからです。
まず今を救われることです。

聖書の中にイエス様は我を通さない者は天国に行けないと
言っておられますけれど、あれはイエスを通してとは違うのです。
私たちの内なる良心、つまり、「神我なる己」を通してしか、
天の国に入ることはできないということです。
エゴの心、自我の心、偽りの己の心を通しては絶対に天国には
入れないのです。
そして信仰は何も要りません。
既成の信仰は何もなくても、天の国の帰れます。


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「御垂訓」

2020-05-01 00:05:30 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

添付のお写真はイタリアのサンピエトロ大聖堂に安置されているミケランジェロ作
ピエタの原形と思われるものです。


~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~

                   講演集 一

            「ご先祖様に語りかける言葉」


ご先祖供養は、まず自分自身が救われて、
自分の幸せな姿を見てもらうこと、
幸せな姿をご先祖様にお供えするのです。
「ほんとうに幸せに暮らさせてもらっています。
お金はたくさんはありませんけど、貧乏はしておりません。
身体もお陰様で健康でございます。
いつも感謝に満たされております」というようにご先祖様の前で
言ってごらんなさい。
ああ安心だと喜んで下さいます。
その上で、ご先祖様にお話しさせてもらうのですね。
「もし、このご仏壇の中に、またお墓の中に思いを残しておられ、
まだ、暗い悲しい苦しい世界におられるご先祖様がおられましたら、
私の話をお聞きになって下さい。

お陰様で私はこんなに幸せです。
しかし暗い世界になぜおられるのでしょう。
あの世においても、この世においてと同様、暗い世界におられるには、
結果となる原因が必ずあるということです。
原因を作ったら必ず結果が現れるのがこの世の定めです。
ですから、もし暗い世界におられましたら、
その原因があった筈でございます。
その原因はこの世に生活された時に、
真に神の子としての道を果たされなかったからです。
心の底から人々に慈悲や愛をお与えになりましたか。
また人にご奉仕なさいましたか。
また自分にとって都合が悪い時、人を恨んだり、腹を立てたり、
愚痴を言ったり、要らない取越し苦労をしたり、よけいな心配やら、
不安、恐怖、貪欲に悩むなどなさいましたでしょう。


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