このシリーズはメタエンジニアリングで「メタエンジニアの歴史」を考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。
TITLE: 書籍名; 「複雑系」[1996]
著者;M・ミッチェル・ワードロップ
発行所;新潮社 1996.6.30発行
初回作成年月日;H30.2.3
引用先; 「メタエンジニアの歴史」
著者は、物理学者で雑誌「Science」のシニアライターを10年間続けた。「複雑系」の考え方と言葉は一時期はやったが、今は下火になっている。しかし、この考え方はメタエンジニアリングでものごとを考える際には必須のものと思われる。
複雑系の研究は、「サンタフェ研究所」で長期間に亘って組織的に行われた、この著書は、その全体像をまとめたものになっている。Wikipediaには次のようにある。
『ロスアラモス国立研究所のジョージ・コーワンの構想に基づき、ノーベル賞受賞者のマレー・ゲルマン、フィリップ・アンダーソン(物理学)、ケネス・アロー(経済学)らが賛同して設立された。複雑系(複雑適応系)研究のメッカ。』本書は、ここで唯一の関連図書として挙げられている。
一方で、「複複系」にいてWikipediaには次のようにある。
『複雑系(英: complex system)とは、相互に関連する複数の要因が合わさって全体としてなんらかの性質(あるいはそういった性質から導かれる振る舞い)を見せる系であって、しかしその全体としての挙動は個々の要因や部分からは明らかでないようなものをいう。
これらは狭い範囲かつ短期の予測は経験的要素から不可能ではないが、その予測の裏付けをより基本的な法則に還元して理解する(還元主義)のは困難である。系の持つ複雑性には非組織的複雑性と組織的複雑性の二つの種類がある。これらの区別は本質的に、要因の多さに起因するものを「組織化されていない」(disorganized) といい、対象とする系が(場合によってはきわめて限定的な要因しか持たないかもしれないが)創発性を示すことを「組織化された」(organized) と言っているものである。
複雑系は決して珍しいシステムというわけではなく、実際に人間にとって興味深く有用な多くの系が複雑系である。系の複雑性を研究するモデルとしての複雑系には、蟻の巣、人間経済・社会、気象現象、神経系、細胞、人間を含む生物などや現代的なエネルギーインフラや通信インフラなどが挙げられる。
複雑系は自然科学、数学、社会科学などの多岐にわたる分野で研究されている。』
つまり、自然科学と社会科学の両面を備えて、部分ではなく全体を考える学際ということになる。
本文の大部分は、サンタフェ研究所とその周辺で起こった歴史が書かれている。ことの発端は、古典経済学の理論が世界経済を説明できなくなったことに発している。世界的な経済活動が複雑になり、突拍子もないことが頻繁に起こる世の中になってきたためである。そこから研究は、徐々に経済以外の分野に発展をしていった。そして、最後の「第九章 その後のサンタフェ研究所―二十一世紀の地球のための科学」に纏められている。その章から引用する。
『状況を根底から理解する必要があると話した。そうすれば、ここなら折り合いがつくかもしれないという妥協点が見つかる可能性もある。
こう考えてくると、結局は分析の第三のレベルに到達する。このレベルでは、環境問題について、異なる二つの世界観がどんな主張をするかを考えることになる。一つは啓蒙主義の時代から受けついできた平衡という標準的な見方 ーつまり、人間と自然との二元性を前提として、両者のあいだに人間にとって最適であるような自然の平衡が存在するという考え方だ。この世界観を信じるのなら、ワークショップで私より先に話しただれかの言葉ではないが、『環境資源に関する政策決定の最適化』について語ることもできなくはない。
もうーつは、人間と自然との二元性を基本的に認めない複雑性という見方だ。われわれ自身、自然の一部だ。われわれは自然の真只中にいる。われわれはみな、この連動するネットワークの一部だから、 行為者と被行為者の区別はない。もしわれわれが人間として、全体のシステムがどう適応するかも知らずに、好き勝手な ーたとえば熱帯多雨林を切り払うといったー 行動を起こそうとすれば、そのことが逆に、こんどはわれわれのうえに降りかかってきかねない一連の事象、たとえば地球規模の気象変化のような、逆にわれわれのほうに対応を迫ってくるこれまでとは違ったパターンを生じかねない一連の事象の引き金を引くことになってしまう。
だから、そういう二元論をいったん捨でてしまえば、問題の立て方が違ってくる。もはや最適化について語ることはできない。最適化の意味がなくなるからだ。まるで両親が自分たちの行動を「私たち対子供たち」という観点から最適化しようとしているようなもので、自分たちがーつの家族であることを考えれば、これはおかしな話だ。問題にすべきは協調と相互順応 ー家族全体にとってよいことは何か ー ということであるはずだ」』(pp.477)
『アーサーはさらにこう続ける。 「私がかいっていることは、基本的には、東洋哲学から見れば少しも新しいことではないんだ。東洋ではこれまで、世界は複雑なシステム以外の何ものでもないとされてきた。だがこの世界観は、西洋でも ー科学と文化一般とを間わずー 近年しだいしだいに重要さを増しつつある。きわめて遅々とした歩みではあるが、自然を搾取の対象として見る、人間対自然というような見方から、人間と自然との相互協調に重点を置くアプローチへのゆるやかな移行がはじまっている。これまでに起きているのは、世界がどう動いているのかの認識において、われわれが素朴ないしは世間知らずではなくなってきているということだ。複雑なシステムがわかってくるにつれて、われわれが、たえず変化しつつ連動している非線形の万華鏡の世界の一部であることがわかってくるんだ。」
そこで問題は、そのような世界のなかでどんな作戦に基づいて行動すればよいのかということ。そして答えは、できるだけたくさんの選択肢を確保しておきたいということ。求めているのは生存の可能性、現実的な何らかの方法であって、何が最適かではない。これに対して多くの人はこういう。『それでは 次善で満足することになりはしないか』と。そんなことはない。なぜなら、最適化の定義がもはや暖昧なのだから。で、何をしようとしているかというと、あまりよくわからない未来に向かって、たくましさ、ないしは生き残りの可能性を最大にしようとしているわけだ。そして結局は、非線形的な関係や因果の筋道についての知識をできるだけ蓄えようとする方向へ向かう。世界をこのうえなく注意深く観察し、いまの情況がこのまま続くは考にないことだ」 』(pp.478)
最後に、ワシントンの「世界資源研究所」の発言として、今後の20~30年間に必要な基本的な遷移として、6項目を挙げている。
『
一、 ほぼ安定な世界人ロへの〈人口学的〉遷移
二、 一人当たりの環境影響を最小化する〈工学的〉遷移
三、 商品とサービスに ー環境コストを含めたー 真のコストを課す試みがまじめになされ、それに刺激されて世界経済が自然の「資本」を澗渇させることなく自然の「収益」に頼ろうとするような世界への〈経済的〉遷移
四、 その収益をより幅広く分配するとともに、世界中の貧しい家族が家庭を崩壊させることなくより多くの雇用の機会を得られるような世の中への〈社会的〉遷移
五、 全地球的な問題への全地球的な取り組みを促進し、さまざまな政策の統合化を可能にするような超国家連合への〈制度的〉遷移
六、 科学的研究、教育、および地球のモニタリングによって、当面する難題の本質が多くの人々に理解できるような世界への〈情報の〉遷移 』(pp.504)
全体をとおしてみれば、「私がかいっていることは、基本的には、東洋哲学から見れば少しも新しいことではないんだ。」が示すように、明らかに西洋哲学から東洋哲学への基本的な流れが存在し、それにのっとった行動(遷移)が必要になっているということが示されている。