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生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

様々なメタエンジニアリングの研究(応用編 その2)

2025年03月19日 09時12分03秒 | A5冊子「メタエンジニアリング・シリーズ」
さまざまな「メタ」の研究(3)  ― 応用編 ―

2.絵画(メタ表現の絵画)

 近代までの絵画の多くは、写真の代わりだった。大きな行事や、肖像画がパトロンの下で製作されていた。しかし、写真の開発と印象派の台頭でそのことは変化した。それ以前には、モナリザのように、画家の謎めいた表現が流行したようだが、近代になると、色々な表現が盛り込まれるようになった。
 その中で、「メタ表現の絵画」を考えてみる。この場合のメタは、「従来の習性にとらわれずに、 視点をできるだけ広げる」である。
 そこで、二つの絵を取り上げたい。スーラの「グランド・ジャネット島の日曜日の午後」とターナーの「雨、蒸気、スピード」の二つだ。この二枚の絵は、当時(現在でも)としては、全く初めての画期的なものだった。しかし、その絵画では、当時の世相や産業技術レベル、社会と自然との関係などが、明確に表現されている。
 中野京子著「名画の謎」(文藝春秋[2013] )には、次のように書かれている。この著者は、ドイツ文学者なのだが、西欧画についての多くの著書があり、この「名画の謎」もシリーズ化されている。副題は、「陰謀の歴史編」で、多くの有名な政争を取り上げた絵画が紹介されている。しかし、ここで注目したのは、第2章の「産業革命とパラソル」だ。対象の絵画は、パリ市の中央にある島の川べりで、多くの人が寛ぐなかで、パラソルをさした数人の女性がたたずんでいる、有名な明るい絵だ。スーラの点描の代表作とされている。



 前半は、スーラの半生が述べられている。印象派が台頭してきた時期なのだが、彼の画法は全く認められずに、極貧を極めた。点描画法に執着した彼は、『印象派画家の多くはタッチこそ個性と考えていたし、偶然性や直感を利用した躍動感と色彩、そこから生まれる心象描写を重視していたので、スーラの手法は科学偏重、構図も計算しすぎ、非人間的で没個性、と感じられていたのだろう。』(p.33)とある。
 この絵も、売れる見込みは無く、彼のアトリエで死蔵されていた。しかし、フランスの画商からシカゴのコレクターにわたると、米国で俄かに評判となり、シカゴ美術館の所有になった。フランスが、巨額での買戻しを試みたが断られたとある。そこから、絵画の説明が始まる。「謎」ではなく、画家が何を表現したかであり、そのことは明確に描かれている。つまり、市民革命が成功し、産業革命の恩恵を満喫する、それぞれの階層のパリ市民の姿だ。



 数匹の犬の動き、女性の周りを飛び交う蝶、スカートを翻して駆け出す少女、意味ありげな男女(金持ちと愛人)、ヒモで繋がれた猿(悪徳の象徴)。当時の西欧は、キリスト教のために、ダーウインの進化論(特に、ヒトが猿から進化した)は憤激されていた。そして、沢山のパラソルは、当時新開発された、軽い柄で女性が片手で支えられるものだった。それまでの傘は重く、奴隷が支えて付き従うものだったが、産業革命のよる大量生産で、比較的安価で入手できるようになった。
 つまり、この絵は、たった一枚で、いくつもの当時の社会情勢と産業革命の成果を表している。
A Sunday on La Grande Jatte, Georges Seurat, 1884

 ターナーは、Joseph Mallord William Turner(1775 – 1851)イギリスのロマン主義の画家。写実的な風景画家として、同時代のコンスタンブルと並び称せられることが多い。コンスタンブル展は、Covit-19の合間の昨年(2021)春に、三菱一号館で行われたが、その時もターナーの絵が、比較対象物として展示されていた。
 この展覧会では、ターナーが並んでいるコンスタンブルの絵と比べて、物足りなさを感じて、その場で一筆(確か、赤だったと思う)加えたという逸話が述べられていたから、相当なライバルだったのだろう。
 私がターナーに初めて出会ったのは、多分開館間もない上野の西洋美術館の展覧会で、学生時代のことだった(半世紀も前のことなので、記憶が曖昧で間違えかもしれない)。宗教や貴族社会とまったく関係ないイギリスの風絵画が、ヨーロッパの自然主義への回帰を思わせた。  Rolls Royceとの新型エンジンの共同開発中には、毎年数回ロンドンで過ごす日があったが、必ず訪れるのは、大英博物館とテート美術館だった。テート美術館は、おそらく半分はターナーの絵で、当時はターナー専門の建物を建設中で、訪問の度に新たな部屋に、数枚が移動されていた。
 また、美術館の目の前にはテムズ川の船着き場があり、そこからボートに乗ると、ロンドンの中心部の好きなところで降ろしてもらえるのも魅力だった。
 ターナーの「雨、蒸気、スピード」という絵は、スーラとは対照的で、色は混ざり合い、何色か判別できないほど混濁している。しかし、タッチは強烈で、まさに「スピード」を表している。蒸気は英国の産業革命の象徴であり、霧雨はイギリス南部を表している。



 メタ表現の絵画は、これだけではないのだが、絵画の世界にも「メタ指向」が存在し、それに成功した絵画は、時代の流れと共に名画の部類に属するようになると思う。

《雨、蒸気、速度-グレート・ウェスタン鉄道》(1844年、ロンドン・ナシよナル・ギャラリー)

補遺

 ターナーの「雨、蒸気、スピード」は、実は夏目漱石の著作に2度も出てくる。彼もこの絵の愛好家だったのだ。
一つ目は、『山道を登りながら、かう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。』で始まる有名な「草枕」で、芸術論を述べたものとして有名だが、文明(開花)に対する強い思いも述べている。
直接の言及は、次のような表現ですこぶる難解になっている。『この故に天然にあれ、人事にあれ、衆俗の辟易して近づき難しとなす所に於て、芸術家は無数の琳瑯を見、無上の宝璐を知る。俗に之を名けて美化と云ふ。其実は美化でも何でもない。燦爛たる採光は、炳乎として昔から現象世界に実在して居る。只一ヱイ眼に在つて空花乱墜するが故に、俗累のキセツ牢として絶ち難きが故に、栄辱得喪のわれに逼る事、念々切なるが故に、ターナーが汽車を写す迄は汽車の美を解せず、応挙が幽霊を描く迄では幽霊の美を知らずに打ち過ぎるのである。』(漢字がない場合には, カタカナで代用)
 そして、汽車については、こんな文章も含まれている。(岩波書店 [1906]) 
『檻の鉄棒が一本でも抜けたら -世は滅茶滅茶になる。』(pp.168)』
『轟と音がして、白く光る鉄路の上を、文明の長蛇がのたくって来る。』(pp.169)
『文明の長蛇は口から黒い烟を吐く。』(pp.169)
『あぶない、あぶない。気を付けなければあぶないと思ふ。現代の文明は此あぶないで鼻を衝かれる位充満してゐる。おさき真暗に盲動する汽車はあぶない標本の一つである。』(pp.168)
つまり、明治時代の文明の産物は、危険が多く、また芸術に比べて、美的感覚が無いことを述べているように思われる。

 二つ目は、聊かメタエンジニアリングにも拘わる文章として、「文学論」で言及している。漱石の文学論は「漱石全集」の第14巻(岩波書店[1966])を丸ごと使うもので、長文になっている。
 内容については、このシリーズの第24巻の人文学系の第4話の「メタ文学」で紹介した。
 序には、英国生活の概要が語られているが、公費が少額でとても留学中の他の日本人とまともに付き合う金がないことが記され、そのためにケンブリッジやオクスフォードを早々に引き上げて、ロンドンで大学の講義と書店巡りをしたことが書かれている。
 その中の、第3編は「「文学的内容の特質」で、その第1章が「文学的Fと科学的Fとの比較一汎」となる。
『凡そ科学の目的とするところは叙述にして説明にあらずとは科学者の自白によりあきらかなり。語を換へて云はば科学は“How”の疑問を解けども“Why”に応ずる能わず、否これに応ずる権利無しと自任するものなり。』(pp.219)

 そして、文学者と科学者の事物にたいする態度の違いを明らかにしてゆく。
 『次に来るべき文学者科学者間の差異は其態度にあり。科学者が事物に対する態度は解剖学的なり.由来吾人は常に通俗なる見解を以て,天下の事物は悉く全形に於て存在するものなりと信ず,即ち人は人にして,馬は馬なりと思ふ.然るに科学者は決して此人或は馬の全形を見て其儘に満足するものにあらず, 必ずや其成分を分解し、其各性質を究めざれば巳まず,即ち一物に慧する科学者の態度は破壊的にして,自然界に於て完全形に存在する者を,細かに切り離ちて其極致に至らざれぱ止まず,単に肉眼の分解を以て溝足せずして百倍及至千倍の鏡を用ゐて其目的を達せんとす。複合体に甘んずることなく,之を原素に還し,之を原子に分かつ,さて如此き分解の結果は遂に其主成分より成立せる全形を等閑視すること濵にして,又之を顧るの必要なきことも或場合に於ては事実なりと云ひ得べし。』(pp.222-223)と述べている。
 ターナーの絵の登場は、第2章の「文芸上の真と科学上の真」にある。『凡そ文学者の重んずべきは文芸上の真にして科学上の真にあらず、・・・。』(p.257)で始まっている。
 『由来文芸の要素は感じを以て最とするものなるが故に、此感じを読者に伝へんとして伝へ得たる時吾人はこれに文芸上の真を附与するを躊躇せず。かのTurnerの晩年の作を見よ。彼が画きし海は燦欄として絵具箱を覆したる海の如し。彼の雨中を進行する汽車を描くやメイ濠として色彩ある水上を行く汽車の如し。此海、此陸は共に自然界にありて見出し能はざる底のものにして、しかも充分に文芸上の真を具有し、自然に対する要求以上の要求を充たし得るが故に、換言すれば吾人はここに確乎たる生命を認むるが故に、彼の画は科学上真ならざれども文芸上に醇乎として真なるものと云ふを得るなり。』
(p.259)
その後には、科学上の真と比べて、「文芸上の真は時と共に推移するので、明日は急に真ならず」と非難されるかもしれないとしている。
 この項に係わらず、漱石文学はどの作品にも、メタ思想が盛り込まれているので、何時の時代にも人気があるのだと思う。

様々なメタエンジニアリングの研究(応用編 その1)

2025年02月07日 14時54分10秒 | A5冊子「メタエンジニアリング・シリーズ」
メタエンジニアリング・シリーズ(応用編)27   

さまざまな「メタ」の研究(3)より
 
はじめに

 2021年10月28日にフェイスブックが社名を「メタ(Meta)」に変更すると発表した。「メタバース(Metaverse)」のイメージを強調するためと云われている。「メタバース」とは、AR(拡張現実)とCR(仮想現実)の端末を使って、人々とつながれるデジタル空間のことで、フェイスブックは、当面はこの分野で収益を見込んでおらずに、将来の1兆ドル(約118兆円)のビジネスチャンスを期待している。
 正式な社名はMeta Platforms, Inc.で、のカリフォルニア州に本社を置くテクノロジーコングロマリットである。CEOのマーク・ザッカーバーグは、この会社の創設者として有名なのだが、『メタバースは私たちだけで構築できるものではありません。この点は、今日はっきりとお伝えしたと思いますし、今後も訴えていくつもりです。「メタメタバース」というものは存在しないからです。メタバースは1つしかありません。「当社がメタバースを構築している」と言うのは、「当社がインターネットを作っています」と言うようなもので、そもそもおかしい。しかし会社として、私たちは単なるソーシャルメディアではないと示すことは重要です。それが、今回の社名変更の意味です。』と言っている。一体「メタ」とは、何なのだろうか。実は、西欧では古代ギリシャの時代からあった言葉なのだが、日本では20世紀後半までなじみが薄かった。

 私の書架に「広辞苑(第1版)」がある。昭和30年(1955)の発行なのだが、そこには「メタ」という言葉はない。「めた、滅多、めったの略」とあるだけである。そこで、図書館で最新の第7版までの記述項目を調べてみた。14年後の第2版(1969)では、「めた」はそのままだが、「メタ言語」が登場。対象言語(何かの対象について述べる)の表現内容について述べる高次言語としているが、メタ言語も、それを対象として更に高次元のメタ言語に発展するとしている。他には、「メタセンター」(浮かんだ物体の傾きの中心) 「メタフィジーク」「メタフィジカル」「メタ倫理学」がある。大きく変わったのは第3版(1983)で、第2版までの「めた」が消えて、初めて「メタ」(ギリシャ語の、間に、後に、超えるに由来する接頭語)が登場した。岩波書店から「アリストテレス全集」が発行されたのが、1968年-1973年なので、その影響と思われる。

 つまり、アリストテレスが元祖「メタ」なのだ。古代ギリシャのアリストテレス直後に始まった「メタ」という概念が、西欧(つまり英語)ではMetaphysicsとして、古代から普及したにもかかわらず、日本では20世紀中半まで待たねばならなかったのは、何故であろうか。私には、Metaphysicsを「形而上学」という日本語にしてしまったことが、大いに関係していると考えている。
形而上学という言葉は、ややもすると机上の空論に結び付いてしまう。しかし、この考え方は、アリストテレスのMetaphysicsとは、実は正反対なのだ。

 アリストテレスは、万学の祖と云われるほどに、自然界と人間界のあらゆるものについて考え、それらを次々に書物として纏めた。彼の死後、これらを全体的に眺めて、纏めなおしたのが「ta meta ta physica」(自然学の後から来るものどの)であった。つまり、それぞれの分野をとことん追求したあとで、ひとつ次元高い所から纏め直したことを意味している。

 日本語版では、岩波文庫の上、下巻が、それぞれ1959年と1961年に発行されている。中身は全14巻に分かれていて、例えば、第1巻は10章からなっている。その第5巻は「用語辞典」になっていて、アリストテレスが使用した用語の説明が細かく記されている。用語としての項目には、例えば、原理、原因、構成要素、自然、必要、存在、実体、能力、無能力、可能性、限界、状態、全体、部分、種族、虚偽、誤謬、偶然性などがある。
例えば、「原因」については、彼はそれを「始動因」として、ものごとの始まりと捉えている。彼の説明は、『例えば、散歩のそれは健康である。というのは、「君はなにゆえに散歩するのか」との問いに私は「健康のために」とこたえるであろう』(上、p.156)、のように平易なものなのだが、形而上学と名づけたために、わが国では、すべてが難解な言葉に置き換えられてしまった。

 日本語が役に立たないので、新英和大辞典(研究社[1992])第5版を参考にする。そこには、「meta-」という前置詞には次の3つの意味が書かれている。
『1.主に科学用語で次の意味を表す:a「・・の後、・・を超えた」:metanephros, metagalaxy, metaphysics. b (位置・状態)の変化:metabolism, metamorphosis. c「二次的・・」:metalanguage. 2. 「・・より包括的な;超・・」の意で、既存の学問を批判的に扱う新しい関連学科名を表わす:metalinguistics, metamathematics, metapsychology. 3,【化学】メタ a 「・・の重合体[誘導体]」 b ベンゼン環を有する化合物で、1,3-の位置置換を示す』とある。
 つまり、細かくは6つの意味がある。そして、この英和辞典には「3」の科学を除いても150余りの「meta何々」が示されている。(詳細は、このシリーズの第26巻の付録を参照)

 しかし、この150余りの英語のmeta-を見ていると、あることに気づかされる。それは、もともとmeta-に決められた定義があるわけではなく、多くの人(特に専門家)が、自分の専門分野の常識からはみ出ることや、一段上がったり、下がったりした立場で考え直すときに使った前置詞のように思えてきた。考えてみれば、辞書とはそういうもので、多くの人が使いだした新たな言葉が掲載されるわけである。つまり、「meta-」は、その道の専門家が自由に使ってよいのではないだろうか。しかし、ここで問題なのは「専門家が」ということで、専門を極める前に使うことは危険である。広辞苑にも「ギリシャ語の、間に、後に、超えるに由来する接頭語」とあるように、アリストテレスの前例に倣えば、「あることを極めた後で」という前置詞なのだから、このことは当然のことと思う。

 このシリーズでは、すでに2巻を発行した。第24巻「さまざまな「メタ」の研究(1)人文・社会科学編」と、第26巻「さまざまな「メタ」の研究(2)理工・経済学編」になっている。そこで、この「さまざまな「メタ」の研究(3)」では、アリストテレスに倣って様々な「用語」について、その専門書のなかから選んだものを「応用編」として記すことにしました。

注意;このシリーズでは、すべてのメタ思考について、正確を期するために著書の原文の多くをそのまま引用しました。その部分は、『』で示して、著者の記述であることを明確にしました。

目次
         ページ
  はじめに     3

  1.宇宙    12
  2.絵画    15
  3.懐疑    23
  4.懐古    26
  5.科学    33
  6.学派    37
  7.学科    41
  8.企業    44
  9.決定    53
 10.資本    57
 11.社会    62   
 12.自由    67
 13.資料    66
 14.進化    73
 15.人生    78
 16.人類    84
 17.制御    87
 18.戦争    91
 19.伝言    94
 20.認知    99
 21.発言   101
 22.目的      103
 23.予防      106
 24.歴史      109

 おわりに       114

 付録 「メタ」語集  115

          (全127頁)



1.宇宙(メタバース)

 メタバース(metaverse)とは、英語の「超(meta)」と「巨大な空間(universe)」を組み合わせた造語で、1992年にSF作家のニール・スティーヴンスンが発表した『スノウ・クラッシュ』という小説に記された仮想空間の名称で、その後、様々な仮想空間が登場し、それらの総称となった。世界的なブームは、2021年、Facebookがメタバース実現に向けて本格的に動き出したことで、10月にFacebookが社名を「Meta(メタ)」に変更すると発表したことに始まる。生みの親であるマーク・ザッカーバーグは、新たな社名のもと、仮想空間の構築に注力してSNS主体の企業からメタバース企業へ変わると宣言した。そして、メタバースを「次のコミュニケーションプラットフォーム」と位置付けた。
 「宇宙」という語は英語では、cosmos, universe, space などがある。英語の universe はラテン語 universum に由来しており、すべての物と事象の総体を意味するので、メタバースは、今後それに相応しい内容として、急速に発展すると思われる。タイミングとしても、世界的なコロナ禍の状況の中で何度も拡散の波が繰り返され、対面によるコミュニュケーションが大幅に制限され、アバターを使っての意志交換がもてはやされることになったことは、偶然ではない。

 メタバースの基本技術は、Block Chainにより、①全ての記録が残る、②情報所有者によるアクセス制限がつけられる、③自分のBlock Chainと他のBlock Chainとの連携ができる、などにより、仮想空間と現実を瞬時に行き来できる。つまり、ゲームやエンタメだけでなく、現実の商取引にも用いることで、巨大なマーケットが予測されている。アバターを利用して、友達感覚で顧客との商談ができることは、顧客のより具体的な希望の把握により、製品を顧客の要望と組合せて商談を進められることは、現実の商談よりも、より細かく、かつ正確な結論を得ることが可能になったと云える。

 さらに、GoogleからスピンアウトしたNiantic社は、AR技術を使って現実の世界とデジタルの世界を融合させるという没入型デジタル環境の仮想世界ではなく、現実世界のメタバースを提唱している。彼等は、VRヘッドセットに拘束されるようなメタバースを「ディストピアの悪夢」と呼んだ。例えば、人気ARゲーム「ポケモンGO」のようなものだ。さらに同社は、その動作基盤となっているプラットフォーム「Niantic Lightship Platform」を他の開発者にも提供して、新たなアプリ開発を後押しすることを始めた。開発者を増やすことで「現実世界のメタバース」というコンセプトを広めてゆくという狙いがあるとされている。

 日経新聞の記事(2022.1.8夕刊)に拠れば、メタバース市場は、2020年の477億ドルから、2028年には8290億ドルに成長するとしている。そして、「メタバースでできることの例」として、次のものを挙げている。
・エンターテインメント(3Dゲーム、映画、音楽ライブ、テーマパーク)
・シヨッピング(アバターの服や靴,リアル商品)
・働く・経済(仮想空間での会議、非代替性トークン(NFT))
・暮らす(不動産の売り買い、家具をそろえる、ニュースや広告を見る)
などである。つまり、生活そのものが仮想空間に移行してしまうことになる。

 特に、商談の分野では、ZOOM経由で「何処でも」、「何時でも」が可になるとともに、 従来の商談では、TEXT(WORD, Power Point, Excelなど)であったが、顧客の数字を入れれば、直ちにシミュレーションを行い、顧客のメリットを示すことが可能になる。また、顧客が納得すれば、全てのデータがBlock Chainにそのまま記録されるので、顧客にとっても商談が着実に行われたという証拠が残る。 
 しかし、多くのひとびとが、現実を離れて、多くの時間を仮想空間で生活をする事態になると、社会全体はどのようになってしまうのだろうか、そのことをメタエンジニアリングで深く考える必要があるのではないだろうか。

 私は、一時期宇宙に関する業務に係わったのだが、「宇宙には夢がある」という言葉は好きになれなかった。メタバースの技術では、火星の表面に家を建てて暮らすことは容易に体験できる。その結果は、「宇宙には何もない」となるのではないだろうか。そして、地球上の生活空間の重要性と貴重性への認識が高まることを期待している。
 多くの宇宙飛行士が語った言葉も、宇宙での滞在の幸福感ではなく、宇宙から見た地球の自然の美しさばかりだったと思う。

このシリーズの冊子は、メタエンジニアリング研究所から発行されて居ます。
連絡先は、
https;//meta-engineering.com

A5冊子「メタエンジニアリング・シリーズ」(その1)

2025年01月27日 12時34分58秒 | A5冊子「メタエンジニアリング・シリーズ」
TITLE: ブログ;A5冊子「メタエンジニアリング・シリーズ」(その1)

 メタエンジニアリング研究所から27冊の冊子を発行しています。少数を印刷して関係者に配布していますが、一般販売は行われていません。そこで、その一部をこのブログで紹介してゆきます。

現在までに発行された書籍は次の27巻です。



目次編 メタエンジニアリング研究のすべて

基礎編
 第1巻 メタエンジニアリングとは何か
 第2巻 メタエンジニアリングの基礎
 第3巻 メタエンジニアリング技術者の役割と資質
 第4巻 MECIサイクルのMiningとExploring
 第5巻 MECIサイクルのConvergingとImplementing
 第6巻 Design on Liberal Arts Engineering
 第7巻 科学・メタエンジニアリング・工学
 第8巻 メタエンジニアリングの場とイノベーション
 第9巻 メタエンジニアリングの歴史 人物編
 第10巻 メタエンジニアリングの歴史 カテゴリー編
 
応用編
 第11巻 メタエンジニアリングによる文化の文明化
 第12巻 メタエンジニアリングで考える環境問題
 第13巻 メタエンジニアリングで考えるエネルギー問題
 第14巻 メタエンジニアリングによる技術の系統化
 第15巻 メタエンジニアリングによる新・原価企画
 第16巻 The Essence of Engineering and Meta-Engineering
 第17巻 21世紀の正しい創造のためのメタエンジニアリング
 第18巻 メタエンジニアリングによる文化の文明化のプロセス
 第19巻 現代西欧文明の衰退と次の文明(MECIメソッドの応用)
 第20巻 メタエンジニアリングで考えるエネルギービジネスと環境
  第21巻 メタエンジニアリングで考える企業の進化
 第22巻 メタエンジニアリングのちから
 第23巻 メタエンジニアリングでスキーマ―を育てる
 第24巻 さまざまな「メタ」の研究(1) 人文・社会科学編
 第25巻 メタエンジニアリング10年間の活動記録
 第26巻 さまざまな「メタ」の研究(2) 理工・経済学編
 第27巻 さまざまな「メタ」の研究(3) 応用編

今回は、第1巻の「まえがき」です。


まえがき(初版の)

メタエンジニアリング・シリーズの発刊について

 メタエンジニアリングに関する研究は2009年に行われた、日本工学アカデミーの「我が国が重視すべき科学技術のあり方に関する提言~ 根本的エンジニアリングの提唱 ~」という提言に始まった。筆者は、その直後に設定された「根本的エンジニアリングの実装」という研究部会に参加し、3年間の部会活動を通じて新たなエンジニアリングに関する考え方を纏める事を試みた。

 当初は、部会の趣旨である、「持続的イノベーションの促進方法」についての議論が中心であったが、次第に より根本的に考えざるを得なくなった。考えてみると、現代生活の身の回りの文明的なものは、全て過去のイノベーションの結果である。テレビやインターネットなどの通信機器やシステム、自動車・鉄道・航空機などの輸送・交通手段、全ての家電製品などなど。これらは全て、発明当初はイノベーションの一つであったものが、現代に至るまで、その持続性を示し続け発展をしてきたものである。この様に、長期間にわたって持続性を保ち続けたイノベーションは、「文明」となる。
 
 このことを、逆に「文明」から辿ると、文明の元である優れた文化が融合する中で、あるイノベーションが人類社会に広く受け入れられ、持続的に発展してゆく、という過程が分かる。その過程で最も大きく寄与する力がエンジニアリングであろう。18世紀から20世紀にかけて、人類の文明はこの力により、大きな発展を遂げることができた。しかし、昨今の状況はこの連続性に疑問が投げかけられるようになった。多くの公害の発生や地球環境の悪化等が止められないこと、大災害や反乱・テロ(これらもエンジニアリングの成果を用いている)などが繰り返されることなどが、その主たる原因であろう。このように考えてゆくと、現代のエンジニアリングには、何か足りないものがあるのではないか、その大もとは何なのかとの疑問が湧いてくる。
 
 古代ギリシャでは、多くの科学が驚異的な発展をした。その中では、現在でも有名な多くの自然学者、科学者や哲学者が活躍をした。その状況は、今日とよく似ている。そして、古代ギリシャの場合には、最終的にアリストテレスにより当時の自然学(Physica)を包括し、その根本を探るものとして、形而上学が始められた。英語名は、Meta-Physicsである。そして、この形而上学は中世まで続き、新たな自然科学の時代への引き継ぎの役目を果たした。
そこで、エンジニアリングの根本を探るものとしての、「メタエンジニアリング (Meta-Engineering)」との発想に行きついたわけである。定義さえも まだ曖昧であるが、この基本的な考え方で、現代文明行方とエンジニアリングの係わりを探ってゆきたいと思う。

平成26年3月 勝又一郎

第2版のまえがき

 本書は、2年前に第1版を纏めた。それから今日まで、様々な事故や災害を見聞きした。その度に思うことは、現代の工学(エンジニアリング)が、「人のために役に立つもの・ことを創造する」とした時に、あまりにも視野が狭い」ということだった。エンジニアリングの視野を、工学と自然科学から広げると、社会科学・人文科学から遂には、哲学に至る。その考え方に基づくと、メタエンジニアリングは多くの方面に発展することが分かってきた。例えば、21世紀には地球と人類社会の持続的な維持と発展のためには、新たな文明が求められているが、その実現のためのプロセス。また、一般社会と先端科学との距離感を縮める接着剤の役目。社会に想定外の事故や災害を起こさないための真に正しい設計、などが挙げられる。
 第2版では、これらのことを概説するために全体を見直し、加筆訂正をした。また、新たな章を設けてより具体的な説明を試みることにした。

             平成28年 正月    勝又一郎 

 今後は、このシリーズでの投稿を続けるつもりです。興味のある方には冊子をお分けします。

 連絡先は、下記のホームページから申し込みができます。
  https://meta-engineering.com/