メタエンジニアの眼シリーズ(117)
TITLE: 「トーキング・ストレート」
書籍名;「トーキング・ストレート」 [2198]
著者;リー・アイアコッカ 発行所;ダイヤモンド社
発行日;1988.10.6 初回作成日;H31.3.25 最終改定日;H31.3
引用先;文化の文明化のプロセス Exploring
このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。
アメリカの大企業の経営者としては、GEのウエルチが有名だが、その少し前までは、フオードとクライスラー社を立て直したアイアコッカが有名だった。彼の自叙伝「アイアコッカ―わが闘魂の経営」は大ベストセラーとなり、700万部が世界中で売れた。それから4年後に出版されたのが本書なのだが、冒頭のプロローグで2冊目を出すことに大いに迷ったことが記されている。しかし、内容は家族関係、経営の裏話、日本との関係、アメリカの教育、農業、品質問題など多岐にわたっており、むしろ興味を覚えた。すべてにおいて、まさに「トーキング・ストレート」で、458ページの大著になっているのだが、さらに巻末の3冊のダイヤモンド社発行の同系統の書籍宣伝の中に、「交渉の達人 トランプ、若きアメリカの不動産王の構想と決断」があるのは面白い。彼の特徴は、1980年代から変わってないように思える。
アイアコッカについて、Wikipediaから少し復習する。
『リー・アイアコッカ(Lee Iacocca, 本名:Lido Anthony Iacocca, 1924年10月15日 - )は、アメリカの自動車製造会社、フォード社の元社長であり、その後クライスラー社の会長も務めた。』
大学で機械工学と管理工学を学んだ後プリンストン大学大学院で修士号を取得、1946年8月にフォード社に入社。
所謂「ベビーブーマー」と呼ばれる世代向けの中型車として開発された2ドアクーペ「マスタング」の開発責任者。
1965年にフォードとマーキュリー、リンカーン部門の副社長に就任。当時低迷していた高級車部門のマーキュリー部門やリンカーン部門の建て直しを成功させ、1970年1月にフォード社の社長に就任した。
社長在任中は、オイルショックと日本製小型車との競争激化を受けて低迷した国内外の販売を、肥大化したマスタングの小型化や国内販売網の強化、前輪駆動の小型車である「フィエスタ」の導入などを行い乗りきった他、いくつかの不採算事業の売却を行い、経営状況の安定を行った。
しかし、同社会長のヘンリー・フォード2世(創始者ヘンリー・フォードの孫にあたるオーナー会長)と経営方針を巡って対立し、1978年10月、同社が史上最高の売り上げを2年連続で達成したと発表された直後に解雇された。
『直後の1978年11月に、フォード社のライバルであり、日本車との販売競争や第2次オイルショック、ずさんな財務などのあおりを受けて、当時深刻な経営危機に陥っていたクライスラー社のジョン・J・リカルド会長に請われて同社の社長に就任する(その後1979年9月に会長に就任)。
就任後は同社の社内改革を進める一方、自らの年俸を1ドルとし労働組合との共闘の道を開いた。また、1979年12月には、同月に成立した債務保証法により連邦政府から15億ドルの資金調達に成功。同時にV型8気筒エンジン搭載の中・大型車中心の開発姿勢から、2.2リッター直列4気筒エンジン(Kエンジン)搭載の小型車(Kプラットフォーム 日本では中型セダンにあたるモデル)中心の開発へと舵を切った。2年後、1981年に発売された小型車、プリムス・リライアント、ダッジ・アリエス、ダッジ400(いずれもKエンジン・Kプラットフォーム採用モデル)は大ヒットし、クライスラー社は深刻な経営危機から立ち直ることとなる。(中略)同社の開発コスト低減に貢献し、多くの中・小型車を成功に導き、破産寸前とまでいわれたクライスラー社を立て直し、数十万人のアメリカ人の雇用を守った。この功績により、アイアコッカは「アメリカ産業界の英雄」とまで称されるようになった。』
などが、書かれている。ある面では悲劇のヒーローに見られるのかもしれない。
彼の「トーキング・ストレート」を示すには、本のカバーに記された14項目の言葉が解りやすいので、そこのみを引用する。先ずは、裏表紙から。
『経営術;いい人問を集めること、基本的ルールをつくリ、従業員と意思疎通し、やる気を起させ業績を挙げた人問には報いること。以上すべてを効果的に実行すれば失敗などあリ得ない。』
『権限委譲;私の見るところ企業にとって最大の危険は、能力のない者を信じて権限を渡してしまったときに起る。そのような連中は、最初に「私には出来ません」と正直に言うすべさえ知らない。そじて失敗したときには、えてして周囲の全員を自分の失敗に引きずリ込むものである。』
『人材;上役が喜ぶようなことしか言わず、面と向かっては絶対に反対しない会社は、危い会社である。 こういう危険を防ぐため、私は常に才能のある反対屋」を身辺に置くことにしている。』
『やる気;やる気ない社員は、よリよい製品をつくるために自分の果たすべき役割を絶対に理解できないだろう。そして彼が理解しなければ、社の残リ全員が迷惑を蒙るのである。 』
『品質;こういうことを言うのは紋切リ型のようだが、1つの組織に働く者全員が、自分たちの作る製品の品質のおかげでメシが食えているのだということを頭に叩き込む必要がある。品質だけが彼らの家族の日々の肉や野菜を買い、品質だけが住宅ローンを払い、子供を大学に入れてくれるものであることを心から信じなければならない。』
『日本人へ;日本は保護主義かもしれないが、保護すべき市場を取リ違えている。真に守るべきはアメリ力の市場であるのに、日本市場を守るとは何と愚かなことであろう。いまや危機に瀕しているのはアメリ力の市場であリ、日本が最大の損失を蒙ろうとしている場所もアメリ力の市場なのだ。』
『日本人の貯蓄;日本人の貯蓄を攻撃するのは、私も少し気がひける。勤倹力行せよ、得た力ネは蓄め、モノを買うときはよく知る相手から買え―それは両親が私に教えたこと、そっくりそのままである。』
表現は独特だが、なるほどと思ってしまう。すべては実際に自己が経験したことから発せられた言葉に思える。
次に表表紙の項目から、「家族」、「親孝行」(これが、いかにもアメリカ人らしいのだが)を除いて引用する。
『教育;私に言わせれば、教育とは民主主義への入場料みたいなものである。確固かつ長期的な教育計画は確固たる国家存立の基盤になる。そうした計画を確立するには長い時間がかかるが、決して予算をケチってはならない。私は政府予算の削減には常に賛成だが、教育費だけは削ってはならないと考える。』
『訴訟社会;争いをすべて法廷に持ち出し弁護士に扱ってもらうのは、全く愚かなことである。アメリ力のような複合社会が繁栄していくには、昔ながらの紳士的な譲リ合いが何よリ大切だろう。私の考えでは、 訴訟ブームほど著しくその美風を損ねるものはない。』
『税金;税金というのは、3つの条件を満たしていなければならない。1に全員に公平、2に必要な税収を確保、3に国家に競争力を与えるもの、以上3つで ある。』
『レーガン大統領;レーガン個人の人気が彼の政策への支持率を大きく上回るのを見るごとに、私は不審の念に駆られたものだった。政策が支持されないのに人間として支持されるとはどういうことであろう。わけが判らなかった。』
『新しい大統領;行動派が登場すべき時は来た。次の大統領は、おそらく非難攻撃の矢面に立たされるだろう。1期だけで満身創疾になるかもしれない。だが1期だけの偉大な大統領がいてもいいではないか。』
これらを読むと、当時彼が大統領になることを望んだ人たちの存在が理解できる。
TITLE: 「トーキング・ストレート」
書籍名;「トーキング・ストレート」 [2198]
著者;リー・アイアコッカ 発行所;ダイヤモンド社
発行日;1988.10.6 初回作成日;H31.3.25 最終改定日;H31.3
引用先;文化の文明化のプロセス Exploring
このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。
アメリカの大企業の経営者としては、GEのウエルチが有名だが、その少し前までは、フオードとクライスラー社を立て直したアイアコッカが有名だった。彼の自叙伝「アイアコッカ―わが闘魂の経営」は大ベストセラーとなり、700万部が世界中で売れた。それから4年後に出版されたのが本書なのだが、冒頭のプロローグで2冊目を出すことに大いに迷ったことが記されている。しかし、内容は家族関係、経営の裏話、日本との関係、アメリカの教育、農業、品質問題など多岐にわたっており、むしろ興味を覚えた。すべてにおいて、まさに「トーキング・ストレート」で、458ページの大著になっているのだが、さらに巻末の3冊のダイヤモンド社発行の同系統の書籍宣伝の中に、「交渉の達人 トランプ、若きアメリカの不動産王の構想と決断」があるのは面白い。彼の特徴は、1980年代から変わってないように思える。
アイアコッカについて、Wikipediaから少し復習する。
『リー・アイアコッカ(Lee Iacocca, 本名:Lido Anthony Iacocca, 1924年10月15日 - )は、アメリカの自動車製造会社、フォード社の元社長であり、その後クライスラー社の会長も務めた。』
大学で機械工学と管理工学を学んだ後プリンストン大学大学院で修士号を取得、1946年8月にフォード社に入社。
所謂「ベビーブーマー」と呼ばれる世代向けの中型車として開発された2ドアクーペ「マスタング」の開発責任者。
1965年にフォードとマーキュリー、リンカーン部門の副社長に就任。当時低迷していた高級車部門のマーキュリー部門やリンカーン部門の建て直しを成功させ、1970年1月にフォード社の社長に就任した。
社長在任中は、オイルショックと日本製小型車との競争激化を受けて低迷した国内外の販売を、肥大化したマスタングの小型化や国内販売網の強化、前輪駆動の小型車である「フィエスタ」の導入などを行い乗りきった他、いくつかの不採算事業の売却を行い、経営状況の安定を行った。
しかし、同社会長のヘンリー・フォード2世(創始者ヘンリー・フォードの孫にあたるオーナー会長)と経営方針を巡って対立し、1978年10月、同社が史上最高の売り上げを2年連続で達成したと発表された直後に解雇された。
『直後の1978年11月に、フォード社のライバルであり、日本車との販売競争や第2次オイルショック、ずさんな財務などのあおりを受けて、当時深刻な経営危機に陥っていたクライスラー社のジョン・J・リカルド会長に請われて同社の社長に就任する(その後1979年9月に会長に就任)。
就任後は同社の社内改革を進める一方、自らの年俸を1ドルとし労働組合との共闘の道を開いた。また、1979年12月には、同月に成立した債務保証法により連邦政府から15億ドルの資金調達に成功。同時にV型8気筒エンジン搭載の中・大型車中心の開発姿勢から、2.2リッター直列4気筒エンジン(Kエンジン)搭載の小型車(Kプラットフォーム 日本では中型セダンにあたるモデル)中心の開発へと舵を切った。2年後、1981年に発売された小型車、プリムス・リライアント、ダッジ・アリエス、ダッジ400(いずれもKエンジン・Kプラットフォーム採用モデル)は大ヒットし、クライスラー社は深刻な経営危機から立ち直ることとなる。(中略)同社の開発コスト低減に貢献し、多くの中・小型車を成功に導き、破産寸前とまでいわれたクライスラー社を立て直し、数十万人のアメリカ人の雇用を守った。この功績により、アイアコッカは「アメリカ産業界の英雄」とまで称されるようになった。』
などが、書かれている。ある面では悲劇のヒーローに見られるのかもしれない。
彼の「トーキング・ストレート」を示すには、本のカバーに記された14項目の言葉が解りやすいので、そこのみを引用する。先ずは、裏表紙から。
『経営術;いい人問を集めること、基本的ルールをつくリ、従業員と意思疎通し、やる気を起させ業績を挙げた人問には報いること。以上すべてを効果的に実行すれば失敗などあリ得ない。』
『権限委譲;私の見るところ企業にとって最大の危険は、能力のない者を信じて権限を渡してしまったときに起る。そのような連中は、最初に「私には出来ません」と正直に言うすべさえ知らない。そじて失敗したときには、えてして周囲の全員を自分の失敗に引きずリ込むものである。』
『人材;上役が喜ぶようなことしか言わず、面と向かっては絶対に反対しない会社は、危い会社である。 こういう危険を防ぐため、私は常に才能のある反対屋」を身辺に置くことにしている。』
『やる気;やる気ない社員は、よリよい製品をつくるために自分の果たすべき役割を絶対に理解できないだろう。そして彼が理解しなければ、社の残リ全員が迷惑を蒙るのである。 』
『品質;こういうことを言うのは紋切リ型のようだが、1つの組織に働く者全員が、自分たちの作る製品の品質のおかげでメシが食えているのだということを頭に叩き込む必要がある。品質だけが彼らの家族の日々の肉や野菜を買い、品質だけが住宅ローンを払い、子供を大学に入れてくれるものであることを心から信じなければならない。』
『日本人へ;日本は保護主義かもしれないが、保護すべき市場を取リ違えている。真に守るべきはアメリ力の市場であるのに、日本市場を守るとは何と愚かなことであろう。いまや危機に瀕しているのはアメリ力の市場であリ、日本が最大の損失を蒙ろうとしている場所もアメリ力の市場なのだ。』
『日本人の貯蓄;日本人の貯蓄を攻撃するのは、私も少し気がひける。勤倹力行せよ、得た力ネは蓄め、モノを買うときはよく知る相手から買え―それは両親が私に教えたこと、そっくりそのままである。』
表現は独特だが、なるほどと思ってしまう。すべては実際に自己が経験したことから発せられた言葉に思える。
次に表表紙の項目から、「家族」、「親孝行」(これが、いかにもアメリカ人らしいのだが)を除いて引用する。
『教育;私に言わせれば、教育とは民主主義への入場料みたいなものである。確固かつ長期的な教育計画は確固たる国家存立の基盤になる。そうした計画を確立するには長い時間がかかるが、決して予算をケチってはならない。私は政府予算の削減には常に賛成だが、教育費だけは削ってはならないと考える。』
『訴訟社会;争いをすべて法廷に持ち出し弁護士に扱ってもらうのは、全く愚かなことである。アメリ力のような複合社会が繁栄していくには、昔ながらの紳士的な譲リ合いが何よリ大切だろう。私の考えでは、 訴訟ブームほど著しくその美風を損ねるものはない。』
『税金;税金というのは、3つの条件を満たしていなければならない。1に全員に公平、2に必要な税収を確保、3に国家に競争力を与えるもの、以上3つで ある。』
『レーガン大統領;レーガン個人の人気が彼の政策への支持率を大きく上回るのを見るごとに、私は不審の念に駆られたものだった。政策が支持されないのに人間として支持されるとはどういうことであろう。わけが判らなかった。』
『新しい大統領;行動派が登場すべき時は来た。次の大統領は、おそらく非難攻撃の矢面に立たされるだろう。1期だけで満身創疾になるかもしれない。だが1期だけの偉大な大統領がいてもいいではないか。』
これらを読むと、当時彼が大統領になることを望んだ人たちの存在が理解できる。