恩師のご著書「思いの中に生きる」より
正しく見る
先の続き・・・
自分本位はこの身を守るためです。
ところが、そういう思いで見た時、
もう既に思いが間違うのです。
自己中心に見ますから、
見るということに対して
自己保存と自我我欲という
色眼鏡がかかっているのです。
だから、人は間違いやすいものである、
過ちを犯しやすいものであるというのは、
五官そのものが間違いを犯しやすく
作られているからです。
深く追求しました時に
こういうことがわかります。
恩師のご著書「思いの中に生きる」より
正しく見る
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自分本位はこの身を守るためです。
ところが、そういう思いで見た時、
もう既に思いが間違うのです。
自己中心に見ますから、
見るということに対して
自己保存と自我我欲という
色眼鏡がかかっているのです。
だから、人は間違いやすいものである、
過ちを犯しやすいものであるというのは、
五官そのものが間違いを犯しやすく
作られているからです。
深く追求しました時に
こういうことがわかります。
恩師のご著書「思いの中に生きる」より
正しく見る
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眼・耳・鼻・舌・身の五官は何のために
与えられているかということを考えましたら、
この肉体を保持するため、
自分の身を守るために与えられているのです。
口から食事をいただかなければなりませんし、
目が見えなければ難儀ですし、
耳も聞こえなければこれも大変です。
だから、自分を守るために与えられた
五官を通してものを見聞きしましたら、
どうしても自分本位の見方になってしまうのです。
そうなっても悪くないのです。
それが当たり前です。
◆お写真は静岡県富士宮での特別研修会での
つかの間の休憩時間にリラックスされている
恩師「長尾弘」先生です。
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正しく見る
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八正道の一番最初に「正しく見る」と
説かれていますけれど、
この「正しく見る」というのは
なかなか難しい問題です。
私たちが学ぶのに一番わかりやすい
「正しく見る」方法といいましたら、
それはまず自分から離れてみるということです。
自分からものを見た時もう既に
間違うのです。
なぜなら、この私たちには
五官が与えられているからです。
恩師のご著書「思いの中に生きる」より
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ところが、
「心」、自分の心で思ったことはどんなに
悪いことを思っても罰せられないのです。
思いは表面に表われないので相手にもわからないし、
そのために思いというものをつい疎かにします。
思うことぐらいどんなに悪いことを思ってもわからないし、
また人に迷惑かからないから
自由させてほしいと思っています。
ところが、思いというのは、
私たちが行動を起こすことを、いわば「陽」、
表れた行とすれば、行の前にする
「陰」、隠れた行になるわけです。
ですから、思うことを間違っていましたら
必ず言葉も間違ってきます。
その言葉が間違えば、また今度は行も間違ってきます。
したがって、思いから正していくことが大切なのです。
恩師のご著書「思いの中に生きる」より
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それから、人間として生きる道、
まず肉体先祖に報恩供養の心を
忘れてはいけない、
また両親に対しては孝養を
尽くさなければならないと説かれています。
このような生活の中で最低、
次の八つの正しい生き方『八正道』
を行じなければなりません。
それは正しく見て、正しく思い、
それから正しく語ること、それから正しく
仕事をなし、正しく生きさせてもらって、
正しく念じ、正しく道に精進して、
正しく定に入るべし、
このように説かれています。
この人間界というか、この世がうまく、
まるく、円滑に行くように法律があります。
この法律は人間として
行を間違った時に
罰せられるようにつくられています。
◆お写真向かって右側は恩師「長尾弘」先生が
黄金に輝いたものです。左側は元の普通の状態です。
恩師のご著書「思いの中に生きる」より
正しく見る
私たちのこの学びの一番根本・基本となっておりますことは、
高橋信次先生によって『心行』の中に
すべて明かしていただいております。
すべての教えは『心行』から始まっていると思います。
何回も何回も読ましていただきましたら、
最初は意味がわかりにくくても自然とわかってきます。
そして、『心行』を日々の生活の師として
行じさせていただきます。
『心行』には、まず私たちを生かして
いただいておりますこの大自然の法則を
詳しく書いていただいております。
◆お写真はお釈迦様が肉体業をされたと言われている
前正覚山です。手前が尼連禅河です。
恩師のご著書「思いの中に生きる」より
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何事も 父母の心の安かれと 祈りつ我は 事を行う
こりゃ、うっかりお迎えもろたら具合悪い」といって、
お迎えを返上されたのです。
今年は九十二歳です。
そして、本当にピンピンしてくれています。
今でも針に糸はちゃんと通しますし、
縫い物もして下さいます。
もう動作なんかも若い人と変わらない位です。
そして、「一日一善を積ましてもらうんや」といって、
私の所のお客さんの按摩をして下さいます。
一つでも善い行いを積む実践をして下さいます。
親とは、この上なく尊い有難い存在です。
恩師のご著書「思いの中に生きる」より
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何事も 父母の心の安かれと 祈りつ我は 事を行う
その姿を見られたお母さんが、
「これは私が行ってあげんと、
あの子は駄目になる。
私が行ってあの子を助けてやらないかん」と思って、
私の所に来てくださったのです。
今まで「もうお迎え欲しい、お迎え欲しい」
と言っておられたお母さんが、
「私はここの子供二人を片付けてやらなあかん。
片親ないんやから私が母親替わりになって、
この子らをちゃんと片付けなあかん。
そのためには自分が健康におらなあかん。
◆恩師の書「光」
恩師のご著書「思いの中に生きる」より
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何事も 父母の心の安かれと 祈りつ我は 事を行う
それでも母親は母親ですね。
もう八十を過ぎておられまして、
お父さんの看病を三年程してくださいました。
お父さんが無事にあの世に帰られましたら、
もうすることが無くなりましたから、
おこたに入って背を丸めて、
「早うお迎え欲しい。早うお迎え欲しい」と、
口癖のように言っておられました。
今から十二、三年前です。
私の家内が亡くなりまして、或る時、
田舎の兄さんに車に乗せてもらって
訪ねてくれたのです。
私はもう全く食うや食うわずで、
家内が二人の子をのこして
突然あの世に帰りましたから、
まあ下手な御飯を一生懸命炊くのですが、
炊いたことがないから
うまくいきません。
おかずも買いに行ったことがないけれど、
買いに行って下手な料理をして、
子供たちに食べさせて、まあまあ食うや
食わずの生活をしていたのです。
※ ご報告
ブログ名:垂訓 URL:http://blog.goo.ne.jp/hanatenzen
当ブログの開設日より現在までのトータル訪問者数、
並びにトータル閲覧回数をご報告申し上げます。
開設日:(2008-11-11)から本日現在(2025-02-08)
までの5,934-195=5,739日間で:(不可抗力で
投稿できなかった日数を195日として計算しています)
トータル訪問者数:625,417名 一日平均:109名
トータル閲覧回数:1,521,968回 一日平均:265回
沢山の皆様の当ブログへの訪問ならびに閲覧ありがとうございました。
恩師「長尾弘」先生も天上界で大変喜んでおられることとご推察致します。
及ばずながら、小生も皆さまのご健康とご多幸を
お祈りさせていただきながら、日々当ブログの
更新・管理をさせて頂いております。
ありがとうございました。
恩師のご著書「思いの中に生きる」より
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何事も 父母の心の安かれと 祈りつ我は 事を行う
そのように、自分の人生の迷いがある時は何をするにも、
お父さん・お母さんの心安かれと
喜んでいただける方に進めば、
狂いのない人生航路が約束されます。
これは私の体験です。
私はできるだけ両親に喜んでいただけるように
努力してきました。
しかし、その中で、親に心配をかけたくないのに、
自分に与えられた環境のために心配を
かけたこともありました。
私は四十五歳の時に先の家内を亡くしました。
これは親にさせたくない心配でした。
ものすごく親不孝をしたと思います。
恩師のご著書「思いの中に生きる」より
尊い親の存在
先の続き・・・
それで、その間、いろいろと苦しいことやら、
迷いのことがありました。
その二十歳位の時に,今にしてして思えば
大きな迷いではなくても、
その当時はそれが精一杯の迷いでした。
それで、どうすればこの迷いの中で
間違いのない道を進めるのか、
それを追求していました時に、
お父さん・お母さんに
最も喜んでいただける方を選ぶべき
ことに気が付きました。
そして、お父さん・お母さんが
喜んでくれる方を人生の羅針盤として進みますと、
何かにつけてうまくいきました。
親が心配してくれる方を選べば必ず失敗します。
これは、親の心は神の心だからです。
だから、「何事も 父母の心の
安かれと 祈りつ我は 事を行う」―――
私の二十歳の時の短歌です。
恩師のご著書「思いの中に生きる」より
尊い親の存在
先の続き・・・
私の二十歳位の時でした。
私は十六歳から家を出ました。
好い恰好をして、
「独立するから私を家から出してください」
とお願いしました。
お父さんから何回も「家で百姓をして後を継いでくれ」
と言われていました。
私の十歳上の兄さんが軍隊から復員してきましたので、
私の必要が家ではないと思いまして、
「家を出してください」とお願いしたのです。
その時、お父さんは十六歳の私を捕まえまして、
「よっしゃ。お前も男の子。
一旦家を出たからには外の飯が辛いからといって家に帰っても、
家の飯は絶対に食わすことならん」こんなに言われたのです。
私は「それでも結構です」といって、家を飛び出しました。
◆お写真は恩師「長尾弘」先生がモンゴルを
訪問された時のスナップ写真の一枚です。
恩師のご著書「思いの中に生きる」より
尊い親の存在
先の続き・・・
この地上界で最も尊い者はお父さん・お母さんです。
また、このお父さん・お母さんは
自分の身を捨ててでも子の幸せを祈ってくれます。
自分は苦しみを背負ってでも
子は安かれと尽くしてくださいます。
その親に対して私たちの中には、
「頼みもしないのに勝手に産んで」と、
文句を言う人があります。
これはとんでもない間違いです。
両親あってこそ自分があり、
両親がなければ自分という存在がない。
これは当たり前のことです。
この当たり前のことを
皆疎(おろそ)かにしています。
そして、道を誤って行くのです。
恩師のご著書「思いの中に生きる」より
尊い親の存在
先の続き・・・
天上の世界で夫婦の約束ができます。
そうしますと、
次に私たちの子供になってくれる人が
「お父さんになってください」
「お母さんになってください」
とお願いに来てくれます。
そういう完璧な計画のもとに、
私たちはこの地上に迎えていただきます。
お父さん・お母さんがこの世におられなければ、
私たちの今の存在は全くありえません。
そして、この世の中で何が
一番尊いのかと考えてみますと、
これは私たちの親だと思います。
自分という存在を与えていただいたお方です。
たとえどのような親であっても、
自分の存在というものはその親がなければ
いただけないはずです。