TITLE: 「鉄砲を捨てた日本人」 KMB3450
書籍名;鉄砲を捨てた日本人[1991]
著者; ノエル・ペリン 発行所;中央公論社
発行日;1991.4.10
初回作成年月日;H30.6.5 最終改定日;H
引用先;文化の文明化のプロセス Implementing
このシリーズはメタエンジニアリングで「文化の文明化」を考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。
副題は、「日本史に学ぶ軍縮」とある。訳者は川勝平太氏で文化と文明論に明るい。
はにめに、には「世に知られていない物語」とある。種子島での鉄砲伝来は、よく知られた歴史だが、「鉄砲を捨てた日本人」は歴史として知られていない、というわけである。
先ず、当時の日本人が鉄砲の利用に格別な成功を収めた背景を探っている。16世紀の日本の総人口は2500万人、これはフランスの1600万、イギリスの450万、スペインの700万人と比べて格段に多い。しかも、そのうちの武士の占める割合は、7~10%と推定されている。当時のどのヨーロッパ国での騎士階級が1%に満たないことと対照的であった。
しかし、徳川政権になって徐々にではあるが、鉄砲は放棄されていった。その原因を5つの要素で述べている。
① 鉄砲嫌いの武士が大勢いた
② 外国に対する日本の国家的統合の維持は、通常兵器で充分であった。
③ 日本では、刀剣が武士の魂という象徴的な意味を持っていた。
④ 西洋伝来の文物を軽視していた。例えば識字率が低い、利得を好む欲ボケの輩など
⑤ 純粋に美的感覚から日本刀を好んだ
例えば、ルース・ベネディクトは、「身から出た錆」という言葉を引用して、「この比喩で自分の身体と刀を同一視している」と述べている。
江戸末期に日本を訪れた欧米人の感想は、その文化に驚嘆するものが多い。そのいくつかが紹介されている。
『日本に行く目的が日本を文明国にするためである、といのは真実から遠い。なぜならば日本にはすでに文明が存在しているからだ。では、異教徒たる日本人をキリスト教に改宗させる目的で日本に行くのか、と言われれば、これも真実ではない。そうした企ては、わたくしたちが受けいれている条約の規定によって厳しく禁じられているからである。それでは、日本国民の幸福の増進をはかる目的で行くのかといえば、これも違う。なぜかというと、日本国民ほど幸福に充ちた国民は他に存在しないからである。わたくしたちは貿易によって利益をあげるという目的以外はもっていない』ーエドワード・ド・バリントン・ フォンブランケ将軍、1861年』(pp.148)
結論として、「日本はなぜ鉄砲を放棄したか」については、次のように述べている。
『大型輸送船の建造技術が開発されると、小型輸送船は時代遅れとなり、まして帆船時代に後戻りするようなことはない、であるとか、さらに、西暦2001年のコンピューターが、人間の「思考過程」にひっくるめられるさまざまな過程のありかたを、人間よりも効率よくできるようになれば、そのときにはコンピューターが「人間の思考過程」の肩代わりをするようになれる等々・・・・。
このような言い方にあっては、進歩―この多義的な概念がどのように定義されようともー、この進歩なるものが、あたかも、半ば神聖なるものにして、人間のコントロールを超えた仮借容赦のない力の体現者のように用いられている。もちろんそれは妥当性を欠いている。進歩の道しるべを立て、その道筋を管理し、場合によっては その進行を止めることのできるのは、わたしたち人間である。何を記憶にとどめておくか、それを選ぶのは人間である。そして何を忘却の彼方に消し去ってしまうか、わたしたちが「種子島」のことを忘れさったように、それを決めるのも人問である。 』(pp.150)
この書の著者は、田園での農場経営を好むダートマス大学英米文学の教授だが、核軍縮がなぜうまくできないのかという設問に対する、一つの回答を示そうとしている。核兵器は皆が好まないことは共通なのだが、変わるべき「日本刀」に相当するものがないことが、現代社会の悲劇なのだろう。現代社会では、倫理観に基づく美意識が欠けているのかもしれない。
書籍名;鉄砲を捨てた日本人[1991]
著者; ノエル・ペリン 発行所;中央公論社
発行日;1991.4.10
初回作成年月日;H30.6.5 最終改定日;H
引用先;文化の文明化のプロセス Implementing
このシリーズはメタエンジニアリングで「文化の文明化」を考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。
副題は、「日本史に学ぶ軍縮」とある。訳者は川勝平太氏で文化と文明論に明るい。
はにめに、には「世に知られていない物語」とある。種子島での鉄砲伝来は、よく知られた歴史だが、「鉄砲を捨てた日本人」は歴史として知られていない、というわけである。
先ず、当時の日本人が鉄砲の利用に格別な成功を収めた背景を探っている。16世紀の日本の総人口は2500万人、これはフランスの1600万、イギリスの450万、スペインの700万人と比べて格段に多い。しかも、そのうちの武士の占める割合は、7~10%と推定されている。当時のどのヨーロッパ国での騎士階級が1%に満たないことと対照的であった。
しかし、徳川政権になって徐々にではあるが、鉄砲は放棄されていった。その原因を5つの要素で述べている。
① 鉄砲嫌いの武士が大勢いた
② 外国に対する日本の国家的統合の維持は、通常兵器で充分であった。
③ 日本では、刀剣が武士の魂という象徴的な意味を持っていた。
④ 西洋伝来の文物を軽視していた。例えば識字率が低い、利得を好む欲ボケの輩など
⑤ 純粋に美的感覚から日本刀を好んだ
例えば、ルース・ベネディクトは、「身から出た錆」という言葉を引用して、「この比喩で自分の身体と刀を同一視している」と述べている。
江戸末期に日本を訪れた欧米人の感想は、その文化に驚嘆するものが多い。そのいくつかが紹介されている。
『日本に行く目的が日本を文明国にするためである、といのは真実から遠い。なぜならば日本にはすでに文明が存在しているからだ。では、異教徒たる日本人をキリスト教に改宗させる目的で日本に行くのか、と言われれば、これも真実ではない。そうした企ては、わたくしたちが受けいれている条約の規定によって厳しく禁じられているからである。それでは、日本国民の幸福の増進をはかる目的で行くのかといえば、これも違う。なぜかというと、日本国民ほど幸福に充ちた国民は他に存在しないからである。わたくしたちは貿易によって利益をあげるという目的以外はもっていない』ーエドワード・ド・バリントン・ フォンブランケ将軍、1861年』(pp.148)
結論として、「日本はなぜ鉄砲を放棄したか」については、次のように述べている。
『大型輸送船の建造技術が開発されると、小型輸送船は時代遅れとなり、まして帆船時代に後戻りするようなことはない、であるとか、さらに、西暦2001年のコンピューターが、人間の「思考過程」にひっくるめられるさまざまな過程のありかたを、人間よりも効率よくできるようになれば、そのときにはコンピューターが「人間の思考過程」の肩代わりをするようになれる等々・・・・。
このような言い方にあっては、進歩―この多義的な概念がどのように定義されようともー、この進歩なるものが、あたかも、半ば神聖なるものにして、人間のコントロールを超えた仮借容赦のない力の体現者のように用いられている。もちろんそれは妥当性を欠いている。進歩の道しるべを立て、その道筋を管理し、場合によっては その進行を止めることのできるのは、わたしたち人間である。何を記憶にとどめておくか、それを選ぶのは人間である。そして何を忘却の彼方に消し去ってしまうか、わたしたちが「種子島」のことを忘れさったように、それを決めるのも人問である。 』(pp.150)
この書の著者は、田園での農場経営を好むダートマス大学英米文学の教授だが、核軍縮がなぜうまくできないのかという設問に対する、一つの回答を示そうとしている。核兵器は皆が好まないことは共通なのだが、変わるべき「日本刀」に相当するものがないことが、現代社会の悲劇なのだろう。現代社会では、倫理観に基づく美意識が欠けているのかもしれない。