浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

日日に神の御胸に抱かれて
光の国に住める嬉しさ

「御垂訓」

2021-04-05 00:08:25 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
  
     恩師のご著書「講演集」より

              講演、四

       調和された心、安らぎの心は「光」である


先の続き・・・

不調和な心、つまりいらいらしたり、腹を立てたり、愚痴を言ったり、
人を恨んだり、よく、車に追突されてムチ打ち症になる方がありますね。
この世的に見ますと、自分が前を向いて坐っている所へ、後ろから来て
当たるのですから、百パーセント当てた人が悪いと面ますが、しかし、
原因の無いところに結果が現れません。
結果が現れるということは、どんなことであっても、何らかの原因が
あるのです。

後ろから車を当てられるのも、何らかの原因があるから当てられたのです。
当てられたご本人にも原因があります。
或る方がムチ打ち症になられました。

もう強度のムチ打ちで、平衡感覚を全部やられましたから、自分一人で歩く
ことができなくて、四カ月入院していたのですが、全然治りませんので、
当てた人を、「憎い、あいつは許せない、当てられなかったら、私はこんな
えらい目に遭わなくてすんだのに」と言って、相手の方を怒り、憎しみ、
恨んでいられたのですね。

三十過ぎの男の方ですが、たまたまご縁があって、
病院から私の所へこられた時は、お母さん弟さんなど、
三人ほど付き添って見えました。
一人では全く歩けないのです。

「あなたは車を当てた人をどう思っていますか」と聞きますと、
「あんな悪い奴はいません。わたしをえらい目に遭わせやがった」と言って、
恨んでいました。

そこで、「今日、その方を心から許させてもらいなさい。心の底から許させて
もらって下さい」と言いますと、「そんなもの許せますか。私の車が前を向いて
止まっている所へ、後ろから当てたのだから、あいつが全部悪い。
そんな者を許せません。

私が百パーセント悪くない」とおっしゃるのですね。
しかし、当てられるには当てられる原因があって、結果として当てられたのです。
それを、「私が一体どんな悪いことをしたというのですか」と、怒りを
向けてこられたのです。


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「御垂訓」

2021-04-04 00:01:28 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
   恩師のご著書「講演集」より

           講演、四

     調和された心、安らぎの心は「光」である


先の続き・・・

この見方からしますと、交通事故が起きた時、
目に触れた花さえ見ることができないのですから、
ましてや、心が向いていなければ、
遠い所にある信号などは目に入りません。
朝、でかける前に夫婦喧嘩をしたとします。
「ほんとうに腹が立つなあ」と、
心が喧嘩のほうにいっていますと、信号は
見えないし、車も見えません。

アッと気が付いた時は、事故を起こしています。
交通事故のほとんどは、
心が集中していないことによって起きていますから、
特に車に乗る時は、しっかりと心がここにあるように、
心を他に持っていかないようにして、運転することです。
そうしましたら、事故は案外起きません。

私が車を運転させてもらいます時、三車線の道路でしたら、
どれほど混んでおりましても、
前方の車が一台もない所を走っているのと同じ状態になります。
この前、O様が私の所に車で来て下さったのですが、
「あの混んでいる東名高速道路を、
ほとんど車のない所を帰ってきました。あれは奇跡です」と。
おっしゃっていました。

常に自分の心を調和させておきますと、車に乗っていて、
仮に後ろから車がつっ込んできましても、
当たる寸前になりますと、キーッとブレーキがかかって、
その車のほうがひっくり返ってしまいます。

こういう体験も、何回かさせてもらいました。
なぜ、こんな現象が起きるのかといいますと、
「光の中に闇は入れない」という原理によるのです。
光の中に闇は入ることができません。
調和された心、安らぎの心は「光」です。


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「御垂訓」

2021-04-03 00:07:08 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
 恩師のご著書「講演集」より

            講演、四

      調和された心、安らぎの心は「光」である


先の続き・・・

今からもう七、八年前のことですが、
私は「さつき」が好きで、たくさんのさつきを植えていました。
丹精こめて育てていますと、花もその愛に応えてくれて、
見事な花を咲かせてくれます。
花がいとおしくて、玄関から座敷、庭まで
鉢に咲いた花をいっぱい並べていたのです。

その時、車のセールスの方が、車を勧めにきてくれたのですね。
玄関の花の咲いたさつきの鉢をいっぱい取り入れていたのですけれど、
その花の前で一生懸命車を何とか一台買ってもらわなくてはならないと思って、
その方の心は車を売ることに集中しています。
その方が、姿勢を変えて用紙に必要事項を書いたりしますと、
肘が花に当たりますし、お尻の位置を変えますと、
お尻が枝のところにいったりします。

私はもう花が落ちないかな、枝が折れないないかなと思って、
ハラハラして見ておりましたが、ご本人はそんなことには全く気が付きません。
やっと書類が出来あがりまして、
「判こを下さい」と言って、書類に判を押した時、
初めて、自らの意識に返られたのですね。

「ありゃー、綺麗な花が咲いていますね」とおっしゃたのです。
「あなた、今までこの花が見えなかったのですか」とたずねますと、
「全然見えませんでした」と言われるのです。
すばらしい花の中にあっても、その花さえ見ることができないことがあります。
これは現実にあったことです。
なるほど、心ここにあらざれば、目にしても見ることができません。



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「御垂訓」

2021-04-02 00:05:26 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
 恩師のご著書「講演集」より

           講演、四

     調和された心、安らぎの心は「光」である


先の続き・・・

しかし、私たちは今日まで平気で自分の心を苦しめてきました。
つまり、怒り、妬み、謗り、愚痴、人の悪口、陰口、恨み、憎しみ、
不要の取越し苦労、不安、恐怖などに捉わえれて、
自分の心を苦しめてきました。

この、自分で作った心の苦しみが、
自分の環境や肉体に上に苦しみとなって形をなし、
現象化してきただけのことです。
すべてがすべてそうだとは言いませんが、
例えば交通事故にしましても、ちょっとした不注意によって、
とんでもない事故に遭い、
一生の苦しみを背負う方がたくさんあります。

「心ここにあらざれば、目にして見えず、耳にして聞こえず」と言いますが、
こんなすばらしい花を生けてもらいましても、心を向けることがなければ、
花の美しさを見ることはできません。


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「御垂訓」

2021-04-01 11:15:28 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

お詫び:二日前に突然の停電の為、当ブログのシステムにトラブルが発生し、
このブログにアクセスすることができなくなりました。
本日プロの方に修正をして頂き、今、新規投稿ができるようになりました。
皆様にご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます。


恩師のご著書「講演集」より

         講演、四

    調和された心、安らぎの心は「光」である


こんな拙い私の話でございますけれども、
私の話を通して肉体が癒される方もございます。
又、心の苦しみが払われる方もございます。

なぜかというと、それは「安らぎ」によるのです。
心に安らぎが与えられることによって、
病が癒されていきます。
正しい心の持ち方を知らないが為に、
私たちは何でもないことに腹を立てています。

しかも、自分が勝手な見方をしていて、
勝手に腹を立てたりします。
心を学ぶ私たちにとって一番いけないことは、
自分の心を苦しめることです。
自分の心を苦しめて、幸せになれるはずがありません。

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